四日市には奇妙な外観をしたビルが結構たくさん建っています。
しかし、このような多様性は人々の意識の多様性であって、僕は好ましく見ています。
夏目漱石の「草枕」の冒頭にこうあります。
「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と。
自分のことはさておき、他人のこととなると厳しいのが人間の性分らしい。
人々のこう言った性分におもねってマスコミも他人にはすこぶる厳しい。
薬物問題は勿論のこと男女関係にいたるまで、特に第三者に迷惑をかけていない問題に関してまで兎に角厳しい。
マスコミに報じられたために、人生が大きく変化してしまった人々も多いはずです。
男女問題など当事者の問題なのだから大騒ぎせず、むしろそっとしておいてやるというのが品性ある態度ではないでしょうか。
日本には伝統的にそう言った土壌があったと思うのですが。
いつから、そんな品性のない風潮にかわったのでしょうか。
宇野宗介総理の女性問題報道あたりからではないかという説もあります。
全く関係のない人々が無責任に意見を言って物議をかもしだす。
ブログ、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどのSNSも炎上したりする。
自分は安全圏に置いて他人をこき下ろす。
他人の気持ちを忖度する懐深さのかけらもないのです。
僕のいる予備校業界では「褒めの教育」というのが叫ばれて久しい。
けなすのではなく褒めて子供の長所を伸ばそうとする「長所伸長法」です。
「長所伸長法」にも欠陥はあります。
最近の生徒は極度に打たれ弱い。
ちょっと怒られただけで面倒くさく感じてしまう。
雑草的な力強さがなくなってしまいました。
障害物があったら、それを避けて通る生徒が多くなったし、それを奨励する大人や親も多くなりました。
障害物を乗り越える者こそ褒められる対象となって然るべきと僕は思います。
易しい道と難しい道があったら、間違いなく難しい道を選べ。
僕は生徒に常々言い聞かせます。
若い内の苦労は買ってでもしなさい。
僕は自分の悔恨も込めて若者にうったえます。
最近の生徒は自分の限界をすぐ作ってしまいます。
ダメです。
できません。
彼等は口癖のように語ります。
自分の限界を破り、更新しながら進んでいく者は100人に1人くらいしかいません。
彼等のことを周りの大衆は変人くらいにしか思っていません。
ゆとり教育のツケかもしれません。
世の中は「成功のストラテジー」のようなものをもてはやし、それ以外は受け付けない風潮があります。
いい大学へ行って、いい会社に入れば成功というような。
しかし、そうではない。
いつか気付くはずです。
その時になって、野人のように限界を突破し難路を選んで突き進む生き方こそ本当に豊かな人生の生き方であったと思い返すことでしょう。
変人と揶揄していた自分が馬鹿だったと。
他人に厳し過ぎる世の中は創造力の乏しい世の中です。
四日市の街を巡って特徴のある建物の写真を撮ってこのブログに貼り付けてみましたが、僕のマンションから300m圏内だけでもこれだけバラエティに富む建物がありました。
まだまだ、世の中捨てたものではないかもしれません。
四日市のうなぎの銘店「きみのや」で上丼と肝焼きをたべながら。
もっと大らかに。
もっと自分流に。
もっと我武者羅に。
と心中でつぶやく僕でした。