イングランド南西部のグロスタシャー州。犯罪を生業にしたコミュニティを形成し、トレイラーハウスで各地を放浪してきたカトラー一家。コミュニティの長である父親、コルビーの後継ぎであり、腕利きのドライバー役として多くの悪事に手を染めてきたチャドは、密かに悪事から足を洗おうとしていました。そして、自分のように読み書きもできない人生を歩ませたくないと考えて子どもたちを学校に行かせ、一家と離れて定住しようと家を借りる算段もしていました。しかし、絶対的な力で一族ファミリーを支配するコルビーは猛反対します。ある夜、チャドはコルビーの命令で大邸宅に押し入りますが...。

 

実話を基にした作品とのこと。イングランド、グロスタシャーを中心としたコッツウォルド周辺を脅かしていた犯罪一家で、彼らは州の犯罪の7割で告訴されていたとのこと。

 

コルビーについては、古いタイプの人だという印象を受けます。自分が家長として権力を振える状態を維持したい。だから、自分の知らないことを学ばせたくない。自分を否定する可能性のある価値観を身に付けさせたくない。法の中に納まる世界においても、無法な世界においても、古いものに縋りついて、新しいものを受け入れることを拒む勢力に抗うのは簡単なことではないということなのかもしれません。

 

犯罪者としての"成功"を目指すなら、今や、基本的な学力は必須。電気設備をいじれたり、ハッキングが出来たりということがなければ、価値のあるものを盗み出すことが難しい世の中になっています。巧く罪を免れるためには法律の知識も大切。可愛い孫が自分たちの道で成功することを考えるのであれば、学校へ行くななどと言っている場合ではないのですが...。

 

そして、チャドが自分の名前すら書けないというのは驚きでした。それ程までに、教育というものから隔絶した世界。私たちが普通だと考える世界とのあまりの落差にクラクラしました。自分の名前レベルの読み書きすらできなくて合法的な職を得るのは簡単ではないでしょう。そんな中で生きて行こうとしたら暴力的な犯罪に手を染めるしかないのかもしれません。

 

チャドの心意気を汲んで、彼が普通の社会で生きていくための手段を得る方法が用意されていれば、犯罪集団の力を削ぎ、ひいては社会が安心を得ることができたのかもしれません。もっとも、そんな方法や制度があっても、チャドのような状況で、その情報を得ることは厳しく、そこまでアクセスすること自体が難しかったかもしれませんが...。

 

何とか這い上がろうと努力し観る者の共感を誘う面と、犯罪者としての人には好かれないような面と、善と悪の両面を同時にチャドの中に存在させたマイケル・フェスベンダーの名演が光ります。

 

逮捕は、チャドが救われるきっかけとなるのか、より深みにはめていく力となってしまうのか...。その後のチャドが気になります。