何が起きてるんだろう? | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

何が起きてるんだろう?

子供向けや保護者向けにどういった「不審者対策教室」が行われているのか、ちょっとご紹介しようと思います。国崎信江氏危機管理アドバイザーの著書「犯罪から子どもを守る50の方法」という本から抜粋します。「防災教育チャレンジプラン」「国立教育政策研究所 生涯学習政策研究部 防災学習の支援システム構築のための調査研究メンバー」とかやってるらしいです。赤字の部分は非常によく使われる言い回しとして世俗的(一見わかりやすい、もっともな)表現です。

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■私が行っている不審者対策の講演や防犯教室では、まずはじめに参加者の皆さんに「自分が思う不審者像」と絵に描いてもらいます。書き終わった絵を張り出してみると、ほぼ男性を描いていることに気が付きます。人相や服装もだいたい似通っています。黒いサングラスをかけていたり、痩せ型で帽子やサングラスをつけていたり、身なりがだらしなかったり、多くの人が「不審者」=「だらしない服装をした無職風の40歳くらいの男性」といった典型的なイメージに縛られていることです。男性が犯人であることはたしかに多いものの「まさかあの人が犯人だなんて・・・」といわれるような人がしばしば事件を起こしています。

「不審者はこんな人」と親や教員が思い込み、知らず知らずのうちに子供にそれを植え付けてしまっていませんか?不審者らしからぬ不審者があらわれたとき、その思い込みが子供から警戒心を奪ってしまうのです。

まあようするに全員不審者だと思えと。


このような「お子様スタイル」がおすすめらしいです。

防犯スタイル

すごいなー。非常事態態勢のようですね。


■専用バスでの送迎やICカードの導入など、学校よりも一歩先を行く塾の防犯システム。子供の安全を守るサービスやアイディアを学校でも取り入れてほしいと思う人も多いのではないでしょうか。首都圏を中心に展開する進学塾の「トーマス」ではICカードを導入し、生徒の塾と到着時間と退室時間を保護者にメールで送信するサービスをはじめています。「○○さんは9月20日午後5時25分に三鷹校に入室しました」などのメールが自動的に送信されます。月額500円。 塾と学校間で防犯情報やシステムを共有化し、単体ではなく全体で子供の安全を考えていけたらいいと思っています。

防犯対策っていうよりも管理したいだけな気がするんですが。これは私が以前取材したときも思いましたが、セキュリティ産業への問い合わせは「塾」の関係者が非常に多いとのことでした。


■私は子供に関する事件の記事は、どんな小さなものでも必ずスクラップブックしてファイルにまとめています。そして折りにふれて読みかえすことにしています。過去に起きた事件を見直すことで、類似事件が起きた際の対処法、対応の甘さや遅れ、とるべき防衛策など見えてくることがたくさんあります。亡くなった子供の悲しみを忘れず、同じことを繰りえさないためにも事件から学ぶ姿勢が大切です。

このへんは被害者の論理をそのまま受けてますね。


■私がココセコムでよく使うのが「しらせてコール」という機能。「携帯で話すほどではないけれど、一応無事を確認したい」そんなとき、「しらせてコール」でピッと信号を返してくれます。「あっ、無事なんだな」と思えるだけで安心なもの。私はこの「しらせてコール」を1日に何度でも使っています。

・・・あなたが携帯依存では?という気がしないでもないんですが。



■私も以前、当時4歳だった息子を迷子にしてしまったことがあります。スーパーのレジでふりかえると下の子がいない。うしろにいるものと信じて、目を離した際に消えてしまったのです。店の人や警察も巻き込んで大騒ぎした結果、約1時間半後に店から1㌔ほど離れた場所で泣きながら発見されました。目を離した私の責任です。子どもが見つかるまでの時間は思い出しただけで血の凍るような恐ろしい時間でした。

この人から見たら私って血も凍る女なのかなあ(泣)


■最近の学校の防犯訓練は学校単独では行わず、地元の警察や民間の防犯コンサルティング会社に指導を依拠して実施するのが主流のようです。まずは学校の防犯訓練の日程をチェック。実施予定がわかったら「ぜひ見学させてほしい」と申し出てみましょう。来客の役なので訓練に参加するのもよい方法です。訓練の様子をじかに見ることができるだけではなく、訓練に協力することにもなります。防犯訓練を見学する際には以下の点をチェックしてみましょう。

教職員同士の連携はスムーズか

訓練後には反省会を行い問題点を検証しているか

訓練内容をアップデートしているか

緊張感をもって訓練が行われているか

教職員の役割分担はできているか

ほかいろいろいっぱいなんとでもケチつけられるチェック項目がズラリと並びます。学校への文句のつけかたです。学校も大変だなあー。


■宮城県気仙沼市気仙沼小学校では2002年から、保護者の有志が集まって学校ガードボランティアを組織しています。午前、午後、登下校の3シフト制で校舎内、校庭を腕章をつけて巡回しています。

ホラーハウススクールだなあ・・。「学校の怪談」?


