ふつうの人の声が届かないアメリカ | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

ふつうの人の声が届かないアメリカ

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生/ロバート・D. パットナム



 「社会関係資本」について、豊富な資料とデータと研究から、アメリカの今について記述した、700頁近くの大著。こういう資料や研究がすさまじくあるのはさすがにすごいなあと思うわけなんですが、メモ的に抜粋。
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 社会学者のアラン・ウルフが国内のミドル・クラスの郊外居住数百人に1995年-96年にかけてインタビューしたとき、このテーゼを表明する多くの人に出会うことになった。ジョージア州カップ郡のジェレミー・トゥールは「最近では、人々の社会的つながりの9割は職場でのものですよ」と見積った。オクラホマ州サンドスプリングスのダイアナ・ハミルトンは「人々の暮らしは仕事を中心に回っています。友達は職場で作るし、コミュニティへの奉仕も仕事を通じて行っています」と回想していた。そしてマサチューセッツ州ブルックラインのエリザベス・タイラーは「仕事のコミュニティに所属しているとすごく思います・・・それは職場のコミュニティだし、ひいては会社の、そして業界のです」と付け加えた。
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 1980年代に最も急速に成長した産業のひとつが「再雇用斡旋」業であったということである。この業界の収益は1980年の3500万ドルから、1989年には3億5000万ドルへと拡大した。経営学者のピーター・キャペリは雇用慣行、特にホワイトカラー層における変化に関する10年間の研究をまとめ「確実、終身雇用で予測可能な昇進と安定した賃金をもたらす古い雇用システムは死に絶えた」とした。
 これらの変化がもたらしたことのひとつは被雇用者の不安増加であるが、そこには失ったものに同様に勝ち得たものもある。会社からの独立性の向上。階層のフラット化、家族主義的干渉の低下、年功や忠誠よりも功績や創造性に対する報酬の増加といったことは、多くの会社やその従業員にとってよいことでもあった。企業内での勤労意欲や従業員のコミットメントがひどくダメージを受けたとしても、そうしてそうなるのが典型ではあるのだが、しかし企業の生産性が向上したことは多くの研究が見出していることではある。ここでの目的はこういった経済的な帰結ではなく、それが職場の信頼や社会的つながりに与えたインパクトを評価することである。そしてこの点に関してはバランスシートは負の結果を示している。
 リストラクチャリングを進める企業のホワイトカラーの労働者数百人のインタビューの結果から、チャールズ・ヘクシャーが見出したのは、社会契約の変化にたいして、もっともよくある反応は「頭を下に向けて」、自分自身の仕事だけに狭く焦点を絞ろうとすることであった。自分の職が救われた労働者も、いわゆる「生き残りの罪悪感」をしばしば経験した。新しいシステムの下で個人に与えられた独立と大きな機会を享受した被雇用者のもいるが、成功した会社にいても中間管理職の大半はある人間の表明した以下の見方に同意を示した。「ここでは誰もが孤独です。非常にストレスを感じます。」別の者はこう述べた。「再編はどのレベルにおいても人々の間の関係のネットワークを破壊した」。仲間うちの関係はより距離が広がった。「互いを向き合うのではなく、ほとんどの人が遠く離れ離れになってしまった。孤立化し、また一人でいることを好むようになった。」
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 1960年代(そして1970年代初頭)が並はずれて社会的、政治的動員の時期であったということに異論は存在しない。この時期の歴史的意義とは何だったのだろうか。そして何がその結果として続いたのだろうか。(略)
 深化した市民性の誇るべき時代の遺物は、今やキャンピングカーのバンパーステッカー「神のために同性愛のクジラを核攻撃せよ」(各種運動のスローガンをごちゃ混ぜにしたパロディ)に残るものがすべてなのだろうか。(略)
1974年以前には、社会学者のロバート・ウスノウが指摘していたように、大半の研究の知見では、福音主義の信徒は他の人々と比べて政治参加の傾向が低かった--投票、政治的グループへの参加、公職者に対する投書、政治に対する宗教的関与に賛成することが少なかった。1974年以降はそれと対照的に、他の人々と比べて政治的関与が強いことを見出した研究が大半である。この歴史的変化は部分的には政治参加に慣れている社会階層へと福音主義が拡大していったことによるものだが、同時に福音主義自体が市民参加に対してより好意的になっていったということもある。公共生活に対する福音主義の関与について最新の研究の著者であるクリスチャン・スミスは「キリスト教の流派のうち、米国社会に影響を与えるための努力を実際に行っているものはどれだろうか。もっとも言行が一致しているのは福音主義者である」と見ている。(略)
 いくつかの点において福音主義の活動家--より高齢で、教育水準が高く、裕福である--と非常によく似ているが、しかし生活における宗教の重要性が並外れて大きい。宗教的活動家のある全国サンプルによれば、協会出席頻度が週1回を超えるものが60-70%であるが、比較対照のほかの米国人ではそれは5%に満たない。そしてこの展開に根本主義の祖先は仰天し恐らく衝撃を受けただろうが、彼らは平均的米国人と比較して、事実上、すべての市民的、政治的形態において3-5倍の積極性を見せている。 
 1996年の選挙において、協会で友人と選挙について議論したり、宗教的な利益団体の接触を受けたという福音主義派信徒は、ほかの米国人に比べて2倍以上多かった。実際のところ、選挙キャンペーンに関して政党や候補者よりも、宗教団体から受けた接触のほうがずっと多かったのである。
