岡田尊司氏の論考について | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

岡田尊司氏の論考について

 今発売されている『日本の論点2007』(テーマ 変質する社会)(文藝春秋編)に岡田尊司氏が論考を寄せているんですが、取り上げます。

 いっぱい書いてあるけど、論考の主旨はこうである。

 「若者にわけわからない犯罪が頻発している、それも親殺しである。昔もあったが、昔のそういう犯罪は親に対する被害妄想を操られた体験(精神医学では作為体験)から殺害にいたるケースで、昨今目立った多いのは、別に精神病状態にもない若者が些細なことに腹を立て、親を惨殺するといったケースである。その理由は幼い頃からどっぷりつかった情報環境である」

 ちなみに「去る2000年前」ってことでローマ皇帝ネロと母親アグリッピナの逸話を挿入されていました。「皇帝ネロと母アグリッピナの話は決してローマの話では終わらない」だそうで、それなら、なんで最終的に現代の高度情報社会のせいに話が飛ぶのかぜんぜんっわかんないですけど・・。2000年前ってインターネットはないのは確かだと思います。


 えっと親殺しですね。まず数から確認しておきましょう。以下「朝日新聞」より抜粋


 警察庁によると、主犯が少年の刑事事件のうち、少年の実父母が被害者になった殺人・殺人未遂事件は96~04年は3~10件で推移していたが、昨年1年間は17件と目立って増えた。2006年08月30日 


 17件です。この日本の世の中に若者は何万人いると思ってますか?全員親殺し予備軍とでもいいたいんでしょうか。誤差の範囲レベルかと。ちなみに、警察庁のデータは「殺人」も「殺人未遂」も同じくカウントされていますので。

 この論考で岡田氏は違憲とされた「尊属殺人」まで持ち出してます。この「尊属殺人」がどういう経緯でなくなったのかちゃんと調べてからいってるんでしょうか。あとで説明します。

 とりあえず岡田氏の話も聞いてみましょうか。(補足しますが丁寧文で書いてるのは怒ってるからです)


タイトル
 ■親の言う通りにしてきたのに、この様か----「よい子が凶器を振り下ろす理由」


 突発的な若者の犯罪が続いている。些細なことから子どもが家に火を放ち、あるいは、親兄弟を殺してしまうという事件が後を絶たない。明らかに問題がありそうな家庭で起きた事件もあるが周囲からも「よい子」「熱心な親」だと思われていた家でも惨劇が起きてしまう。
 こうした事態を前に、うち続く異常な少年事件にも、どこか他人事ですましていた世間の親たちも、これはひょっとして・・・と不安を覚え始めてている。
 この間「どうしたら、子どもに殺されないですみますか」と真顔で質問された。まだ幼い子どもを持つ若い父親だった。私は絶句しながら改めて事態の深刻さを痛感しました。


 先日、私が某女性誌の仕事で「少子化関連」の編集をやって、そのときに読者アンケートをとったんですが、女性たちの「子どもが欲しくない理由」に「多発する少年事件やキレる少年事件」をあげてくる人がけっこういて(やはりという気持ちもあったんですが)驚きました。これは明らかに過剰不安です。子どもを産めとも産むなともいう気はありませんが、子供を育てるということは多かれ少なかれ不安があるものだと思います。欲しい人たちに無意味な不安要因を与えているというちがった意味で、事態の深刻さを痛感しました。


 親を殺すことは尊属殺人と呼ばれ、1995年(平成7年)に刑法が改正されるまでは、もっとも重大な犯罪とされ、とりわけ重い刑罰が科せられた。タブー中のタブーが親殺しだったのだ。
 
 はいこれは事実です。刑法200条に規定されていた罪名です。卑属(子どもや孫)が尊属(両親や祖父母)を殺害した場合、普通の殺人より罪が重くて、死刑また無期懲役に処せられました。


 親殺しのケースは昔から存在した。多くは精神病的な状態で、親に対する被害妄想や操られた体験(精神医学では作為体験と呼ぶ)などから殺害に至るケースである。だが、昨今目立って多いのは、別に精神病状態にもない若者が、些細なことに腹を立て、親を惨殺するといったケースである。
 いったい何が起きているのだろうか。

