あのころな「かんじ」から、いまな「かんじ」へ | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

あのころな「かんじ」から、いまな「かんじ」へ

今日、本屋さんで中野翠氏がサンデー毎日に20年書き綴ったコラム集「コラム絵巻」があったので、資料で買ってみた。内容がおもしろいというよりあのころの「言い方」のかんじと現在へのつながりが非常にシンボリックに集約されているという意味でおもしろかった。っていうか、わかりすぎるくらいわかりやすい・・。


1993年 私だったかもしれない 「連合赤軍事件判決」

 2月19日の夕刊を複雑な気持ちで読んだ。1972年の連合赤軍事件の三被告に上告棄却の最高裁判決が出たという記事。これで永田、坂口両被告は一、二審通り死刑ということになった。

 この判決をどう思うのかと新聞社などからコメントを求められたが、うまく一口では言えそうもないのでパスしてしまった。自分が生きてゆくに必要なだけの教訓はあの事件(「あさま山荘事件」よりも、むしろそれに先立つ「大量リンチ事件」のほうが私には衝撃的だった)から学んだと思っているのだが、それを他人にもわかるように筋道立てて説明できそうもないのだ。(略)

 1972年当時私は左翼的運動にいろいろな疑問を抱きはじめていて意地をはるようにして「政治嫌い」になって趣味的な映画や本に慰めを見出すという、今にして思えば一種の「おたく」的態度で「政治の季節」に対抗していたつもりだった(略)

 彼らは俗世的な私利私欲をめぐって、殺し殺されたわけではない。彼らを突き動かしていたものは、グループ内の「共産主義化」という抽象的な観念である。思想に対して「誠実」であり、「純粋」であり、「真面目」であること-見ようによっては彼らは一般的に美徳とされているものを突き詰めたあげく、あのような陰惨な結末へとたどりついてしまったのだ。私はあまり美徳には恵まれないが、それでも妙に超俗志向で生真面目なところもあったからとても他人事とは思えない恐怖を感じだのだった。(略)

 ↑まだかなり同情的です。


1994年 イデオロギーに代わるもの 「オウム真理教」

今日は3月30日。オウム真理教に対する強制捜査が始まって1週間がたった。昨年あたりから少し気になっていたが、オウム真理教がこの数年の間にあまりにも変質変貌していたことに驚く。(略)

テレビのニュース番組では、あるキャスターが「オウムには高学歴の理科系専門職」の人が多い。科学的で合理的な思考をする人たちが、なぜこういう非合理的なものに吸い寄せられるのか、不思議ですね」とコメントしていたのだが、私はそれを聞いて反射的に「馬鹿な。何を寝ぼけたことを言ってるんだ!そこが今なんじゃないか。今の日本なんじゃないか。略」

 昔のちょっとばかり真面目でものを考えられる若者だったら、すぐそこに左翼思想、唯物史観、マルクス主義というものがあって、それを支持するかどうかという緊張関係の中で思想的トレーニングをすることができた。

 それは肯定するにせよ、一つの大きな世界観であり、歴史観であり、人間観であり、また人生論でもある-というかたちで存在していたのだ。

 それが80年代にすっかり力を失った。しかもそれにとって変わるような目覚しい思想は打ち立てられないし、人間関係も希薄になるばかり。思想的空白状況。「文化的知性」の衰弱(ということは、最近の若者映画を見ると、絶望的によくわかる)。(略)

 ↑このへんは、変だと思うけど、まだわかるよってかんじである。同情してる。


1997年 あのゲームに八つ当たり 酒鬼薔薇事件

困った。神戸の小学生惨殺事件のことが頭から離れない。こんなにおびえてしまうなんていい歳をして情けない。

 私を特におびえさせているのは、あの事件が殺害だけでなく、遺体をめちゃくちゃに玩弄しているところだ。続報によると同一犯かどうかわ不明だが、あの地域ではあの事件に先行して小動物の惨殺事件が何件かあったという。やっぱり・・・。

 以前から、と言っても特にこの3、4年のような気がするが、小動物の惨殺事件が各地で頻発していて、私はそのたびに、頭が爆発しそうなほど激しい怒りと恐怖を感じていたのだ。何といっても卑怯さが嫌だ。(略)

 なんて力んで書くのも空しい感じがする。卑怯なんて言葉ももはや死語のようなものなのだから。

 だいたいですねー、日本人全般かおかしくなっていると思いますよ。ガサツに、すさんでいると思いますよ。

 「たまごっち」なんていう、命を弄ぶゲームに平気で飛びついたんだから。「かわいい」「面白い」なんて喜んだんだんだから(あーついに書いてしまった。「たまごっち」なんて私は書いたり口にするだに恥ずかしい、と思っていたのに)。

 バーチャルなキャラクターとはいえ、育児、保育そのものが、つまり命を操作すること自体がポイントのゲームなんて悪趣味だと思う。世の中にはいろんな悪趣味なものがある。あって、いい。構わない。規制は基本的には野暮なことだ。人々の自由な選択にゆだねられるべきだ。国民がどういう選択をするか。どういう好悪の反応を示すのか。それが国民の「民度」というやつだ。