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 なぜ社会的凝集性が健康に関係しているかについて、研究者たちは完全に確信があるわけではないが、妥当性があると思われる理論は数多く手にしている。第一に社会的ネットワークは、金銭、病後の介護、移動といった実体的なサポートを供給する。それは精神的、身体的ストレスを提低減し、セーフティネットの役割を果たす。
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 このようにして研究者たちは、社会的孤立が病気に先行していることを示し、病気によって孤立が生じている可能性を排除するのに成功してきた。過去20年以上にわたって、アメリカ、スカンジナビア、そして日本で多数行われたこの種の大規模な研究が示しているのは、社会的つながりのない人々は、それに対応させた人々で家族、友人、そしてコミュニティと密接なつながりのあるものと比べたときに、あらゆる原因について2~5倍の確率で死亡しやすいということである。
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 ハーバード大学公衆衛生学部の研究者によって行われた最近の研究は、社会関係資本と身体的健康の間の関連性を全米にわたって研究した概観として卓越している。50州すべてのわたり17万人近くの調査データを用いて、これらの研究者らは、予想どおり、アフリカ系米国人、健康保険未加入者、肥満、喫煙、低収入の者、非大卒の罹病リスクは、より社会経済的に有利なものと比較して非常に大きいことを見出した。しかし、一方で彼らは健康状態の不良さと社会関係資本の低さの間に見られる驚くほど強い関係も見出したのである。健康状態を中程度、もしくは悪いと最も悪いと住民が回答した諸州は、同時に他人を信頼できないと住民が最も回答した州であった。社会関係資本の豊かな州から乏しい(信頼が低く、自発的集団が少ない)州へ移動すると、健康状態が不良-中程度になる確率がおよそ40-70%増加する。住民の個人的なリスク要因を考慮に入れても、社会関係資本と個人的健康の関係は依然として残った。健康状態を向上させたければ、社会関係資本の豊かな州に転居することは、禁煙するのと同程度の効果があるとすらこの研究者らは結論づけた。
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 所得階層が上昇すると、生活の満足度も増加する。したがって金銭によって幸せが結局買えるということになる。しかし、それも結婚がもたらすものほどではない。教育、年齢、性別、婚姻状態、収入、市民参加を統計的に統制すると、生活への満足に対して結婚のもたらす限界効果は、所得階層におけるおおよそ70パーセンタイル程度、いわば15パーセンタイルから85パーセンタイルへの上昇移動に相当する。数字を丸めると、結婚は年収を4倍にするのと「幸福相等」である。(略)
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 ローパー社会・政治傾向調査はフィオリーナ(政治学者)の経験が典型的であることを示している。すなわち政治的な極にいる米国人は市民生活への関わりが深く、一方で穏健派はドロップアウトしやすいということである。収入、教育、都市規模、宗教、年齢、性別、人種、職業、婚姻状態、子どもの有無といった標準的な人口統計学的特性すべてを統制すると、自身を「リベラル」もしくは「非常に」保守的であるとする米国人は穏健な意見を持つ他の市民と比べたときに公的集会への出席、議会への投書、地域の市民組織への積極参加、教会出席までもが多い傾向がある。さらに、イデオロギー的「極端性」と参加との間に見られるこの相関は20世紀最終4半世紀を通じて強まっており、同時に自身をイデオロギー的に「中道」であるとする者が公的集会、地域組織、政党、選挙運動その他から、不均衡なほど消滅していってしまったのである。
 1990年代においては、自らを中道とする者は1970年代中盤と比べたときに公的集会、地域の市民組織、政党への参加する割合が半分になった。自身を「穏健」なリベラルもしくは「保守」とする者の参加は3分の1減少した。自らを「非常に」リベラルもしくは「非常に」保守とする者の間での低下が最小で、平均すると5分の1未満だった。(略)
 皮肉なことに、自分の政治的立場を中道や穏健派とする米国人がますます多くなっているのに、イデオロギー的スペクトル上の両端の極端派が会合に出席し、投書をし、委員を務めるといった者に占める割合をますます増やしているのである。
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 2010年までに、米国の職場が家族へのやさしさとコミュニティへの親和性を大きく高め、米国の労働者が職場の内外での社会関係資本の蓄積を再び満たせるようになることが保証されるための方法を見出そう。
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 2010年までに、今日よりも通勤時間を減らして、近隣とのつながりにより多くの時間が費やせるようにすること、より統合され、歩行者にやさしい地域に住めるようにすること、そしてコミュニティのデザインと公共空間の利用によって、友人や近隣とのさりげない社交が促進されるようになること、これらが確保できるように行動しよう。

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 この本を読まれる場合は以下の本もいっしょにどうぞ。

 おもしろいか否かだとドーキンスの本のほうが圧倒的におもしろいです。ドーキンスがこれだけ必死なのが逆に怖い。

神は妄想である―宗教との決別/リチャード・ドーキンス