防犯対策は決して一人ではできません。家族、学校、地域の人々、警察や自治体・・・地域全体を巻き込んだ組織的な活動こそ犯罪を防ぐ唯一の方法なのです。

地方のさびれた商店街とか悲しくなるのはわかりますけど、空きビルを「民間交番」に利用しましょうって、違うよ・・・。経済のほうの問題でないの?

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この国崎さんという方は阪神大震災で子供が多く亡くなったことが「危機管理アドバイザー」になるきっかけだそうな。まず、防犯と防災ってぜんぜん違うと思うんですけど、いろんなところでいっしょになってますね。結局この方も締めが「地域共同体復活」みたいなロジックなんで防犯と防災がそこいっしょになっちゃうのかな。防災も「地域全体を巻き込んだ」対策なんで。結局「警察の対策ベース」でまとまっているわけですね。


茶化しててもしょうがいないので、矢部史郎さんの本「愛と暴力の現代思想」から抜粋します。矢部さんの文章は正しいとか論理的かというと違うと思います。もうそのオチをサブカルとくっつけて語るのもどうかね、とも思ったりもする。「現実」的ではないとも思います。でも私は「大切な」文章だなあと思います。


 国会の災害対策特別委員会の議事録を一読してみるといい。連中はすっかり戦争気分だ。「災害に立ち向かう」だの「危機管理」だの「初動態勢」だのといった威勢のいい言葉が、与野党かまわず飛び交っている。


阪神大震災から、どのような教訓を引き出すかについて考えていくと、二つの対立する教訓を引き出すことができる。ひとつは権威主義的な教訓である。政府の対応が遅れたために被害が「拡大した」、政府は危機管理体制を高めなければならない。ボランティアの活動を積極的に評価し、これをさらに組織しなければならない、云々。


 政府の対応の遅れが被害を拡大させたという教訓に対しては、逆の教訓、政府の介入が遅れたので現場の混乱が避けられたという教訓も立てられる。


 実際、地震災害の危機管理が執拗に繰り返されるのは、阪神大震災の被害が甚大であったからというよりも、危機管理論者たちが依拠してきた信念、都市災害による大衆大パニックという神話が現場でくつがえされてしまっていることだ。


 被災した人々は国家が介入しようがしまいが、事前の備えがあろうがなかろうが自発的に互助的に災害にあたる。組織されない普通の住民は各各が良識に基づいて冷静に行動する。

なんの権威にも組織されていない普通の人間は臆見や号令で人を殺すことはない。


現在の防災事業について考えているとき、昔読んだ漫画を思い出した。パニック論が流行した70年代に諸星某漫画家が描いた短編である。細かい部分が忘れたがあらすじはこんなふうだった。主人公の少年が東京のある繁華街に赴く。ビルの高みにたって繁華街を眺める。大通りのスクランブル交差点を眺めながら、彼はある疑問にとりつかれる。誰もがばらばらに違う方向に歩きながら、なぜ誰もぶつからずにいられるのだろう。疑問にとりつかれた少年は地下に降りる。地下街をさまよううちに少年は秘密の入り口を見つけ、誰にも知られていない秘密の地下道に入り込んでしまう。地下道の最奥で彼は巨大なネジを発見する。ネジに触れ、少しだけまわしてみる。そのとたん、地上のスクランブル交差点は秩序を失う。人々はぶつかりあい、喧嘩をはじめパニックに陥る。


諸星某という漫画家がこの短編で何を描こうとしたのかよくわからない。とにかく不快というだけで意味不明である。かろうじて解読できたのは彼が人々の秩序に対して抱いた憎悪である。


 私たちは普通に生きたい。大地震に見舞われてもしも運良く生き残ったら、人に助けを求め、助けを求められ、助け合い、あるいは助けが及ばず見殺しにしたり、見殺しにされたりして嘆きながら、生きたい。地震災害への備えのために緩慢な死を要求されるぐらいなら、なにも妄想せずにきちんと生きたい。


私は目の前に迷子になって泣いてる子供がいたら助けます。

震災に遭った友人が言った言葉で忘れない言葉があります。

「避難所に行ってはいけない。あれだけの人間が集まるとロクなことはない。遠くまで歩けない高齢者や障害者の人を優先すべきだと思う。大阪まで歩いていって、とにかく今、助けてください、家泊めてくれ、この恩はぜったいいつか返します、お願いしますって言うのが一番いいと思う。・・・だって梅田はバーゲンやってたんやで。」


メディアだってほんとうはそういいたいのではないか、と私は本心は信じたいのです。でも一部の人がたとえば助けてくれた人を裏切るかもしれない、まあ裏切る人もいるでしょう。でもそれが怖くて言えない。それを堂々といってしまう矢部さんはやっぱりかっこいい人だなあと私は思います。