“30 歳からの恋”を邪魔するもの | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

“30 歳からの恋”を邪魔するもの

 前回のエントリーで「Numero」http://www.numero.jp/ (女性向けファッション誌)で赤木さんのインタビューを掲載しましたが、構成上は以下のエッセイが前の頁にきます。一部抜粋します。


リード
“30 歳からの恋”を邪魔するもの
「結婚どころか恋愛も難しい」という声をよく耳にする昨今。
恋愛は自然にできると思っていたけれど、どうしたというんでしょう?
30 歳からの恋を邪魔するものは、一体何なのでしょうか?


 「いい男がいない、いても結婚している」というボヤキは、未婚の30 代以上の女性たちが集まって、ご飯でも食べに行けば、誰かが必ず言うセリフ。「はいはい、負け犬の遠吠え、遠吠え(笑)」と自嘲気味に笑っている分には、まだ余裕があるように見えます。でも私は、社会の変化を長い目で見れば、それは「負け犬の叫び声」に変わるように思えるのです。
 
30代にもなれば、若気の至りで突き進むこともなく、「この人と結婚して“幸せな生活”を送れるか?」と現実的に考える人が多いんでしょう。なぜ、最近、30代男女両方から「結婚はおろか恋愛さえも難しい」という声をよく聞くのでしょうか。


  まず、これは男性が昔よりも、女性に声をかけにくくなった事情があるように思います。

  それは「ストーカー」という言葉や概念が洪水のように一般化したことに一因があるでしょう。
  1997年のテレビドラマ『ストーカー逃げ切れぬ愛』や99年に起きた『桶川ストーカー殺人事件』などは世間の注目を集めました。“恐怖”とまではいかなくても、「なんでもセクハラって言われそう」と思っている男性は多いはず。
  今から考えると、昔の大ヒットテレビドラマ『101回目のプロポーズ』の武田鉄矢のような男が、くじけずに迫っていたら、今なら、セクハラやストーカーで訴えられましたということになりかねないという怖さです。
 “感動の恋愛談”と“ 犯罪”が紙一重な状況では、男性が自粛傾向に陥っているのは無理もないことです。それに、もともと30代女性は「結婚を焦っていると思われたくない」でしょうから、積極的にはアプローチしづらい。というわけで、恋に発展しにくいのではないのでしょうか。
 

 そして、恋愛の次は「結婚」です。これはさらに大変な状況です。恋愛は本能みたいな部分がありますが、結婚は「制度と生活」にほかなりません。だからこそ、身近な“制度”と“生活”の変化を知る必要があるのではないでしょうか。そして、それが今後どうなるのかを知っておいたほうがいいように思います。そこには,恋愛と結婚の壁となる理由が隠されているからです。


経済と恋愛の関係とは?
  日本は80年代に男女雇用機会均等法ができ、バブルになります。メディアでも働く女性がもてはやされました。そう、時代のキーワードは「自分探し」。社会に出て女性が経済的な自由を手にし、自分らしさを得ることが良しとされたのです。しかし、その後、バブルは崩壊。96年から99 年にかけてリストラ目的で「労働者派遣法」が変わり、人材派遣業が実質すべての業種に拡大。今や働く人の3人に1人が非正社員となりました。右肩上がりに給料が上がる終身雇用が崩壊したわけです。

今の20代後半から30代前半の「結婚適齢期」といわれる層はこのバブル崩壊後の経済が悪い時期をまともにかぶった世代になるというわけです。
  日本は終身雇用と右肩上がりに給料が上がることを前提としていろんな制度ができていて、今、その前提に大きな変化が起きています。それゆえ、以前のように普通の結婚生活を送りたくても送れない、と考えている人が多いのではないでしょうか。
 かつてのように「俺についてこい!」とか「苦労はさせません」というプロポーズはうっかりでも口にすることができません。それは、どうひっくりかえっても、できなくなった男性が増えたからでしょう。たとえ、今は配偶者を養う収入がある未婚の男性でも、いつリストラに遭うか分かりませんし、会社に残ったとしても「残業代ゼロ法案」と呼ばれる「ホワイトカラーエグゼンプション」が国会で検討されていたような状況ですから、正社員も厳しくなっています。リストラされないためにも目先の仕事を優先させざるを得なく、気がついたら“永すぎる春”、下手すれば“ ずっと冬”になってしまうことが想像できるわけです。


  さらに、こうした変化の中で、私が注目するのは以下の3つです。それは『子どもの教育』と『住宅』と『家族の医療』。これらは、独身生活と結婚生活を比べて、大きく事情が変わるものであり、心理的負担も経済的負担も大きい3つだからです。


