長い間、ご無沙汰しておりました。本業の方が忙しくてなかなか時間が取れませんでした。今回は石堂淑朗さんが書いた必殺仕掛人 第27話「横をむいた仕掛人」を取り上げます。実はこの話、ウルトラシリーズとの共通点が多く見られるのです。なお監督は朝日放送出身の大熊邦也です。
冒頭、キリシタンの非道ぶりを音羽屋半右衛門は強調します。異人を描いた当時の浮世絵が画面に映し出され、キリシタンや神父の非道ぶりが強調されていく演出も見逃せません。音羽屋曰く「紅毛人がなにやら変な手つきで呪文を唱えるってえと、その場で男と女が淫らなことを始めるってえんだ。」梅安が淫らなことなら私が隙だというと音羽屋は「そうやって騙して人間の生き血を紅毛人の奴ら毎日ぎやまんの杯に入れて飲んでる。そんな奴らにこの国を荒らされたらたまったもんじゃない。」梅安は、好きでキリシタンになってそうなっても自業自得だろう、と最初乗り気ではありませんでしたが、「娘をたぶらかされた親」からの依頼でしかもその娘が綺麗だと知るやいなや「行きます、行きます」と答え、(梅安より一足先に乗り気になった)岬の千蔵とともに京へ行きます。
京についた梅安と千蔵。梅安は「あおによし京の都は咲く花の…」と言いますが、千蔵は冷たく「奈良の都は咲く花の…」と突っ込みます。梅安の答えは「知ってて言ったんだよ。」本当か? 梅安がのんびり歩くので千蔵は「期日刻限までに着くから必着仕掛人と言うんだよ。」と駄洒落をいいます。今回はこういう小ネタが多く、コミカルな演出が随所に目立ちます。
さて茶店で噂を聞きつけ、梅安と千蔵は四条河原でキリシタンの処刑を観ます。処刑されるキリシタンの娘が泣いていて「お母ちゃん」と叫びますが、奉行の谷田(穂積隆信)がその娘を邪険に扱います。これを見た梅安は早くもキリシタン処刑に疑問を抱き、「相手は子どもじゃないか」と役人に言いますが、この段階では「バテレンが悪いんだ」と考えます。
場面変わって神父(大月ウルフ)登場。処刑されたキリシタンのために祈りを捧げています。そこへ竹造(河原崎長一郎)という男が先程の娘を連れてやって来ました。娘が熱を出しているというのです。竹造は先程の場面にも出ており、梅安と千蔵もしっかり目撃しています。竹造は神父に逃げるように言いますが、神父は心配ないと答えました。
さて頼み人の町田屋は娘のしのを谷田に嫁がせようとしていました。実は町田屋は谷田と組んで御禁制の品物を売って大儲けしていました。それもあって町田屋は神父を始末しようとしていたのです。実は竹造は町田屋の手代でした。
しのを神父のところに手引きしたのは竹造でした。しのの洗礼名はイザベラで竹造の洗礼名はミゲル。ミゲルは四条河原の話とイザベラに神父を連れて逃げようと思っていることを伝えますが、イザベラは自分も一緒に行きたいと言います。イザベラは谷田と祝言をあげることが嫌だったのです。そしてイザベラは家出し、ミゲルと一緒に神父のところへ逃げました。
しのがいなくなる直前、谷田から神父捕縛計画の話を聞いた町田屋は慌てて梅安と千蔵に神父殺しを急ぐように頼み込みました。梅安が、自分達は京に突いたばかりなのにすぐわかる訳ないでしょう、ともっともなことを言って町田屋を困らせました。ここで千蔵は一計を思いつき、町田屋にこういいました。しのは神父の居場所を知っているから、捕物が計画されている話をすれば、神父のところへ報せに行くはずで、そこから神父の居場所もわかる。これを聞いて町田屋は部屋を出ていきました。梅安「千ちゃんは、頭回るねえ。」調子に乗った千蔵は「元締は梅安さんの(自分の頭を指さし)足りないところを補ってやれと、こうおっしゃっておりました。お役に立てて私は嬉しい。」と余計なことを言ってしまいました。これを聞いた梅安は無言で針を投げました。すると千蔵の持っていた湯呑茶碗が真っ二つに。この時の千蔵の顔が見物です。調子にのってはいけませんね。
前述のとおり、しのはいなくなってしまいました。竹造の態度から、梅安はイザベラとミゲルの関係に気づき、千蔵にミゲルの後をつけるよう命じました。梅安の睨んだとおりで千蔵は神父の潜む荒寺を見つけ出すことに成功します。
