昨日、Amazonで注文していた安藤健二著「封印作品の憂鬱」という本が届き、今日までに4分の3を読みました。この本は安藤が書いた「封印作品の謎」、「封印作品の闇」に続く、今では合法的手段では見ることができない作品群を扱ったルポルタージュです。今回取り上げられたのは三作品。日本テレビ動画制作の「ドラえもん」、「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」、みずのまこと版「涼宮ハルヒの憂鬱」の3つです。このうち私は「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」を見たことがあります。私が見たのは TBS で放送された時と確か CS のキッズステーションで放送された時です。他の二作品はまったく見たことがありませんし、みずのまこと版「涼宮ハルヒの憂鬱」に至っては存在さえ知りませんでした。このうち現在合法的手段で一部が視聴可能なのは日本テレビ動画制作の「ドラえもん」のみです。なお、「封印作品」というのは安藤健二の造語です。以下、安藤の一連の著作を封印作品シリーズと呼ぶことにします。


封印作品シリーズに共通しているのが、その科学的視点です。まず作品自体を視聴して封印された理由を客観的な視点で検証。次にインターネット上で流布している「封印理由」を客観的視点で検証。そして関係者に取材して封印理由を明らかにする。安藤も著書で書いていますが、封印作品シリーズのテーマは封印作品の封印の是非を問うことではなく封印された事実を客観的に記述することにあるのです。


このシリーズで感心させられるのは取材対象が実に広範囲であること。今回取り上げられた「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」に関しても「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」に特化した内容ではなく、「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」主要関係者の足跡や「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」が作られた時の社会情勢にまで踏み込んで書かれていることです。これは安藤自身が書いている通り、安藤が特撮やアニメと言ったその作品の分野に精通している人物ではないからできることなのだと思います。たとえば特撮専門のライターであれば円谷プロから情報をもらっている関係上、円谷プロの暗部に触れることを躊躇する傾向にあります。安藤の本にも、取材拒否をされたり、いったん取材を受けると答えながら、しばらく経って「やはり応じられない」と言ってきた人が何人も出てきて取材が暗礁に乗り上げたことがある、と書かれています。「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」では封印の元凶となった人物である円谷皐やソンポート・セゲンチャイの半生についても触れています。


実は私はウルトラシリーズについて疑問に思っていたことがありました。なぜ平成ウルトラシリーズ三部作に旧作の怪獣や(初代ウルトラマンを除いて)ウルトラ兄弟がまったく出ず、ウルトラマンがM78星雲の光の国から来た設定にならなかったのか? なぜ今まで新マンと呼んでいた「帰ってきたウルトラマン」に登場したウルトラマンを「ウルトラマンジャック」と呼ぶようになったのか? 前者は本放送当時、M78星雲の光の国から来たわけではないのならウルトラマンと呼ぶ必要はないし、別の名前で呼ぶべきではないのかと思いました。後者については今まで新マンという名で親しんでいたのにいきなりジャックと呼ぶのはおかしいだろうと違和感を感じました。この2つの問いに対する本当の答えが、この本を読んでわかったような気がします。このように、この本は封印作品だけではなく、その背景についてもいろいろと考えさせてくれます。


安藤も書いている通り、封印作品を取り上げることはタブーになってきており、封印作品を取り上げたルポが封印されそうになるという笑えない事態も起きているようです。そのため、封印作品についてはいろいろなデマがインターネット上でも流布しています。「サンダーマスク」なんかはその好例だと思います。デマが流布するのはよくないことなので何度か注意したことがあるのですが、注意した行為事態が注意される状態に陥っています。世の中は事なかれ主義に陥っているようですが、これは言論の自由に反する危険な事態だと私は思います。