2007-03-03 00:36:53

「治安悪化神話」によって進んだ会議の模様

テーマ:ブログ

ちょっとバタバタしていて、更新に間があいてしまいました。

さて、毎日新聞の石戸記者の記事にちょびっと登場しております。なんか自分のこと書くのは恥ずかしいですね・・・。ありがとうございました。


きび談語:1月17日の岡山面で… /岡山  2・24 

 1月17日の岡山面で、刑務所の過剰収容問題を紹介しました。取材の過程で大きな示唆を与えてくれたのが「犯罪不安社会―誰もが「不審者」?」(光文社新書、浜井浩一・芹沢一也著)です▲「現在、治安は悪化し、凶悪犯罪が多発している」と言えば納得する人は多いと思います。これは事実でしょうか。答えは否。同書では犯罪関係の統計や犯罪の語られ方などを多角的に分析し、「治安悪化説」に根拠がないことを解き明かしてします▲「06年ベスト新書」の声もある同書。編集を担当した倉敷市出身のフリー編集者、安原宏美さんは「事実ではなく、感情で治安対策を進めていいのか」と言います。虚実を見極める大切さを改めて思わされました。【石戸諭】  


 さて、ブログをはじめて早1年。新聞からコメントとられるとは1年前は思ってもいませんでした。ほんとにブロガーの皆様のおかげかと思います。この小さなブログでいろんな方から情報をいただき、勉強不足を本当に痛感する毎日ではございますが、本日は「詠み人知らず」さまから、教えていただいた法務委員会の議事録を紹介させていただきます。マスコミ報道などでは、国会は「野次がとびかう」とか「居眠り」とかいうような、私たちを白けさせるようなことばっかりがいわれているような印象を受けますが、議事録などを検証している、もしくはNHKの国会中継を全部観ている方は、かなりがんばった現実的な議論が行われていることをご存知かと思います。今日は徹夜みたいですね。キヤノンの御手洗さんの参考人招致はなぜ認められないの?違法なことしてるんじゃないか?だから聞きましょうよーって話でしょう?昨今の格差論議、貧困論議などは数字と数字のガチ対決で、見ていても聞いていても非常にエキサイティングです。

http://www.eda-jp.com/satsuki/kokkai/2004/041130.html

 こちらの法務委員会では厳罰化賛成の木村参考人に、龍谷大学の石塚伸一先生が現実的な数字をぶつけるという議論になっています。スーフリ事件を契機に改正された「集団強姦」罪の立法案の検討ですね。こんなふうにちゃんと話されていたわけなんですね…。しかし成立してますよね。

 これが「治安悪化神話」の怖いところだと思います。改正側がいかに科学的な議論ではなくて、イデオロギーで動いているかが分かります。毎日新聞のコメントにもありますが「事実ではなく、感情で治安対策を進めていいのか」とか私、えらそうにいってるようにみえますが、ほんと浜井先生や石塚先生からしたら、「やっと気がついた?」だと思います。反省…反省…でございます。この委員会の議論を今一度ふりかえってみたいと思います。そもそもの立法理由が「治安悪化」(大意)ですからね。2004年の議論ですが、今振り返る意義があるものとして、一部抜粋して取り上げさせていただきます。


(立法理由)凶悪犯罪を中心とする重大犯罪に関する最近の情勢等にかんがみ、これらの犯罪に適正に対処するため、有期刑の上限並びにこれらの犯罪に係る法定刑等及び公訴時効の期間を改める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

(法務委員会)閣第八号  刑法等の一部を改正する法律案 (刑法の一部改正)第一条 刑法(明治四十年法律第四十五号)の一部を次のように改正する。  第三条第五号及び第三条の二第一号中「準強姦」の下に「、集団強姦等」を加える。 第十二条第一項及び第十三条第一項中「十五年」を「二十年」に改める など

(参考人)東京都立大学法学部教授 木村光江君、

弁護士・日本弁護士連合会刑事法制委員会委員長 

神洋明君及び龍谷大学法学部教授 石塚伸一君


 参考人(木村光江君)これらの認知件数が、この図でごらんいただくと分かりますように、平成に入り、九〇年代に入りまして加速度的に増加しております。これは単に数の問題だけではなく、余りにも変化が急激であるというところが非常に問題であるというふうに思われます。この事態に直面して、早急に何らかの方策を取る必要があるというふうに考えられます。その意味で、今回の改正で国として凶悪犯罪に対し厳しく対処するという姿勢を示す意義は非常に大きいというふうに考えられます。逆に、この機を逸すると大変なことになるというのが私の認識でございます。 

