1920年代パリ、日本人画家、フジタが描く裸婦像は"乳白色の肌"と称賛され、彼は時の人となった。一躍エコール・ド・パリの人気者となったフジタは、雪のように白い肌を持つリシュー・バドゥーと出会い、自らユキと名付け彼女と共に暮らし始めます。やがて第2次世界大戦が始まり、フジタは日本に帰国し戦争画を描くようになり...。

小栗康平監督は寡作なので、全作品を観たことがあるという人は少なくないと思うのですが、これまでに制作されている映画作品は、1981年の"泥の河"、1984年"伽耶子のために"、1990年"死の棘"、1996年"眠る男"、2005年"埋もれ木"の5作のみ。1981年から2015年の34年間で6作という少なさ。"眠る男"からは、映画館で観ているのですが、今回も、10年振りの作品ということで、映画館に行ってきました。

レオナール・フジタ(藤田嗣治)は、法律を学ぶためにフランスに滞在していた時に絵を描き始めていて、フランスで美術教育を受けているということもあるのかもしれませんが、日本でというより、フランスを始め、海外での評価が高い画家です。まぁ、日本であまり評価されていない一因としては、本作でも描かれている戦時中に陸軍美術協会理事長をしていたことや、戦争画を描いたことなどもあるわけですが、戦後、パリに戻り、1955年にはフランス国籍を取得、日本国籍は抹消し、1957年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られています。1968年1月29日、ガンのためスイス、チューリッヒで死去し、遺体はパリの郊外、ヴィリエ・ル・バルクに埋葬されています。

藤田嗣治が、パリで人気を博していた時期と日本に帰って戦争画を描いた時期を描いています。パリで日本画の技法を取り入れた絵を描いて絶賛を浴び、日本で西洋的な技法による戦争画を描いたフジタ。パリでも、日本でも、異邦人として存在したのでしょうか。その画風の違いは、裸婦と戦場という対象の違いによるのか、自分の意思により描いたかどうかの違いによるのか、描く環境の違いによるのか...。それとも、パリでも、日本でも、異邦人として存在したということなのか...。

ラストに登場する礼拝堂は、フジタが80歳となった1966年からフレスコ画を手掛けたランスにあるフジタ礼拝堂。やはり、本作にも登場する5番目の妻、君代夫人は、2009年東京で亡くなり、2003年にここに改葬されたフジタとともに、葬られています。

他の作品でも強く印象付けられることなのですが、一コマ一コマが重厚な油絵のような映像美に圧倒されました。この映像は、是非、映画館の大きなスクリーンで観たいものです。"大きなスクリーンで観るべき作品"であることが映画の最大の魅力であり、そこに映画を映画館で観る意義があるのだと思うのですが、そういう意味で、本作は映画らしい映画なのだと思います。そして、これまでの小栗康平監督作品の中でも、映像美という点で際立つ作品となっていると思います。

けれど、その一方で、物語の面白さとか、登場人物の感情表現などが犠牲にされてしまっている感じが否めませんでした。フジタの喜びや苦悩を感じ取ることはできても、その時々の感情が彼の人生においてどのような意味を持ち、彼の仕事や人生にどう影響を与えたのかといった部分があまり感じ取れないというか...。その辺りが原因しているのか、ところどころ睡魔に襲われたりもしました。

ラストに登場する礼拝堂は、フジタが80歳となった1966年からフレスコ画を手掛けたランスにあるフジタ礼拝堂。フジタは1959年にカトリックの洗礼を受けているのですが、激動の時代を生き抜いたフジタが辿り着いた心境がここに表現されているのかもしれません。最後まで連れ添った5番目の妻、君代夫人は、2009年東京で亡くなり、2003年にここに改葬されたフジタとともに、葬られています。

オダギリ・ジョーが良かったです。これまで、あまり好きな俳優とは言えなかったのですが、これまで気になっていたヘンに肩に力が入った感じがなく、実に自然に藤田嗣治としてそこに存在していた感じがしました。

映画館で観て良かった作品であることは間違いありませんが、面白い映画だったかというと微妙な感じです。


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