キルギスの小さな村に住む電気工の男は、人々から"明り屋さん"と呼ばれ、慕われていました。彼の夢は、村中の電気を賄うための風車を作ること、そして、息子を授かること。そんな中、国会議員に立候補し、当選のために村人たちの票を狙うベルザックが、都会からやってきて...。

"明り屋さん"は、電気を盗む人でもありました。とは言え、自分のためではなく、電気代を払えない貧しい人のために、そして、無報酬で。それは犯罪ではあったのでしょうけれど、そこには彼なりの正義があったのです。彼を頼ってきた貧しい人たちが貧しくあるのは、自己責任というにはあまりに酷な状況ゆえ。「電気を引きたかったら電気代を稼いでからにしろ」なんて、簡単に言えるような状況ではないのです。


けれど、だからと言って、"盗む"ことだけを考えているわけではありませんでした。風車を使った発電を試みていたのです。そして、村の電力を賄えるだけの電気を起こす方法を考えていました。


いつまでも"盗み"を続けたいとは思っていなかったのでしょう。盗むことを良しとせず、自分たちに必要な電気を村内で生み出せるようにする。他の人には、馬鹿げた実現不可能な夢としか受け取れなかったのでしょう。けれど、"明り屋さん"は本気だったのです。それは、彼にとって、誇りを賭けた戦いだったのかもしれません。電気に関する知識を持った者としての。盗みを正義だとは思い込めなかった者としての。


時代が変わっていく時期。政治体制も変わり、その大きな渦は、小さな田舎の村をも放っておいてはくれませんでした。"明り屋さん"も部外者ではいられません。それどころか、村を"発展"させるためには不可欠な仕事である電気工をしているだけに、周囲が彼を渦の中に引き摺り込んでいきます。


経済的に豊かではなかったかもしれないけれど、生活するために必要なものは得られることができた素朴な時代から経済に動かされる社会へ。"明り屋さん"は、その裏に隠された一面を目にして激怒します。経済的な利益を得るために村の娘を犠牲にしようとしたベルザックたちに対しても、報酬のために身体を売ろうとした娘に対しても怒りを抑えられなかったのでしょう。けれど、その怒りも、彼の戦いも、ベルザックたちにも娘にさえも受け入れられませんでした。彼らは、誇りよりも、経済的な豊かさや発展を優先させたかったのでしょう。"明り屋さん"の抵抗は無残な形で打ち砕かれます。


近代化は世界的な流れ、人間の中に人間らしい欲望が存在する以上、その流れに抗うことには非常な困難が伴います。そして、ほとんどの場合、近代化に向うことは止められません。


そして、"明り屋さん"が村にもたらそうとしていた電気も、生活を近代化するために重要な役割を担うものだというところには皮肉も感じられます。


田舎の村を取り巻く厳しい現実を描きながら、ラストで一筋の希望が提示されます。弱々しくはあっても確かな希望。それを、私たちは、"明り屋さん"から引き継ぐことができるのか...。


キルギスの田舎の美しい風景とそこに生きる人々の素朴な生活。けれど、その背景には、決して浅くはない闇も見え隠れしています。その闇に押しつぶされそうになっても絶望してはならないのでしょう。


田舎に生きる人々も、都会に住む人々も、どこかにそれぞれの闇を抱え、それでも一筋の光に縋りながら生きているのかもしれません。


なかなか見応えのある作品でした。上映館の少ない地味な扱いの作品ですが、一見の価値アリです。



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明りを灯す人@ぴあ映画生活