 認知件数があまりに急激に増加すること事態、統計的にはおかしいです。急に日本人が乱暴になるわけじゃないですから。さて、今大変なことになっていますでしょうか。最新の「犯罪白書」でさえ「治安悪化」の看板は下ろしてますよ。


 それが現在では、被害者個人、強姦罪であれば女性、強制わいせつ罪であれば男性も含むわけですけれども、その被害者個人に対する罪である、言わば社会法益ではないと、個人法益であるというのはだれも異論を差し挟まないという状況でございます。これだけ考え方が変化しているという犯罪について、しかも被害がこれだけ増えているという、認知件数がこれだけ増加しているにもかかわらず何も手を打たないというのは、正に時代錯誤そのものというふうに思われます。

 被害者対策に軸足を移した警察の方針変更、メディアでの被害者での露出が多く出ることで「社会問題化」することで通報件数があがることで認知件数はそりゃ増えます。で、それ自体は悪いことではないでしょう。しかし、今までの認知されなかったものが認知されることになったことをもって、「被害が増えている」「何とかせなばならない」っていうのは、「不安」のマッチポンプです。


 起訴率が例えば昭和五十年代と比べますと格段に高くなっております。強姦罪の起訴率は、昭和五十年代は約五五%前後だったものが近年は七〇%に近くなっております。強制わいせつ罪につきましても、やはり五十年代は四〇%前後だったものが近年は六〇%に近くなっております。起訴率が増加しているということです。検察の性犯罪に対する対応がより厳格なものとなっているということの現れだというふうに申し上げることができると思います。

 世間から見る目が厳しくなった。よって検察も厳しくなっているということで、この木村さんの論理でいうと、世間が厳しくなっていいっていってんだからいいんだ、ってことになります。


 裁判所においても同様の傾向が見られまして、量刑について、強姦罪、強制わいせつ罪ともに重くなっております。しかも、実刑率も高くなっているということでございます。裁判官が書かれた量刑に関する書物の中で、かつては、強姦に対して傾向的に刑の軽い裁判官がいたように思われるが、近時、女性の人間としての尊厳を侵害する犯罪として厳しい態度で臨む裁判官も増えてきているというふうに述べられておりました。

 同上。


 国民の意識が検察あるいは裁判を突き動かしているというふうに考えてよろしいかと思います。

 国民の「意識」が作り出しているものであると(メディアもですけどね)。


参考人(神洋明君)私は、御審議いただいている凶悪・重大犯罪に対処するための刑法等の一部を改正する法律案については、基本的に反対する立場から意見を述べさせていただきたいと思います。つまり、


 数年先に刑法を抜本改正することを検討していたけれども、この部分だけが前倒しされたという記事が載っておりました。前倒し、前倒しにしても、改正対象となるあらゆる罪の再検討など到底されていなかった。その意味で拙速感は否めないと思っております。のみならず、このような改正手腕は、今回の改正にとどまらず、実は、現在、法制審議会刑事法部会で議論されている次の刑法改正案、人身の自由を侵害する行為の処罰に関する罰則の整備についてにおいても見られるのであります。 私は、このように、刑法全体を体系的に見て改正するのではなく、小出しの形で改正する手法に対しては大きな危惧感を抱いていることを申し述べておきたいと思います。

 小出しにしてるそうです。  


 岩波書店から河合幹雄さんという学者の「安全神話崩壊のパラドックス」という本が出ています。河合さんは各種の統計データを用いながら、犯罪は実際には増えていない、すなわち治安は悪化していないということを分かりやすく説明しています。河合さんはその中で、一般刑法犯は急増しているが、自転車盗が急増部分であり、それを除外すると微増にすぎない、凶悪犯は、殺人は一九五〇年代から減り続け、この十年横ばいで、強盗は急増しているものの、ひったくりや集団のカツアゲを統計に組み込んだせいであると述べております。 立法当局は国民の体感不安の悪化などという言葉に惑わされてはいけないというふうに考えるのであります。

 これは浜井先生の分析とも同じですね。

 

