AERAに書きました。 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

AERAに書きました。

AERAの別冊「AERA with Baby (アエラウィズベイビー) 2007年 11月号 」に記事を書いております。昨日発売になりました。http://opendoors.asahi.com/data/detail/8528.shtml

タイトル『子どもの“食”の悩みに答えます 毎日たべるものは安全ですか?』 東京大学 生産技術研究所 渡辺正先生に取材いたしました。なんか巻頭特集のTOPになっております。最初は「600字くらいのコラムくらいならいい」っていう話だったんですが。その経緯は遊鬱さんところで コメント入れてみました(苦笑) 記事の一部も抜粋してくれております。ありがとうございます。

 「おはよう奥さん」の取材のときに渡辺先生は「“安心していいですよ”という話は、読者がおもしろくないから掲載しない、と記者はいうけど、一度でいいから、新聞一面で(これこれこれは)安全ですってやってみればいい」とお話されていて、ほんとにそうだなあ、と思ったんですけど、とりあえず、AERA別冊(朝日新聞でも本誌でもないけど)では、TOPになる記事は書けました。
 編集担当者は「朝日では難しい」「クレームがくる」「やっぱり悪いものはちょっとでもやだという親は多い」という典型的な心配をしてたので、お読みになってくださった方は、編集部に、ぜひとも“暖かい”メッセージをお送りいただけると嬉しゅうございます。編集部メールアドレス 
baby@asahi.com


 取材裏話としては、500人のアンケートをとったんですが、「食の不安」がある人がほぼ9割でした。何が不安かというと「残留農薬」への不安が多かった。このアンケートをとるのに「不安になったのはどこからの情報か?」というデータをとりたかったんですけど、それは編集担当から「それはうちでやらなくてもいい」と言われて何度か食い下がったのですがだめで、渡辺先生がおっしゃっていたので記事中に書きました。ほんとは証拠を押さえたかったんだけどなー。

 そもそも巻頭記事の予定じゃなかったので、巻頭になるなら、もっと書かせてよーもっと取材したい人いたのにーと思うのですが、もう出ちゃったのでしょうがいないっす。くすん。ここで書こう。

 頭からDDT(『沈黙の春』で告発された農薬)かぶった世代の(日本では1970年に廃止)寿命は縮んでませんよね。当時、不潔だといわれたのは「うんち」です。それが肥料として田畑に入れられ、育った野菜が汚染され、井戸を汚染し河川に入り、蝿などを発生させるとして、「不潔」とされたわけです。「うんち」が「今はきれいになった」ってことはないですよね。「有機野菜はおいしい」「天然は体にいい」「虫が食べているので人間にも安全」とかいう認識が行き過ぎることがどうなるのか、DDTを廃止したことで多くの人命が失われていることを忘れないでください。

 記事中にはキャベツやじゃがいもにも「毒がある」ということを書いておりますが、読んでくれればわかると思いますが、一定量以上の毒が入らなければ、人体にとっては毒でも何でもないということをいいたいのです。キャベツやじゃがいもを悪者にしたいわけではないのですが、キャベツさんとじゃがいもさんの名誉回復のため(笑)、ある本のエッセイから一部抜粋したいと思います。

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 「キャベツを自然に還したら」
 芦澤正和 ---1930年生まれ 元野菜試験場・育種研究室室長、元全国農業協同組合連合会・技術主管


 人間の歴史には農耕の前に他の動物たちと同じく採取の時代がありました。そのなかで「この草は食べやすい」「これを食べるとお腹が痛くなる」という経験の蓄積を重ね、やがてそれを家の近くの畑で栽培するようになります。(略)
 世界には麦、米、タロイモ、じゃがいも、ヤマイモの文化圏などがあります。文明が生まれ育つ土地は、安定して食べられる主食の産地であることが重要です。主食が育つところは、農業技術も発達し、必然的に文明も発達していきます。
 中南米で発見されたもので、重要な作物がたくさんあります。じゃがいも、とうもろこし、サツマイモなどは、これがなかったら、現在の人間の生活は成り立たないほど重要な作物です。じゃがいもは約500年前の1570年にメキシコからスペインに導入され、16世紀に広くヨーロッパに伝播しました(略)
 キャベツの野生種は有史以前から食べられていました。草むらから葉の柔らかい野生のキャベツを探し出してきて人間が栽培を始めたのです。栽培の過程で成長するにつれて中心部に葉は密生し、丸く結球するものが生まれました。中にある葉がおいしいことを知った人々は結球するキャベツを目指すようになりました。
 作物にとっては花が咲いて種ができればいいわけですから、人間が手を加えるということは甚だ迷惑なことなんですね。人間は花が咲いたら困る、実がなっては困る。(略)野菜は野生種は人間が食べやすいように飼いならしていくわけです。
 人間が手を加えるから生きているだけで、放っておけば絶滅したり、形が変わっていく作物はいくらでもあります。生糸をとる蚕だって生殖からなんでも人間が仕上げたものですから、自然に放せばすぐに死んでしまう。
 キャベツと同じルーツをもつものに葉ボタンがありますが、江戸時代、オランダ人によって長崎に持ち込まれた時は非結球性のものであり、これは野菜としては土着せず、観賞用として栽培されました。その改良種が葉ボタンとして独特の発達を遂げ、今の姿になっているのです。キャベツを人間が手入れしなくなれば、丸まらず、花がたくさん咲く物が残るでしょう。(略)

 植物の野望は種が増えること。それだけが彼らの使命です。稲でもなんでも手を加えた作物は収穫時期が同じですね。いっせいに花が咲き、いっせいに実がなる。しかし当然のことながら、自然のなかでは熟期が違う。早い遅いがある。だから生き延びられるわけです。だって大洪水や台風がきたら全滅してしまうわけでしょう。そして熟期がバラバラなほうが良い。それを鳥がつついたり、獣が食べ散らかして種が運ばれる。でもそれは人間が困ります。そこで品種改良や栽培方法を確立し、同じ時期に収穫できるように飼いならしていくわけです。(略)

 現在、良い品種と栽培方法が確立されたため、一年中キャベツや玉ねぎは手に入ります。昔はレタスが1年中食べられるなんてことは夢にも思わなかった。しかし、それができたらできたで「地域の特徴がなくなった」とか「旬が無くなった」と言われています。私たちが試験場にいた当時言われたのは「端境(はざかい)期をなくせ」ということでした。1年中を通じて野菜が家庭で安価な値段で食べられるようにと。それが日本の農業をする人たちのひとつの理想だったんです。昔は農薬なんてものはあまり悪く言われなかったのですけれど、今では大変な悪者になってしまっています。

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 子どもたちが学ぶ「食育」にはこうした視点がまったくないように思えます。
 今、わたしたちは「しっかり手を入れてくれた」「自然ではない」食物を食べてるんですね。

 このエッセイは「あたらしい教科書 野菜」にあったエッセイですが、この本はこれ以外は、別にいいです。こういった話に興味がある方は「銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎/ジャレド ダイアモンド 」ぜひお読みになってください。