明けましておめでとうございます。 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

まずは後藤和智さま、TBと書評ありがとうございます。とても嬉しい1年の締めになりました。
 
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2006/12/post_e7e2.html

 ネット等で今までいただいている「犯罪不安社会」の書評と異なり、後藤さんらしいと思うのは芹沢さんの2章に注目いただいているところです。

 「本書の最大の核は、芹沢氏による第2章だ。本書では、「宮崎勤事件」以降の少年や若年による凶悪犯罪の語られ方が検証される。「宮崎勤事件」の頃、そして「酒鬼薔薇聖斗事件」に際しても初期は、凶悪犯罪に対して、加害者に対して「共感」を覚えるような言説、事件に対して「興味」を持っているという言説、そして犯罪に対して「時代の病理」を「読み解く」ような言説が展開された。ところが、そのような言説は、まず平成10年における黒磯市の教師刺殺事件を契機に、「「普通の子」が突然キレる」などという言説が流布するようになり、青少年は急激に社会の驚異としての相貌を帯び始めた。そこに、犯罪被害者の「発見」――これ自体は非常にいいことであるが――が追い打ちをかけ、少年犯罪に対する社会の見方は一変した。」

 大騒ぎとなったあの部屋 「犯罪不安社会」80ページ
 「発端は、犯行自供後にテレビカメラで映し出された彼の「部屋」だった。
 万年床に蒲団が敷かれ、四台のビデオデッキに二九インチのモニター、壁には一面のビデオとマンガが堆く積まれた、まるで要塞のような部屋が公開された時、宮崎勤は一つのイメージ、一つのレッテルへ結晶した。
 「おたく」である。
 事件は当時未だ耳慣れなかった「おたく」という言葉とともに語られるようになっていく。」


 2章のスタートは宮崎事件です。犯罪予備軍として「おたく」が括られていったのはなぜか。芹沢さんは「この時期不可解な犯罪がおき始めた」のではなく「不可解な犯罪が時代を象徴すると考えられるようになった」論者たちの語りを分析していきます。

私も資料調べましたけど、当時の週刊誌などは1冊「宮崎」特集ですから、ほんとうに・・・いやほんとにまあーようしゃべってましたね(いらんことを)。

 これは一般書の編集者としての感覚ですが、統計が中心になっている本って、どうしても「難しい」とか「おもしろくない」っていわれることが多いと思います。私は読者としてそういう感想ってよくわかります(おもしろい本が好きなんで)。この本はそういった意味で純粋に事件の臨場感やメディアの大騒ぎの様子もわかるように芹沢さんはお書きになっているかと思いますし、私もそのように編集したつもりです。本は読んでいてクールで刺激的でなくては!と思います。
 統計の専門家である浜井先生の担当部分も「ロジスティック回帰分析を使うとうんたら」みたいな統計処理の専門性があるものはぜんぜん出てきません。小学生でもわかると思います。これはもちろん「わざと」です。つまり、浜井先生も芹沢先生も、「誰でも手に入る資料」で小学生でもわかる「統計の見方」で「治安悪化」という「数値的根拠」と「言説」をひっくり返していってるところが肝だと思ったからです。そうやらないと「マスコミ」の解釈の甘さの批判にならないし、変な陰謀論に陥ってしまうからです。誰にもできる見方だし、資料もすぐ手に入りますということをおっしゃりたいのだと思いました。


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 さて、話は変わりますが、昨年末「論座」1月号の記事、編集高橋さんの記事『「怒り」の剥奪』を使ってエントリーを作りましたが、
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10022401741.html
 読者の方から、ブログのメッセージのほうにご意見をいただきました。福祉事務所の方だそうです。とても有益な意見だと思いましたので、ご本人の承諾を得まして転載させていただきます。