 長期の受刑者の社会復帰に重大な影響を及ぼすということを述べたいと思います。 現在の世界の行刑モデルは、旧来の医療モデルから社会復帰モデルへと確実に変わっております。二十年、三十年、社会から隔離して拘禁施設に収容することは、受刑者の人格破壊につながりかねず、社会復帰にとってプラスにならないことも留意すべきであります。有期刑受刑者の長期収容化は、また無期刑受刑者の仮出獄までの期間を長期化するおそれがあり、無期刑受刑者の社会復帰にも否定的な影響を与えかねません。現在問題となっている過剰収容ともかかわるものでありますので、行刑とのかかわりの検討が不可欠であるのでありますが、その点の検討がなされた形跡がありません。

 確かに。


 強姦罪は強盗罪との比較で軽過ぎるという意見は以前からありました。しかし、今回の改正においても、強盗罪の関係では依然として低いままになっています。比較法的に見れば、フランスの一年以上十五年以下の自由刑、ドイツの一年以上の有期自由刑と比較しても、日本の強姦罪の法定刑それ自体が不当に低いというわけではありません。強盗罪の下限が五年という刑法の規定と比較するからこそ、現行の強姦罪の刑の下限が低きに過ぎるように見えるのであります。 その強盗罪の刑の下限が五年というのは、実は欧米諸国と比較しても異様に高いものとなっていることこそ問題があるのであります。そのことを一顧だにせず、強姦罪の法定刑の下限を引き上げることには反対と言わざるを得ません。三つ目は、殺人罪等の法定刑の見直しであります。 

 まず、殺人罪の性質からして下限を引き上げる理由がないことについて述べたいと思います。 

 殺人罪は確執とか情念といった人と人との濃密なかかわりの中で発生するものが少なくなく、その違法、責任の在り方には種々のものがあります。従来、殺人罪の多くは執行猶予付きの判決が言い渡されてきたという事実を想定していただきたいと思います。すなわち、私は、殺人罪にはその性質からして類型的に執行猶予を付すことができる三年の刑に相当すべき事案があるからこそ、現行刑法はその刑の下限を三年以上としていたものと考えております。 現在の日本社会の実情からしても、執行猶予を付すべき事案は類型的に生じ得ます。例えば、家族中心の介護をせざるを得ない社会状況の中で、長期間介護をしていた夫が介護に疲れた、妻を殺してしまうというような期待可能性の少ない行為類型も当然想定されるところであります。 

 実際、殺人は家族に殺される場合が多いです。見知らぬ人に殺される割合は年間数件しかないのが日本です。

 

 次に、殺人罪の発生率からしても刑の引上げの必要性がないことを指摘したいと思います。日本における殺人罪の発生率は世界でも一、二を争うほど低いと言われてきています。戦後半世紀の統計を長期的に見ても、殺人罪の認知件数は、昭和二十九年の三千八十一件をピークとして減少傾向にあり、平成三年の千二百十五件で底を打っております。その後は横ばいに推移し、十一年には千二百六十五件となっており、必ずしも増加傾向にあるとは言えない状況にありません。殺人の検挙率も下がってはいません。

 このブログを読んでいらっしゃる方だと、耳タコだと思いますが、何度でもいいまする。


 次に、傷害の法定刑の見直しについて述べたいと思います。 まず、傷害の罪の法定刑は、国際的に見ても決して低くはないということを挙げたいと思います。 世界の立法例を見てみると、傷害の罪の刑は、アメリカのニューヨーク州で二年以上七年以下の自由刑、イギリスで五年以下の自由刑、ドイツで六年以上十年以下の自由刑、フランスで十年以下の自由刑及び十五万ユーロ以下の罰金であって、日本の刑法の十年以下の刑が特に低いというわけではありません。 

 「必要がない」というのを「答え」として認めてくれないかんじは私も感じます。なんかやらないといけないというのが前提になってる人になかなか通じない話ですわね。


 さて、次に石塚さんの議論です。アメリカの失敗例、大変勉強になりました。


○参考人(石塚伸一君)第一の政策は、治安の悪化を自明のもの、刑罰の一般予防機能を重視して取締りを強化する厳罰主義の政策であるというものです。具体的には、警察官、検察官、裁判官などを増員して大きな司法を目指します。この政策は、刑事司法システムの入口を肥大化させる政策です。したがって、その出口である刑務所であるとか保護観察であるとか、社会復帰のいろいろな部局に後の世代あるいは現在でも影響が及んでしわ寄せが及ぶことは必定です。この政策は大きな刑務所人口を抱えることになるから、刑事司法のコストは膨大なものにならざるを得ない。後ほど、概算ですが数字を挙げて説明させていただきます。 