ミゲルとイザベラ、そして信者たちは神父に逃げるように言いますが、神父はこの状況を達観しており、どこに逃げても無駄、それより皆の幸せを願って祈ろう、と言います。だが信者達の懇願に折れ、一緒に逃げようと言いました。梅安と千蔵は、どうせ昼間は動けない、と睨み、その日は昼寝して夜に仕掛けようと算段。町田屋と千蔵とのやりとりがおかしいです。まず千蔵は夕方まで起こさないように言います。町田屋が帰ろうとすると、「やっぱりね、昼飯と晩飯は起こしてくださいね。」また町田屋が帰ろうとすると「とびきりの京の味でね。」またまた町田屋が帰ろうとすると「なんでもないんだ、な。」じゃあ、呼び止めるなよ、と町田屋が思ったかどうかは定かではありません。
夕方になり、痺れを切らせた町田屋が「いつまで寝ているつもりかね」と部屋を覗こうとすると、ちょうど梅安と千蔵が出ていこうとするところでした。
神父たちの潜伏場所に到着した梅安は神父が先程の高熱に苦しむ娘を手術しているところを目撃。懐から針を出して仕掛けようとしますが、祈りを捧げる神父と信者達を見て心境が変わったのか、それとも踏み込む隙を見いだせなかったのか、仕掛けようとしません。そこへ役人が。「捕まったら、俺達もバテレンの仲間たちにされてしまう。」という千蔵。梅安は一旦退散…と思ったら、梅安は捕り方の笑いツボに針を刺しました。笑い転げる捕り方を見かけた他の役人は「バテレンの魔法だ」と退散。神父の方は「おお、奇跡ね。奇跡です。」と感動します。出エジプト記で海の水をわけて逃げた話を神父はします。
ここで梅安と千蔵は神父たちの前に姿を現し、種明かし。神父にこう言います。「お前さんを殺すのが私の仕事だが、お嬢さんを返してくれるなら、見逃してやってもいいんだよ。」しかし、イザベラは帰ることをきっぱり拒否。「やっぱり張本人をやらなきゃダメか」と梅安が言うと、ミゲルを筆頭に信者達は、自分を殺せ(その代わりに神父を助けろ)、と口々に言います。見かねた神父はこう言いました。「コノ人、私、殺セバ、仕事済ムネ。」梅安「そういうことだ。」これを聞いた神父は「殺シナサイ。タダシ、私、殺シタ後、誰モ、殺シテナラナイ。」千蔵が「当たり前だ、許せぬ人でなししか殺さないんだ」というと、ミゲルが反論。バードレー様はひとでなしではない、幕府がキリシタンを処刑するのはキリスト教が自分に都合が悪いからだ。だから迫害しているのだ。店で愚鈍な様子をみせているミゲルとは大違いです。そんなミゲルを神父は制し、梅安に言いました。「サア、殺シナサイ。」
ここから神父と梅安、ミゲル、信者達のアップ(先程の娘は泣く)がかわりばんこに映ります。梅安は針を構えるのですが…
梅安は針を持った右手を下ろしてしまい、さらにこう言いました。「今日はやめた。」ビックリする千蔵「え!? やめた?」さらに梅安は叫びます。「やめた。」目を覚ました役人にまた針を刺してから、「今日は気が乗らねえ」と言って立ち去ってしまいました。いいのか、梅安。千蔵は後を追いかけるしかすることがありませんでした。
京の居酒屋で梅安は一人考え込みました。音羽屋の言葉を思い出します。「特にバテレンの魔法ってやつは梅安さんにかかりやすいようだから、気をつけてくださいよ。」梅安はこうつぶやきます。「なーにを言ってやんで。相手はただの人間じゃねえか。」梅安のこの言葉が今日のテーマと言えるものなのでしょう。さらに女郎屋で情事。そこでも考え込みました。
その頃、谷田は町田屋を詰問。娘のしのがキリシタンだと知り、彼女を自分に押し付けようとしたことを問題視したのです。そしてお前の代わりはいくらでもいる、とばかりに斬り、向きは町田屋の切腹として処理しました。これを梅安は見ていました。
翌朝。川の岸辺でミゲルとイザベラは神父の前で結婚。結婚式の最中、梅安は千蔵と合流。町田屋が死んだので仕事はなしになったと千蔵に言った後、梅安は神父たちの前に現れました。何をするのでしょうか? 梅安は神父に役人が迫っていることを告げ、さらにイザベラには「おとっつぁんがね…」と言いかけ、町田屋が死んだことを伝えようとしましたが気が変わり「あんたに幸せになるように言ってくれと」と告げました。喜ぶイザベラ。神父たちは小船で逃げるとつもりでした。そこへ役人が。神父は、役人は自分が目当てだからあなた方は逃げなさい、と信者達に言いますが、信者達は「バードレー様こそ逃げてください」と譲りあいます。おいおい(^_^;)。じれた梅安は捕り方相手に大立ち回り。祈る神父に対する梅安のセリフは「そんなことする必要はないんだよ。俺は日蓮宗だからよ。」そうだったのですか。神父たちはなんとか逃げました。成り行きで千蔵も信者達を助ける羽目に。なんか、千蔵が可哀想です。