 「はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。今回引用されていた論座の記事を読み、思うところがあったのでメールを書かせていただきます。
 私は、あの記事で悪役となっている福祉事務所に勤めています。その目から見ると、記事に出てくるケースワーカーの行動は非常に良く理解できるのです。何も、保護申請者は死ねと言いたいわけでも、職員の対応が正しいと言いたいわけでもありません。福祉事務所に申請に来る人間に、どうしようもない、差別用語を投げかけるしか無いような者が多いから、とりあえず拒否する方向で、と良くある言い訳を言いたいわけでもありません。(良くあるのは、真実を多分に含んでいるからではありますが…)事は恐らく、非常に単純な、合理性の問題なのです。
 先ず前提として、現在公務員とはバッシングの対象で、ついでに待遇は笑えるくらい下がっています。非正規雇用はどの職場でも半分近くに上っていますし、給料も減給続きで、保護対象に渡している月額が自分の給料より多い、などという笑えることもざらにあります。(勿論、各種加算の結果で、それだけ大変な人、と言う事ではあるのですが)そして、減給やバッシングの理由とは、「行政が赤字」の一言に尽きます。出すものがなければ給与は下がるし、他のサービスも切りつめられれば当然バッシングは強くなるわけです。(なお、公務員は正にその現場にいますから、福祉も保険も年金も、このままなら早晩破綻するなど、誰よりも良く解っています)
 さて、こうなると、職員が取る「正しい」「合理的行動」というのは、当然赤字を減らし、財政を健全化すると言う方向に向かわざるを得ません。(そうしないと、益々給料は減り、益々叩かれ、また一市民としての自分の利益にも反するのですから)実は、個人レベルの提言や努力はむしろ活発化しています。(単純に、残業代も余り出ないのに効率の悪い旧来の作業を続けていられない、と言う合理的判断もあります)

 さて、これが非経常支出で大きな割合を占める福祉部局となると、当然出すところを絞る方向に向かわざるを得なくなります。つまり、現状において福祉が直面しているのは、「目の前の人間に金を渡せば自分の給料が下がる」と言う現実です。営利企業の営業とは逆に、契約件数を増やせば増やすほど、利益が下がり、給料も下がる。(これを防ぐために、公務員には手厚い身分保障が引かれていた筈なのですが、今更言っても仕方ないでしょう)当然、組織からの評価も上がりません。なので、記事の彼のように行政に対するやり方を知らない(申請というのは、されれば受け取らざるを得ません。法律も判例も、行政職員に判断する権利など与えていませんから)人間は、ああいう対応をされることになるわけです。

 最初にも書きましたが、私はこれが「正しい」とも、倫理的だとも思っていません。しかし、労働組合が組合員の利益を優先して非正規雇用の増加に寄与したのと同様、根本的な所を何とかしないとどうしようもないのではないかと思います。システムが提示する合理的な行動が、そう言う内容なのです。バイトで月40時間働くくらいなら、生活保護を受けた方が良い、と言うのと同様、当たり前すぎる当然の損得勘定の結果であるわけです。手垢の付いた言葉を用いれば、そのようにインセンティブが方向付けられているのです。
 そして、根本的な解決、などというものは簡単に見つかるものでも、また個人として一助を講じられるようなものでもない以上、現状での合理的な行動以外に選択肢はないのです…

 なお、それが何かの言い訳になるなどとは一切思いませんが、私はこの気持ちの悪い状況に耐えかねて、転職するべく活動中です。少なくとも、本来のルールが規定する「仕事」を、やればやるほど損をするとなると、心に負担を掛けずにはやって居られません。(これでも、それなりに考えもあって公務員になったのです)

 何やらまとまりがなく、しかも見るに耐えない愚痴もどきも混じってしまっておりますが、このまま送らせて頂きたいと思います。乱文乱筆失礼いたしました。」


 編集してくださいとメールの返信をいただきましたが、そのまま掲載させていただきました。(これでも、それなりに考えもあって公務員になったのです)という言葉が響きました。
 「目の前の人間に金を渡せば自分の給料が下がる」という点について、若干確認のためにお伺いしたら、以下の補足を再度で送っていただきました。


「これは、必ずしもそう言う人事考課体系になっているわけではありません。(なっているところもあります。保護開始件数と保護廃止件数を勘案したり)ただ、予算の減額が物凄い勢いで進んでおり、経費節減が上からも自発的にも目指される状況で、意識としてはそうならざるを得ない所に追いつめられているのです。(関連団体や議会、あるいは窓口でも「職員の給与をもっと下げてサービスを」と言うのは、毎日のように言われたり文書で読まされる内容です)分り易いところでは、今年も○億円経費が不足するので、来年の給与削減額は×%、などと言う通知が定期的に来ます。「警察官の人権が守られていないのに、警察が人権を守るわけないじゃないか」と言うのが誰の言葉だったかは忘れましたが、同じ問題があるのだとおもいます。」


 浜井先生と芹沢先生の本を作って思いましたが、警察官も刑務官も医療関係者も公務員も教師もマスコミにとってはバッシング対象です。左翼もすぐたたきますよね。これがいろんな意味で諸悪の根源じゃないのかと思ったりするんですが・・・。「こうこうこうなってるんだから、しょうがないじゃない」「現場の人の致し方ない状況」というのがもっと出てこないと有益なコストと効果の論議にならないのではないかと思います。
 またご意見ぜひぜひくださいませ。ありがとうございました。