 刑事司法のコストという視点はほんとうに重要だと思います。 

 

 犯罪の変化を慎重にチェックし、刑罰の特別予防的機能を重視して、ダイバージョン、刑事司法の流れの中から必要のないものを排除していくと、よそにそらすという方法ですが、この手法を活用しながら社会復帰のための処遇を開発する寛刑主義的な政策です。この施策においては、家庭裁判所の調査官であるとか、法務教官であるとか、保護観察官などのケースワーカーを増員して司法の福祉的機能を強化をする。この政策は、刑務所の人口を抑制し、前科者や再犯者の数を減らすから、間接的ではありますが、迂遠のようには見えますが、最終的には司法コストを軽減することができる、そしてそのコストを福祉に回すという施策です。後ほどこれについても説明させていただきます。 私どもは、後者の方の政策、適正規模の刑事司法を維持する政策の方が妥当であるというふうに考えております。 

 イデオロギー論議(「神話」「理想」論議っていってもいいですが)に光明です。(って私は思うんですけどねー)。


 それでは、お話をさせていただきます。 

 ワクワク(笑) 

 まず、大きな政策を取って失敗した国がアメリカです。なぜ失敗したかについてお話しします。 

 失敗例は学びましょうという、まともなお話です。

 

 アメリカは、一九八五年に約七十万人の刑事施設の収容者を抱えていました。これが二〇〇四年、現在ですが、約二百万人を超す収容者を抱えます。つまり、刑務所であるとか日本の拘置所に類するところで二百万人の人、百万都市二つ分の人たちを養っているわけです。

 200万人の国民を閉じ込めている国だということです。

 この人たちは労働をしていませんから、この人たちの生活費をすべて国あるいは州が負担しなければなりません。民営刑務所で収容者一人について民営機関が請け負うときの値段が大体一日百ドルぐらいです。それ掛ける三百六十五日のお金が必要になるということになります。膨大なお金です。 

 アメリカがなぜこのような三倍近くの収容者を抱えるようになってしまったかということについて説明します。 アメリカでは、伝統的に刑罰目標というものは、応報と犯罪の抑止とそして隔離、そして社会復帰、この四つであるというふうに言われてきました。伝統的にアメリカは社会復帰政策を重視する、そういう政策を取ってきています。そういう中で、一九八四年、コンプリヘンシブ・クライム・コントロール・アクト、日本語では包括的犯罪統制法というふうに訳されていますが、この法律をレーガン政権の下で導入しました。この法律の目的の中で、刑罰目標は応報、抑止、隔離であって、社会復帰はこの三つの刑罰目標と抵触しない限りにおいて尊重される、そういう規定を設けました。そのために社会復帰は後退したわけです。そのために、厳罰政策が取られるようになります。 

 80年代に厳罰化に舵をきった、と。 

 

 まず最初に始まったのが、ウオー・オン・ドラッグと呼ばれる薬物との戦いです。薬物を自己使用した人たちも厳しく処罰して刑事施設に入れる、そういう施策を取りました。次が、少年裁判所の廃止等に見られるような少年に対する刑事司法の強化です。次が、性犯罪法、取りわけ、メーガン法という名前で御存じかと思いますけれども、性犯罪者に対して厳しい制裁を加え、出所後もその情報を公にするというような法律ですが、これは危険な犯罪者に対する厳しい施策を意味します。そして最後に、重大な一般犯罪を犯した人たちを厳しく処罰する方法です。三振法とかスリーストライクアウトとか呼ばれるもので、重大犯罪を三回犯すと無条件で二十年あるいは終身の自由刑にするというものです。変な話ですが、二回強盗をやった人が三回目に窃盗でピザを盗んだと、そうしたら終身刑になったというような笑い話のような話がよく挙げられますけれども、そういうような状況が生まれてしまいました。 

 ピザで終身刑とは笑えません。 

 

 確かに、多くの人たちが刑務所に入りましたので、犯罪を犯す可能性の高いティーンエージャーであるとか二十代の人たち、そういう人たちは施設の中に入っていますので、外での犯罪は減ったように思われます。 

 「無害化」っていわれる話ですよね。


 これはドイツなんかでも行われたことなんですけれども、ベルリンやフランクフルトの駅で、そこでたむろしている人たちを厳しく禁止する、二人以上話していると離れるようにというようなことが通告されることがあります。若い人たちは沿線の都市に行ってその周縁の住宅地域で今度はたむろするようになるという現象が生まれますが、フランクフルトの都市の真ん中、ベルリンの都市の真ん中は確かに体感治安は良くなります。しかし、これは全社会的規模で見たときの治安が良くなったと言えるかどうかということは問題です。 