梅安は捕まり、絵踏みを強要されますが徹底的に拒否。「こんな褌一丁の、こんな痩せこけた奴踏んでどうなるんだ?」「あんた、百姓の倅かい? おとっつぁんによ、朝っぱらから麦踏め、麦踏め、と言われて育ったんだろう。」そんな事ばかり言って梅安は絵踏みを拒否。そして…
翌日。櫓の万吉が京都へ来てみれば処刑が行われています。見ると梅安が十字架にかけられています。ビックリする万吉。さて梅安はというと「せめて湯豆腐、柴漬けでも茶漬けでいいから食って死にたかったなあ。」とぼやいています。ふと処刑人を見ると、処刑人は千蔵と万吉でした。無理やり入れ替わったのです。千蔵「死んだふり、死んだふり。」千蔵と万吉は槍を突いたふり。梅安は大げさに叫び声を上げて死んだふり。自分でやらせておいて千蔵は「臭い芝居だなあ」といいます。勝手な人ですね(笑)
千蔵と万吉は梅安救出に成功。「梅安の死体」が乗る大八車を梅安は止めさせました。神父たちは蝦夷へ向かって逃げたと聞いた梅安。千蔵「梅安さん、江戸へ行くの。向こうだよ。」ところが梅安は「やり残したことがある」と言って京の街へ引換してしまいました。千蔵「湯豆腐食うの? 柴漬けかい?」
その頃、谷田は別の商人相生屋(神田隆)と組んで一儲けしようと話を持ちかけていた。そこへ梅安登場。「地獄の一丁目から忘れ物をとりに来たぜ…てめえの命。」谷田は梅安の敵ではなく、あっさり死亡。梅安「谷田様はまだお若いのに脳卒中とはお気の毒ですねえ。」ビビって何も言えないとはいえ、相生屋は殺らなくていいのでしょうか? いい加減ですね(笑)
最後は江戸へ向かう梅安達三人。梅安「ミゲール、イザベーラ、アントニオ、イグナチオ、バイアン。」千蔵「おい、万吉、見ろよ。梅安さん、バテレンになっちゃった。」梅安「産めよ、増やせよ、全ては神の思し召しだ。アーメン。」笑う一同。千蔵「しかし、今度の仕事はひどかったねえ。元締も何考えてるのかねえ。」偉そうに万吉は「元締は教養ねえからなあ。」梅安のセリフがふるっている。「あの人は宗教問題、無知だからねえ。」皆笑って笠投げておしまい。おいおい。こんなのでいいのか? 余談ですが、江戸時代に教養とか宗教とかいう言葉はありません。明治時代の造語です。
とまあ、これが話の概要ですが、この話には石堂淑朗が書いたウルトラシリーズとの共通点が見られます。それは反権力がテーマであるということと梅安達がチンピラのような言葉づかいをすることです。石堂は元々松竹で大島渚などと組んで松竹ヌーヴェルヴァーグの中心となった人です。「日本の夜と霧」を大島渚と一緒につくっています。ウルトラシリーズに参加したのは橋本洋二プロデューサーの線からです。ただ同じ出自を持つ佐々木守とは違って橋本とツーカーというわけでもなかったようで、どこか醒めたところがありました。一部のファンには悪評ばかりのウルトラマンタロウ 第39話「ウルトラ父子餅つき大作戦!」はモチロンが登場する話ですが、これも彼の反骨精神から出ているようです。このころ、石堂は怪獣を殺さない話を書いてくれと言われたそうです。石堂はこの頼みを快く思ってはおらず、馬鹿馬鹿しいと思っていたそうです。が、石堂は市川森一のように正面きって戦うことはせず、徹底的に馬鹿馬鹿しい話を書くことによって橋本洋二プロデューサーに抵抗しました。モチロンが新潟へ餅を食べるためにやってきたり、ウルトラマンタロウが餅をついて解決するのもそのためです。
梅安達がチンピラのような言葉づかいをするのも明確な意図があります。この話のテーマ上の主役は神父とキリシタン達。彼らの敬虔な姿を強調するには、下品な人物を登場させて対比するのが効果的です。白羽の矢が立ったのが梅安です。元々梅安は西村左内よりも俗人なところがありました。西村左内を演じる林与一のスケジュールの都合もあって、梅安独りが仕掛けを行なうことになったのです。また梅安は視聴者の目になる役目も担っており、梅安が仕掛けをキャンセルするのが納得いくように説明する役目もになっています。
こんなふうに石堂は反権力の人ですが、戦い方も心得ている人でした。ウルトラマンレオでは二本しか書いていませんが、二本とも面白い作品でした。橋本洋二プロデューサーに尻尾を振って媚びた田口成光と阿井文瓶とは物が違ったと言えるでしょう。ウルトラマンタロウとウルトラマンレオの失敗は、橋本洋二プロデューサーへの戦いを放棄して媚びた人をメインに起用してしまったことにあるのかもしれません。