● 子どもの教育 
 日本は諸外国と比べて、費用がかさむ高等教育のほうに補助がありません。これは右肩上がりの夫の賃金体系があったから。国連は66年に教育の機会均等のために、たとえすぐには無理としてもいずれ無料にするという方針を取り決めましたが、日本は高等教育機関の私費負担がOECD加盟26カ国中3 番目の高さ。各国平均よりかなり高い。それどころか、国公立大学の授業料の引き上げがされ、逆の動きになっています。


● 住宅 

  日本の住宅政策は、戦後一貫して『持ち家政策」を推進し、民間市場にまかせてきました。わずかな市営住宅(全住宅数の約5%)が補助金を受け、自治体が低所得者を中心に供給。55年に設立された住宅都市整備公団は都市に住む“家族”世帯を対象に公団住宅の供給を始めましたが、それも全住宅数の2%という低いシェア。それに公団住宅は、基本的には若い家族が持ち家を取得するための仮住まいの位置づけ。つまり、“結婚”が前提です。欧州諸国にはある“個人”への家賃補助もありません。


● 家族の医療 

  ピンピンしていた人が明日ポックリ死ぬわけではありません。女性は男性よりも平均寿命も長いわけで、結婚すれば、相手の父、母、そして伴侶まで家族全員を介護する可能性があります。団塊世代が老いを迎えて、人口的には必ず高齢者が増えるのですが、厚生労働省は全国の“療養病床”を2012 年度までに減らす予定です。この減らされる分は医療が必要ない“要・介護”の老人。これらの受け皿は“家庭”です。病院から、致し方なく放り出された“介護難民”たちはこれからも増えます。


  つまり、多くの男性が、今までイメージしてきた“結婚への責任” をまっとうできなくなっているのです。それは“専業主婦を養って、子どもの養育費と教育費を負担し、35 年のローンで家を買い、親が年老いたなら、高度の医療が受けられる病院で世話をし、安らかな最期をみとる”といったイメージです。そういったごく普通の人たちのライフコースのイメージが実際の社会の動きをみれば、ほんとうに崩れていこうとしているのです。だから、人生をともに歩もうとする相手を見つけるための愛や結婚に大きな不安があるのでしょう。
  メディアでは最近の若者は“セックスしない”“大人しい”“下流志向” “ひきこもり”だと散々言われています。つい20年前くらいまでは、校内暴力、暴走族など“暴れる若者”が問題視されていました。それが今や、ようするに「元気がない」とバッシングされています。これは、戦後初めてのことなのではないでしょうか。いつの時代も「いまどきの若者は…」と小言を言いたい年長世代はいますが、今の“ 元気のなさ”は個人の性格やモラルの問題だけに還元していいものではありません。その元気のなさの本当の理由は、就職や恋愛や結婚や出産などの人生の一大事に社会の変化が影を落とし始めていることなのです。男性だけでなく、もちろん女性もしんどい状況は同じです。ストーカーもDV男も困りますが、でも「いい男がいない」と遠吠えする前に、まずは普通の男性さえ、女性に近づくのを控えたり、結婚に希望が持てなくなっている社会の構造を女性も一緒に考え、そして変えていくような努力をする必要があるのではないかと思うのです。


 今月号の「犯罪季評」で、芹沢一也さんが「痴漢冤罪」のことを取り上げていましたが、「犯罪不安社会」のときに文献調査で気がついたのは、2000年前後の「ストーカー」関連書籍発刊の急激な増加でした。
 犯罪被害者によって、「被害者に感情移入することによって変わる社会」、ようするに“被害者化する社会”を浜井先生も芹沢先生も指摘されていましたが、そういった被害者化するメディア環境と経済と制度の変容(もしくはは変わらなさもあるんですが)がもたらすものはどんな社会なのでしょうか。

 受け皿がないところに、たとえば、いまだに「家族解体」だとか「学校解体」など「自由」を求める動きは、果たして、叫んでいる人たちが手に入れたいような「自由」で「多様」な社会になるのでしょうか。

 壊したものはなくなるのです。もしそれを望むなら、なくなったあとの「受け皿」を考えて話したほうがいいと思います。


 今、認知症の取材をすすめていますが、この「認知症」という病は社会的なフォローの差が病気の差ともなってくる「あいまい」な部分が大きい病気です。


 医療関係者の口から話されること。考えさせられます。

 「孤独(死)からどうやって救うのか?」


 私は価値観の話をしているのではありません。

 事実、人間は「弱る」のです。「たったひとりの部屋で1週間誰にも見つからず、腐乱した状態で、見つかってくださいね。自由な人生だったかもしれませんが。」とは私はいえないのです。


※参考資料 
 「住宅からみた高齢女性の貧困」-「持ち家」中心の福祉社会と女性のハウジングヒストリー -泉原美佐