 「体感治安」はよくなったけど・・・実態は隔離ですよって話ですね。日本でも「コンビニたむろ」とかやり玉にあがってますね。 日本の「不審者通報」も近いものがありますよね。私の家のまえにも「××区は通報します!」と場違いなノボリがいつのまにかできました。


 そういうような失敗をアメリカは犯したというふうに私ども刑事政策研究者は思っています。多くの犯罪学者は、世界的なコングレス、大会に出ますと、アメリカの政策は失敗し、これを今後どうやって直していくかということを考えています。日本は、そういう意味では今正にアメリカの轍を踏むのかどうかという岐路に立っていると私どもは考えます。

 アメリカは失敗だったといってるわけで、私もそう思いますー。


 一九九〇年代の前半に、これは国会に諮ることもなく覚せい剤の自己所持あるいは自己使用の人に対する政策は全く、量刑政策は全く変わりました。 どういう施策を現在取られているかというと、自己所持又は自己使用で量の少ないものを持っていたような人たちは、初犯であれば懲役一年六月、執行猶予二年を言い渡されます。覚せい剤の自己使用者という方は、多くの場合、依存症になっているケースが多いので、ああ釈放された、釈放されたんだと、私は無罪なんだというふうに考えられるのかもしれませんけれども、また再使用をされます。再使用をした場合には、当然また捕まって、覚せい剤の自己使用ないしは所持で捕まります。そうすると、今度は二年の実刑判決が言い渡されます。そうすると、前の執行猶予が取り消されますので三年六月、一番最初で刑務所に入ってくるときに三年六月の刑を持って入ってくるわけです。そうすると、二十五歳の覚せい剤の受刑者の人というのは、三年六月刑務所に入ってなきゃなりませんから、覚せい剤で仮釈放が付くということは難しいので、二十八ないしは九歳まで刑事施設に入っています。若いその時期に施設に入っていて社会に出てきても、働くチャンス、社会に復帰するチャンスは与えられません。したがって、再使用を繰り返していて刑務所と社会の間を行き来する、最終的には病気が進んで精神病院に収容されるというようなケースが増えてくるということになります。 こういうような悪循環をどういう形で解放するか、解決するかということが今刑事施設の中で非常に重要な課題になっています。そのために刑事施設の中では覚せい剤プログラムを始めていまして、そこにはダルクという自助グループのメッセージが入ったりというようなことが行われていて様々努力をしていますが、現実には、施設の収容状況が一一七%ぐらいの収容状況ですから、九〇%程度が限界だと思いますから、二十数%ぐらいオーバーしている状況になります。そういうような状況の中ですので思うような処遇ができないというのが現実です。 

 厳罰より治療である、と。しかし、過剰収容だと、ままなりません、と。 


 いま一方で、先ほど神参考人からお話ありました立法事実として日本の犯罪が増えているという認識ですが、これも、河合さんのおっしゃることをまたず、我々犯罪社会学であるとか犯罪学の研究者は、今見えているような、統計上表れているような急激な増加はないということで共通認識を持っております。

 増えてないです、と強調。 

 なぜこのように増えているかということを言うんならば、これは明白でして、窃盗罪が増えているからです。窃盗罪がこんなに増えているのはなぜかということは、先ほども自転車窃盗のお話が出ましたが、もう一つの、余り指摘はされてませんが、ファクターがあります。これは、一九九〇年代に新たな保険商品が出まして、損失すると、何かを盗まれたというときに警察に行って被害届をもらってきます。それを持っていくとその損害が補てんされるようになりますから、被害届を出すということが損害の証明になるような構造になりました。外国に旅行されると分かると思いますが、何かがなくなった場合には必ず警察に行ってその証明をもらってきます。そうすると、証明書はもらうけれども捜査は望んでいないというケースが増えるわけです。当然、そういう事件については捜査が及びませんので検挙率も下がるということになります。 

 90年代のシステム的な変更を指摘されています。

 類似の例が器物損壊罪であります。器物損壊もこのところ非常に増えている犯罪です。 この器物損壊と窃盗罪で全体の犯罪の約七〇%、認知件数の七〇%を占めていますので、この部分が増えてくれば検挙率が下がるのは当然なわけです。 

