昨日のBLOGで、ヒンドゥー教の神である『ガネーシャ』(ピッカネート พระพิฆเนศ)について触れましたが、インド大好きの読者の方から、メッセージ便で次のような質問を受けました。

『ガネーシャ』(象頭人身)は聞いたことがありますが、『ピッカネート』は初耳です。違いは何ですか?

そう言えば、『ピッカネート』のタイ文字を付記しただけで、それ以上の説明が抜けていたことに気付きました。そんな訳により、今日のテーマーは、予定を変更して、『ガネーシャ』の補足編にしたいと思います。


ヒンドゥー教の神・ガネーシャ(別名:ピッカネート)

上の写真は、バンコクの伊勢丹デパート前の広場に安置してある『象頭人身像』ですが、英語では『ガーネーシャ』(LORD GANESHA)、タイ語では『プラ ピッカネート』(พระพิฆเนศ)と書かれています。

しかし、『ガネーシャ』は英語ではなく、『群衆の神』を意味するサンスクリット語が語源だと聞いています。タイ語には、サンスクリット語を流用した単語が少なくないのですが、『象頭人身の神』は、『プラ ピッカネート』(พระพิฆเนศ)というタイ語に置き換えられています。

タイでは、毎年のように流行となる神がいて、タイ人の『ネックレスタイプのお守り』として登場する傾向があります。昨年、タイ人男性の間で爆発的にヒットしたお守りは『ジャットカーム』でしたが、タイ女性だって負けてはいません。今年のタイ女性の間では、『象頭人身像』の『プラ ピッカネート』、つまり、サンスクリット語の『ガーネーシャ』のお守りが流行っているのだとか。


タイ国内でも篤く信仰されているガネーシャ(ピッカネート)の式典

それにしても、何故に『ガネーシャ』の姿形が『象頭人身』なのでしょうか?

ヒンドゥー教によると、『ガネーシャ』は、シバ神(破壊の神)を父とし、美人の誉れ高いパールヴァーティ(戦いの女神)を母として、人間の格好をした可愛い男子として誕生しました。母のパールヴァーティ(戦いの女神)は『ガネーシャ』を慈しんで育てあげます。

ある日、母のパールヴァーティは、『自分が入浴している間は、誰であろうと入室禁止!』と『ガネーシャ』に言いつけます。その直後、父のシバ神が浴室に入ろうとするのですが、母の言いつけを守る『ガネーシャ』は、頑としてシバ神を浴室に入れません。

怒り心頭に発したシバ神(破壊の神)は、『ガネーシャ』の首を切り落としてしまいます。変わり果てた我が子を見た母のパールヴァーティ(戦いの女神)は、烈火の如く怒ってシバ神を攻めまくります。

困り果てたシバ神は、『今から此処を最初に通過する者の首を取って息子に与える』と約束するのですが、最初に通りがかったのが象だったという訳です。

この話には後日談があり、象の首を嫌がって泣きじゃくる『ガネーシャ』に手を焼いたシバ神は、『インドの民に対して、ガネーシャを最も尊敬する神として、最初に祈りを捧げるようにさせるから勘弁してくれ』と懇願します。

これ以降、『ガネーシャ』は、インドで最も人気の高い神として敬われるようになり、全ての事の始まり
に、先々の成就を祈願する人々の神となるのです。



ガネーシャ(ピッカネート)に祈りを捧げるタイの若い女性

バンコクの伊勢丹前広場(上写真)の『ガネーシャ』の説明板に次のように書いてあります。

英語ั表現:LOARD GANESHA THE GOD OF ACCOMPLISHMENT
タイ語表現:พระพิฆเนศ เทพเจัาแห่งความสำเร็จ
日本語の意訳:起こり得る障害から免れて、何事も大願成就を叶えてくれる神

日本の大聖歓喜天(聖天)さんにお目にかかったことはないのですが、同じような御利益があるのでしょうか?

最後に、バンコクのスィーロム通りにあるヒンドゥー教のワット ケーク วัดแขก(印度寺院)のカラフルな佇まい(下左右写真)を御覧戴きながら、BLOGを閉じたいと思います。