 10代の女の子を先頭にして、日本の善男善女は「たまごっち」に飛びついた。私は呆れた。日本の「民度」は思った以上に低かったのだ。海外では輸入を拒否した国もあったが、当然だと思う。

 ↑理解不能前夜。「民度」と「たまごっち」がいかんそうです。ほんとうに八つ当たりだなあ。


1997年 「聖」より「仙」だ 酒鬼薔薇事件

 私は最初この「犯行メモ」読んだとき、「ふん、またか・・」と思った。そもそも犯人が酒鬼薔薇聖斗と名乗っていたときから私は気にくわなかったのだ。

 何が気にくわないって「聖」という言葉に対する偏執が気にくわない。

 この「ふん」という気持ちの始まりは1986年『少年ジャンプ』連載の人気マンガで「聖闘士星矢」という名前を知ったときからだ。きっと面白いマンガなのだろうが、このネーミングのセンス自体は私をげんなりさせた。どうもこの時期(もっとさかのぼれるような気もするが)から「聖」という言葉に偏執する世代が出てきたような気がする。(略)

 子供たち、若者たちが「聖と俗」という発想にすっぽり絡めとられているのは私は何とも腹立たしく、じれったい。

 日本には古来「仙と俗」という面白い素敵な発想があったじゃないか!「聖」ばかりいって、なぜ「仙」という境地を考えないのか!-と。

 私たちは俗世間の中で生きている。俗世間が醜くばかばかしいことがたくさんある。生活の根拠は俗世間の中に持つしかないが、しかし、精神的にはそこから非難したり超越したりもしてみたい。何か超然とできる世界がほしい。

 というのは多くの人々の願いだろう。しかしそういうパッション「聖人」方向ばかり向かいというのはおかしい。「仙人」方向のほうがなんだかのんきで、おだやかでいいかげん風でいいじゃない?東洋的なゆとりがあるじゃない?(略)

・・・文化が断絶してしまったのね・・・とつくづく勿体なく思われる。

 ↑いやもう、その「聖」の字、一字しかあってないんだけどね。処方箋が「仙」だそうです。文化ですか・・・。文化と殺人の過剰なる結合であります。


 このへんまで読んで怒ってる人いるかもしれませんが、このエントリーは中野氏を責めようとするものではないです・・あまりにあまりになのでかばっておくけど。

ほんとうに混乱しているのがよくわかる、ただ「文化」の地平からしか語り口がないのでこうなってるんかなー。

最終的に、やはり「東洋」なんだとだんだんと保守化していき、そしてイラク戦争のときのタイトルは「反戦有名人のいやみ」である。・・・わかりやすい・・。


2002年 ノスタルジーごっこ 

 「昭和30年代って、つかのまバランスのいい時代だったんだよ」と作家の橋本治さんが言っていた。ずいぶん前。昭和は終わり、平成に入ってまもなくのことだった。

 あの言葉はいったいどういう意味だったんだろう。10年以上たって、近頃しきりと思い出す。あのときは、とっさに「都会」と「田舎」のバランスのことを言ってるんだなと解釈してしまい、それ以上は突っ込んで聞かなかった。

 骨董一やアンテナショップで昭和30年代のガラクタを見つけるのが私の道楽なのだけれど、近頃はこれに妄想趣味が加わった。「もし昭和30年代のある一年にタイムスリップできるとしたら、何年に設定しようかな」と思いめぐらし、記憶と地域を総動員してその年の中にいる気分にひたるのだ(略)

↑・・・そうですか・・。


2003年 不思議なロリコンマーケット 

子どもをめぐるショッキングな事件があいついでいる。長崎の幼児誘拐殺害事件に呆然となっていたら、今度は東京の渋谷・赤坂を舞台に小学校6年生の女の子4人の奇怪な監禁事件が発覚した。

容疑者の20代の男は自殺していて、いっそう、謎を深めているが、その私生活は「援助交際」「ブルセラ」「児童ポルノ」など、これでもかっていうくらい、今どきの性風俗で彩られている。

こういう事件に接して、私が何よりも驚き呆れるのは、子どもを対象としたマーケットの強大さだ。イヤな言葉なので書きたくないが、世間でいうところの「ロリコン」方面の商売ね。

それが私たちの国では凄くいい稼ぎになるらしい。このマーケットを支えている人たちが、ぶあつい層を成して存在している。不況だの何だのいわれている中で、なけなしの金をはたいてでも少女たちの性的妄想に酔いたいという人が穏便なのから過激な好みの者まで一大グラデーションとなってこのマーケットに貢いでいるのだ。

(略)男ばかりでなく、女の人たちも少年を性的対象として「愛でる」趣味が強い。ジャニーズ事務所のほぼ40年にわたる軌跡を考えると、この趣味においては日本は世界的に突出していて、洗練のに達しているとさえ思われる。(略)
↑はあ・・・。ジャニーズはいいんですね・・・・。