 当然ですね、確かに。 


 やはり九〇年代に起こった数字のカウントの仕方の構造的な変化をもう少し見ていただければ私の言っていることは御理解いただけるのではないかというふうに思います。 

 ご理解しました。認知件数が急激にあがって「日本人のモラルが下がった」という考えるのがいかに短絡的かがわかります。  


 もう一つ、体感治安の悪化ということが言われます。これは、体感治安というのは、自分は被害者になる可能性があるというふうに一般の方々がアイデンティティーを持つわけです。自分が被害者になったらどうしようというのを体感治安ということになります。 

 「被害者ルネサンス」です。 


 そうすると、この総理府で行われた調査も、朝日も読売もそうなんですが、調査を見ますと二十歳以上の方に調査されているんですね。つまり、選挙権を持っていられる成人の方なんです。つまり、未成年の人は調査の対象になっていないという事実を頭に入れておいていただきたいと思います。我々も、今の若い子供たちの行動を見て、服装であるとか物の振る舞いを見てちょっと顔をしかめるような行動が目立ちます。そういうものと体感というものが実は結び付いているということが一つ。 

 世論調査に若者が入っていないことの指摘。「不可視」な層には何いってもいいってことなんでしょうかね。「フィギュア萌え族」、「キレる少年」、「電車で化粧する脳」、「ジベタリアン」、「ひきオタ」とか?若者のふるまいに否定的な意味を込めた名前がいろいろ出ますよねー。  

 

 もう一つ重要な問題は、過剰収容問題です。先ほど申しましたように、入口のところを強化するとしわ寄せは出口に来ます。現在、刑事司法の収容者の数というのがどのぐらいあるかということですが、一九九二年、十年前ですと、刑事施設ですね、刑務所とか拘置所に入っている方が四万五千人、一日平均、でした。これに代用監獄と言われる警察留置場に入っている方も足してみると約五万人です。で、二〇〇二年ですね、二〇〇二年の統計でいいますと、刑事施設に入っている人は六万七千人、代用監獄に入っている方が一万二千人いらっしゃって、合わせると八万人ぐらいになります。つまり、六〇%十年間で増えているということです。三万人、六〇%増えているという計算になります。 で、六万人増えるということは、経済負担でいうと物すごい負担になります。大体、収容者ですね、人件費を除きまして一日平均六千七百円ぐらいの収容費が日本でも掛かっています。これを月に直しますと、これに三十を掛ける、それに三百六十、十二か月を掛けてみると、大体一年間で二百四十四万、二百五十万円ぐらいのお金が掛かります。一万人増えると二百五十億です。これが三万人増えたら七百五十億になります。収容者が増えるというのは、こうこうさように全部の生活を見ることになりますから負担が大きくなります。従来はこれを刑務作業によって補てんするという考え方を取っておりましたので、受刑者については刑務作業で二百億円ぐらいでとんとんだというような考え方を取っていたんですが、未決の人が長期で入っているとかいうことを考えられますと、これは作業では補てんできませんので大きな負担が残ります。 

 重要です。コスト論議。政策なんですから。


 しかしながら、木村先生が以下のように過剰収容は優先順位でいうと問題じゃないといってます。

 ○参考人(木村光江君) 石塚先生のおっしゃった過剰ということでは、収容人数が増えてしまうという問題が非常に大きいという御指摘だったと思います。確かにその面はあると思うんですけれども、収容人数が増えてしまう過剰収容の問題と法定刑の問題を直接結び付けるというのはやはりちょっと危険かなというふうに思います。法定刑は法定刑として、やはり国としてこれだけの重さの犯罪だという言わば意思表示なわけですから、それはそれとしてきちんと行うと。それにより、まあ、ちょっと先になるかもしれませんけれども、過剰収容が更に問題化するというおそれはあります。  

 この木村先生が上の議論で「大変なことになる」って笛ふいてるのは「治安」ですよね。「過剰収容」のほうが大変なことになってますよね。「やはりちょっと危険かな」、って何がでしょうか?



