ウォーターベッド | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

ウォーターベッド

前回のエントリーでは山本 譲司累犯障害者 のことを書かせていただきました。


 私のブログにコメントいただいている仲さんのところで オーストラリアに留学していたときの話を書かせてもらいましたが、いろいろな経験をしました。

 そのなかで自分のなかでは強烈に記憶に残っていることを書かせてもらいます。

 私はマルチカルチャリズムが信頼されてる時期に行ったので、自分自身が不当な扱いを受けたというような記憶はあまりなく楽しく過ごさせていただきましたが、私がホームステイをさせてもらっていた家が最初、たまたまティチャーズユニオンのトップをされている先生のお宅でした。その先生に頼んで、後学のためさまざまな階層のお家にホームステイさせてもらいました。1ケ月ごとにその先生が校長先生をしている学校の生徒の家をまわっていました。


 そのうちのひとつの家の話です。白人家庭です。

 その家はお父さんが軽度の障害をもっていました。片腕がありませんでした。生まれつきの障害ではなく、もと消防士で、オーストラリアで頻発するブッシュファイヤーで片腕をなくされてました(オーストラリアは乾燥しているため、木々がこすれて勝手に発火して、ブッシュファイヤーはよく起こる。学区の道路がブッシュファイヤーで寸断されて休校になることもたまにあります。たいがいは煙たいだけなんですが)。
 
 まず、その家に入ったとたんに、異常に酒臭い。あと全体的に家の中が汚れている。さらに、どことなく湿気がとれなくていわゆる生乾きの匂いがする(乾燥してるオーストラリアではとても珍しい)。
 ちなみに夕ご飯は毎日マクドナルドかチャイニーズのテイクアウェイ(これはごはんをランチボックスに敷いて、3つのおかずをその上にガンガンガンとのせる、はっきりいって見た目は犬のえさ。安いんでランチにはたまに食べてたけど)。
 当時オーストラリアは社会保障が充実してますので、基本的には暮らしていけます。もちろん「裕福」ってわけではありません・・。
 でも、なぜか、家のベッドがすべてウォーターベッド。
 ウォーターベッドけっこう高価です。
 なぜ・・・ベッドだけゴージャスなんだろう・・・。ほか貧相なのになーーと最初は軽く思っていました。
 (当時ウォーターベッドって裕福な家庭では、ちょっと流行ってました。浮遊感がいいのと水を温められるのであったかいって意味とさらにエッチな意味での新規性もあったかと。)


 そこにはひとりの子供がいました。男の子です。小学校3年生。
 
 この子がまず最初の印象からかなり微妙。顔はかわいらしいんですが目がどことなく泳いでいる子で、まず私に愛想笑いをするんですね。で、かなり細い。で、だいたいこの年齢のガキだと、歯の矯正をやっていて前歯になんかガバッとはまってるんですが、この子は歯並びが悪いわりに何もされていない。

 私はウォーターベッドで寝ると、ほんとにポヨンポヨンと身体が安定してないので、船酔い状態になって、夜中気持ち悪くて目が醒めるので、そのへんのアウトドアのグッズの店で寝袋買ってきて床で寝てました(そういうのはぜんぜん平気)。

 そいで、私がその家に行ってから毎日のように私の部屋にきて寝る。欧米のうちは子供のころから別の部屋で寝させるので、あんまりない話です。

 まあ私も適当な人間だし、家は帰って寝るくらいなんで、気にしておりませんでした。

 ある日、たまたま寒い日だったんで、ウォーターベッドをウォームにしてベッドのほうで寝てたら、その男の子が部屋にやっていて「いっしょに寝てよ、ひろみ」というわけです。ダブルサイズのベッドですし、もう毎日のレポートでこっちも死んでますから、「はい、どうぞー おやすみー」ってかんじで隣で寝てたわけなんですけど。
 
 しばらくたって、ほとんと眠りに入って意識朦朧としていた私にひとこと。

 「おっぱい、なめていい?」

 (ひょえーーーーーーっ、リックっていったよな、いったよな。しかしここは聞き返すととんでもないことになりそうな・・。たしかに私は胸はでかいがなー、なんか違うぞー、ギャクで逃げられないぞーこれは!!!)

 さすがに21歳の私にとっては、あまりの衝撃で英語の通じないふりをして、
「んん??やっぱごめん。ウォーターベッドやっぱ酔う。気持ち悪いんで下で寝るわ、今日寒いよねーあったまたしー!」
 とにこやかに移動したわけなんです。「ナイナイー♪ナイナイー♪」(ナイナイはグッドナイトの子供語、ナイティナイトの略語)。


 当時、児童虐待なんて知識はこっちにはほとんどないわけですから、うすーい知識を総動員して、やっとこさ、その子の境遇に思いを馳せることになったわけですが・・・。確かに親からぜんぜん愛情かけられてないし、関心すらない。この部屋もしかして逃避場所?