 
 ねー何が起きてるんでしょうかね・・・orz
 このたびは、「尊属殺人」がなくなった事件のことを書こうかと思います。精神病でもなんでもないですよ。


 昭和43年(1968年)10月栃木県でM(女性 29歳)が日ごろ仲良くしている雑貨商を訪ね、こういった。
 「いま、父親を紐で絞め殺しました。」
 刑事がMの自宅に急行してみると、植木職人の父R(52)が首を紐で締められて絶命していた。Mはその場で「尊属殺人容疑」で逮捕された。
 ところが取り調べから、父と娘の想像を絶する関係が浮かびあがってきた。
 この父娘は長年にわたり、夫婦同然の暮らしを続け、子どもも3人いたという事実であった。
 父が妻の目を盗んで娘と関係したのは昭和28年(1953年)3月、娘が14歳のときだ。
 真夜中茶の間に寝ていた父が酒臭い息を吐きながら娘の寝床に入ってきて関係をもった。ほかの家族を起こしてしまうと思い娘は声が出せなかった。ひとたび関係ができると母の目を盗んでは体を求めてきた。父の顔を見るのも嫌になり、中学3年になって娘は母親に言った。父は激昂し包丁を突きつけて殺してやるといい、母は娘を残して逃げた。
 以来、娘はほんとうに主婦がわりとなる。
 そして、17歳のとき娘は妊娠したことを知る。どうしていいかわからず、ただ父から逃れたい一心で田植えの手伝いにきた若者に「私を連れて逃げて」と懇願。男は娘の涙にほだされて、駆け落ちをした。それを知って父は狂ったように二人を追いかけ、駅前にいたところを見つけて娘を取り戻した。
 父は家を引越し、ここで娘は長女を生む。
 そののち5人の子供を生んで、3人が育つのだが、父と娘の子供は認められないので、3人とも私生児という扱いである。
 印刷工場で娘が働きに出て、彼女はある工員と恋に落ち、結婚の約束をする。
 娘は工員と結婚したいと父にいうが、父から
 「そいつをぶっころす」と脅されるのだ。
 娘は印刷工場をやめて家にいるから、と父をなだめた。


 もうだめだと、家出を決意した娘は工員に電話で駅まで来てほしいと伝え、衣服をそっと持ち出して親しい家で着替えた。ここから駅までは2キロ。バスにのれば遠くない。ところがそこへ父が娘を探しにやってきた。怒った父は娘の衣服をはぎとり、下着まで裂く。娘は泣きながら半裸のまま外に飛び出したが、駅前行きのバスは発車したばかり。裸のままバスを追いかける娘を父がつかまえ、家へひきずりこんだ。
 若い工員は娘を待ちつづけた。でも娘はこなかった。

 父と娘の関係を知ったのは事件が起きてからだった。


 事件はまもなく起きた。
 事件の夜、父は酒に酔い
 「おまえが出て行くなら、子どもたちを始末する」
 と怒鳴った。
 娘はこの父がいる限り、自由もなにもないと考え、父が寝付いたのを見計らい、首を締めて殺した。


 裁判の経緯。

 弁護側はこう主張。
 「尊属殺人は法のもとに平等をうたった憲法に違反しており、一般の殺人罪を適用し、過剰防衛と認定したうえで、情状酌量して刑を免除する」
 一審の地裁はこれを認め娘は保釈された。
 しかし、検察側は控訴。
東京高裁は一審判決を破棄して、刑法200条(尊属殺人罪)を適用したうえで、心神こう弱状態だったとして懲役3年6ケ月を求刑した。
 弁護側は最高裁に上告。
 最高裁はこの時期、別に2件の尊属殺人(未遂も含む)の上告審を控えていた。この3件を一括して審理し、昭和48年(1973年)4月4日、「尊属殺人は違憲である。よって原判決を破棄する」と宣告した。

 この瞬間大法廷はどよめいた。
 娘は懲役2年6ケ月、執行猶予3年の判決が言い渡され、身柄はその場で釈放になった。


 この事件は精神病で被害妄想でしょうか・・。岡田先生が尊属殺人という刑法まで出したあたり、私は空恐ろしすらをかんじます。

妄想にもとづく行政のかかわりはやめてほしい。いろんなとこで。


参考文献 この事件の話は「昭和史の闇(1960-80年代)合田一道」から要約、抜粋しました。