 ○参考人(石塚伸一君) 従来の法定刑の引上げ論というのは、法定刑の上限に実際の量刑が張り付いていて、もう少し上げないと現実に困っているというような立法事実があって個別的に法定刑の引上げをするという形態はあったと思うんです。  したがって、それは、社会的にもその個別犯罪についての当罰性といいますか可罰性が非常に高いというふうに、社会的には大きいというふうに考えられていたと思うんですが、今回のように一律に引き上げるのは、むしろ社会的な意識に基づいて法定刑を引き上げるんじゃなくて、法定刑を引き上げることによって社会的意識を引き上げていくという、そういう機能を果たすと思うんですね。そのことが、最近よくここで使われているそのメッセージとして果たして現在の社会において妥当なのかどうかということが一つと、もう一つは、先ほど神参考人からもありましたけれども、刑法典の総則の中でそれをするということがめり張りのない法定刑の設定をすることになるので、やや迂遠で時間は掛かるとは思いますけれども、どれは必要でどれが必要でないのかということをやはり検討する必要があるであろうということが一つあります。

  多くの論者たちは「治安悪化」は「地方の崩壊」が原因だといってます。「郊外世代」とかいってる人もいます。だから「地方共同体復活」だといってます。でもね、日本の地方、お金ないじゃないですか。で、みな、なんとなくさびしいから感情移入してますよねー。でも、きっともう滅ぶもんは滅ぶんですよ。シャッター商店街が住宅街に戻ることがそんなに怖いの?さびしいの?だいたい人数が減るんだから。そのうち夕張みたいになっちゃいそうなとこが「刑務所」で再興みたいなこと変なこと言い出さないかそっちのほうが怖いですー。


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8 ■みんさま

レスが遅くなってすいません。おはようございます。
教えていただいたブログ、もっともな指摘ですよね。

片山隼くんのお父さんですね。ご自身が2次被害にあってますしね。HPの写真を盗用されたり・・・。

刑事事件は「国」への「罪」を争っていて、民事は「個人」と「個人」ですよね?ですから、刑事事件における「被害者の保護」や「被害者の主張」(裁判への参加)という、謝罪の方向が「国」ではなく、「被害者」「被害者遺族」に向くことは、ものすごく大きな地殻変動です。便宜的に「加害者側」と「被害者側」といっておきますが、加害者側の主張は「被害者や被害者遺族」が法廷に参加することは、法廷が萎縮してしまう、「被害者側」は「法廷に参加することで新しい事実が出てくるかもしれないし、加害者が罪を犯してないなら、堂々と話せばいい」といってますね。どっちも理屈あるし、それ以前に、裁判というものが圧倒的に検事側に有利にな証拠で固められているということ、未決拘禁の実態、(ここは本当に日本は非常に遅れています)。

マスメデイアの取り上げ方として、「特異」で「無垢」な存在や事例をもってきて、そこを問題の構図を凝縮させようとします。これは対象が加害者が被害者でも同様です。永山則夫も光市の殺人事件も同様。左翼だった藤井さんが犯罪被害者運動に注力している自分としては「何ら変わってない」って書かれてますが、「無垢な存在」への感情移入をするという意味で「変わってない」ってことだけかなと思います。つまり「無垢な存在」をもってくれば、そもそも「感情移入」としての勝負は決まってます。・・・でもそういう勝負が決まっている話なんて、実際に多いでしょうか?と私は思ってしまいます。被害と加害というのは、「相対性」のなかで生まれるもののほうが実際多いんじゃないかなあと。実際、いろいろな被害者がいるので実態をみないと、いけないんじゃないかなあと思います。

7 ■おひさしぶりです。

裁判への被害者参加制度に一部の被害者から「反対」の要望がでてますね。
こちらのブログで知りました。
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2007/03/post_b536.html#more

>制度を選択した場合、公判で加害者側から攻撃される二次被害、選択しなかった場合は被害者感情を過少にとらえられる危険性が予測される」と問題点を指摘。

もっともな指摘だと思います。
世間が「被害者」を発見したのはいいと思うんですが、「被害者」を裁判の場に出すことは、あだ討ちになってしまいがちです。
被害者がそう思ってなくても、世間のあだ討ち感情に火をつけてしまう。→結果、厳罰化へ向かう。

さらにエスカレートすれば、加害者だけでなく被害者もまた、ワイドショーの見世物になってしまう、という危惧が捨て切れません。
これまで「被害者」が苦しんだのは、穢れとして「見えなくされていた」からだと思うのですすが、それを今度は大勢に見える場所につれてこられても、やっぱり苦しいと思うのです。必要なのは普通に接することではないかと。
「○○の被害者です」とカミングアウトしても、色眼鏡で見ないこと。
被害者への同情や共感を否定する気はさらさらないですが、本当に相手のことを思っているのか、同情する自分に自己満足で酔ってるのかは、ちゃんと考えないといけないです。

