イギリス軍諜報機関のキャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、ケニア、ナイロビ上空の偵察用ドローンからの情報を基に、戦地からほど遠いロンドンでアメリカとの合同軍事作戦を指揮しています。大規模な自爆テロ計画の情報をキャッチした彼女は、アメリカの軍事基地にいるドローンパイロットのスティーブ(アーロン・ポール)に攻撃を命じます。けれど、殺傷圏内に少女がいることが判明し...。

 

言いたいことは分かるような気がするのですが...。

 

でも、実際、現場の兵士たちはこのように悩んでいるのか...。本当に、こんな風に悩みながら決断を下し、攻撃をしているのであれば、まだ救われるような気さえしました。本当は、もっと、アッサリと決断を下しているのではないか、勿論、攻撃を実行する形で。こんな攻撃が当たり前になってしまっているのではないか。

 

長い歴史の中で、案外、人は平気で人を殺してきています。特に宗教が絡んでくると、異教徒を殺すことは"神に喜ばれる善行"でさえあったりするワケで、そこに、躊躇など生まれる余地はないでしょう。ほとんど、"自分と同じ種の生物である人間を殺している"という感覚でさえなく、"邪悪な存在を駆除している"程度の感覚になってしまうのではないかと...。

 

まぁ、過去の触れ合う距離にいる相手と戦う戦場とは違い、攻撃を受ける可能性もない余裕たっぷりな安全な場所にいるわけですから、相手は敵というより、標的。その分、相手に対する心のゆとりができ、相手に対する感情が生まれたりするものなのかもしれませんが...。

 

事件は会議室で起きるのではなく現場で起きるけれど、戦争は、戦場でなく会議室で攻撃が行われ、現場で犠牲者が出るということになるのでしょうか。

 

テロリストとの闘いは正義なのかもしれません。けれど、本作を観ても、テロリストと本作でテロリストを攻撃する側にいる米英を比べれば、やはり、米英が圧倒的な強者なのです。より強力な武器を大量に持っていて、安全を確保されている側が、命懸けで自分たちの理想のために戦う側を"正義"の名のもとに抹殺する、その状況を正義と認める感覚に本当に問題はないのか...。

 

攻撃に積極的な者は、それを絶対的に正義とし、その正義を拠り所に攻撃をするわけですが、本当にそれでよいのか...。勿論、少女を犠牲することを避けたことでテロが起きてしまっても仕方がないとは言えません。けれど...。

 

この先の時代の戦争の在り方の一端が描かれ、長きにわたり人類の歴史を動かしてきた戦争というものの質が大きく変化してきていることを実感させられます。

 

一方で、変化しない"権力者の責任回避"の姿勢。自分の正義を一点の曇りもないものとまで信じ切れていないからこその責任逃れなのかもしれません。

 

下手すれば、ゲームで遊んでいるようにも見えてしまうであろう本作の物語にリアルな緊張感が生まれているのは、キャサリン・パウエル大佐を演じたヘレン・ミレンをはじめとする演技派たちの力が大きかったのだと思います。

 

本当に、少女もこの先に起こるかもしれないテロの犠牲者も救う道はなかったのか。そこについての議論があまりに薄い点は気になりました。

 

テロで殺されるかもしれない人々、テロリストへの攻撃に巻き込まれるであろう少女、どちらも犠牲にしない道を私たちは考え出せるのか...。屁理屈を捏ねて犠牲者を出す言い訳を考えだすことに汲々とするのか...。自分自身の問題として考えさせられました。

 

簡単に答えを出すことはできませんし、モヤモヤした感情が残る後味の悪い作品ですが、観てよかったと思います。