 でもその親も決して責めることが私にはできない。消防士として活躍していたときの話をして酒を飲み、ソファでそのまま寝るお父さん。きっとブッシュファイヤーで手をなくされたくらいなんだから、仕事に情熱をかけていた人だったんだと思います。

 お母さんはもちろん働きに出ていて、その話を乾いた笑いで聞いている。ソファで寝るお父さんにはお母さんは毛布もかけてあげない。
 そういう乾いた話のその横で、子供は冷め切ってぶよぶよになったマクドのフレンチフライを無言で食べている。私がいろんな話題をその子にふるんだけど、愛想笑いしかない。

 当時、多文化放送があって「西遊記」をやっていて、子供たちには「孫悟空」人気だったんでその話とかしてあげるとふつうは興味しんしんで喜ぶんですけど、そやつにはぜんぜん受けない。みょーに冷めてる。
 「いかん、なぜこいつには受けないんだ、私のギャグセンスが足りんのか。大阪の女の意地としてがんばらねばー」とトンチンカンなこと思ってたんですけど。
 ・・そういうことではなかったのだな、それどころじゃなかったんだな、ごめんよ。もうあまりに疲れていたんだね。

 しかしドキドキですよ。一晩中。頭ぐるぐるまわるわけです。「児童虐待」ってほんとよく知りませんでしたから。
 おっぱいなめていただくのもまずいってのはわかってるんですけど、乳で救われる生活ってどうなのよー、そりゃまずかろう!ストレートに「そういうことはかくしかじかで」とキッパリいったら(その想定外の英語力もないし・・・)この子の逃げ場所がなくなってしまう。乳ぐらいいいか、いやいやぶんぶん違う違う・・そんなことをやったら私が犯罪者になってしまう!私ピーンチ!!みたいな。いや世の中奇麗事ではない。


 翌日、先生のところに行って「こうこうしかじかで、でもその子と親は怒ってもしょうがないように思う」と話をしたわけなんですけど、その先生(女性なんですが)は私の話を黙って聞いて「うーん、なんとなく噂があって問題ある家だなあと思ってたんだけど、よく言ってくれたね、ありがとう。よくわかったわ。ただ下手に介入できないしね。ちょっとソーシャルワーカーと教会に相談してみる。あの子は下手すると性犯罪者になってしまうかもしれない。あなたはあの家が1ケ月で逃げられるけど、彼は逃げられない」というわけですがな。
 
 その言動にダブルの衝撃にクラクラとしてたわけですが・・・。性犯罪者って「変態」ってわけじゃもしかしたらなかったりする場合もあるんですかねーーーーー!ガビーン。浅はか過ぎた、私はかなり浅はかであったと思った21才の冬でありました。


 もちろん、こういう境遇に育とうが、ちゃんと生きてる人は大勢いると思います。その子も今どうなってるかは知りません。
 でもね、犯罪っていうのは、人間がするものです。人間は生き物です。計算式じゃないので、ひとつの理由が直結するわけがないんです。


 今地域では、地域で犯罪者を狩り出すような防犯ボランティアをすることが盛り上がってたり、公園の木々を伐採して見通しをよくすることを識者がほざいてたり、大して効果もない監視カメラにお金がつけられてたり、うちの父親までにださいといわれてるユニフォーム作ってたり、ゲームやインターネットがその理由とされてます。

 そうでしょうか?

 それを規制することが犯罪防止になるでしょうか。
 わたしはそれは違うと思う。犯罪者は生まれながらのモンスターなんでしょうかね。


 貧困や障害や人生への希望のなさがよほど大きな関連をもっていると思います。


 「平等幻想は終わった」そうかもね。そもそも、そんなもんもない人もずーっといたでしょう。識者の脳内で勝手に時代を作って、終わらせたり始まらせたりして、ニュータイプとか出現させて遊ぶのはやめたらと思います。
 現実を述べている人に政治的動きで茶々いれたり、イデオロギーでレッテルを貼るのもやめたほうがいいと思う、意味ないし、かっこ悪い。


 児童虐待があれば「児童相談所の介入が遅れたんじゃないのか」、「学校の先生が気が付いてたらよかったんじゃないのか」「親がきちがいなんしゃないのか」。
 そんなふうにすぐ犯人探しをはじめる言説状況を見ていて、それも違うと思う。そういうのにふきあがってるだけ人みてても、私はとても冷めてしまいます。

 人間関係や家族関係ってそんな単純じゃないはずです。
 他人におせっかい焼くのも大変気を遣うことです。
 
 でもね、私は、その男の子と親を何とか救おう、何とか力になってあげよう、何とか理解しようとする気持ちがある世界のほうが、ずっと生きやすい世界ではないかと思います。


 で、おせっかいなんて、ずっとできるもんでもないしさ。
 
 なんか人間って性善説でもなく、性悪説でもなく、性弱説なんじゃないかな、とうっすら思ってるわけなんですけど。人間は「わら」にすがったり「いわし」祈ったりしちゃうんだもん。


 このエントリー読んで不快に思う人もいるかもしれません。最初に謝っておきます。
 ごめんなさい。

 でも「累犯障害者」山本譲司著はぜひ読んでみてください。