今書いたことって「加害者」にも言えますね。モンスターとして見えない塀の向こうに閉じ込めるのは解決にならんです。

6 ■三十九回転さま

前田先生悪影響(笑)かと思ったら、、、前田さんの弟子+木村龜二の娘。木村龜二は牧野英一の弟子。こりゃー筋金入りですねー(笑) 

5 ■無題

こんちは。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%89%E6%B1%9F

木村光江さんて前田雅英さんのお弟子さんなんですね。

4 ■三十九回転さま

こんにちは。
他国に比べて刑罰が軽いみたいなことも当時言われたと思うのですが、仮に低いとしましょう。でも、「犯罪白書を見る限りは他国よりも日本の治安はすごいいいわけです。だから他国にあわせて「重罰化」する意味って、エントリーで検討されるようなこと以前に理由にならない気もします。しかし、当時はどうも日本は軽いらしい」ってイメージが先行したように思いますね。

「やっぱり大切なのは被害者のサポート体制のほう。で、そういう現場の警察・司法の人たちの努力の結果である認知数の増加の意味を読み違えて厳罰化の根拠にしちゃう。」
ほんとそうですよね。


3 ■強姦罪

強姦罪等で90年代に認知数増があったのは、確か、それ以前では性暴力犯罪の被害者に対する無理解があって泣き寝入りになっちゃう(被害を届け出ない)場合が多かったのに対して、警察の対応、配慮を改善した結果90年代を通して認知数が増えた、みたいな説明がされていたはずなんだけど。。。
他国と比べても量刑に差がないってとこをみても、やっぱり大切なのは被害者のサポート体制のほう。で、そういう現場の警察・司法の人たちの努力の結果である認知数の増加の意味を読み違えて厳罰化の根拠にしちゃう。
強姦も殺人と同じに顔見知りの犯行が少なくないわけだから、厳罰化は逆に加害者から被害者に対する告発させまいとするプレッシャーを高めて逆に泣き寝入りさせちゃう可能性もあるわけで、一概に厳罰化が犯罪抑制に効果があるとは言えない。というか、90年代を通して行われた被害者対応の改善と逆向きじゃないかしらん?

2 ■e-takeuchiさま

こんばんわー。
>正しい方が勝つとは限らない。
そうですよね~ほんとこういう議事録をふりかえって検証してみるとそう思いますね。ただ、こういう議事録とかって、ネットがなかったころは、簡単に手に入れられる情報じゃなかったと思うんですよね。「情報公開」がすすんでくれば、「判断材料」も増えてくるわけですから、なるべく「正しい」(合理的な)判断をくだしていけるようにはなってくるんじゃないかなと思います。

厳罰化も、治安の詳細な分析があってとか・・・根拠があれば検討すればいいと思うのですが、5年増やす根拠っていうのがイマイチわからないですよね。被害者が「5年」増えたからって癒されるないと思いますし(っていうとどっかからお叱りの声を受けそうですが)。
刑事罰は国家に対する罪で、もともと「被害者」に対する罪って考えがありません。そういう意味で被害者の再発見というのは本当に大きな変化なんだと思います。

1 ■今朝の朝日で

大変興味深いエントリーですね。イデオロギー対科学ってところですか。でも、権丈先生が言うように政策は力がつくるものですからね。正しい方が勝つとは限らない。

ところで、今朝の朝日の朝刊で、河合先生が、裁判員制度を論じられています。その中で、日本の治安が維持されてきた理由として、逮捕されても起訴されるのはその一部であり、起訴されても実刑になるのはその一部であり、懲役になっても満期まで刑務所にいる人はごく一部であること、保護司など民間の力を借りつつ、早期の社会復帰を可能にしてきたことを指摘されていますね。被害者サイドからすると許されないことかもしれません。このことが裁判員制度によって広く社会に知られるようになると、世論は厳罰化に傾く可能性があると、河合先生は懸念されているようです(斜め読みだったので、ちょっとずれてるかもしれませんが)。

厳罰化はしょせん対症療法です。しかも、副作用がきつい。犯罪の大半は、貧困や失業が生み出すわけですから、そうした原因を解消しないことには犯罪が減らないのは考えるまでもないと思いますが。もちろん、強姦された女性をはじめ被害に遭った方々はお気の毒ですし、相応の補償が必要だとは思いますが、それは厳罰化とは別問題でしょう。

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