福聚寺住職であり芥川賞作家でもある玄侑宗久の同名小説を映画化した作品。原作は未読です。


福島の小さな町で妻、多恵と息子とともに生活する禅寺の僧侶、浄念。彼は、うつ病で入院した過去を持ち、現在も薬を飲み続けています。彼の中には、かつてロックにのめり込んでいた頃の情熱が残っており、周囲の反対を押し切ってライブの準備を始めますが...。


彼を見守る住職の玄宗とその妻の麻子、そして、何より、母のように彼を支える妻の多恵。寺の坊主として、必ずしも、周囲からの十分な尊敬を集めている訳ではなく、むしろ、彼を軽んじている人々もいるのですが、それでも、ごく身近に彼を理解し、温かい眼差しを注ぐ人々がいて、彼に愛情を持って接している人々がいます。それなのに、何故、彼はその幸福を感じるよりも、深く悩まなければならないのか...。まぁ、言ってみれば、"贅沢な悩み"なのでしょう。突然仕事を休もうが、黙って姿を消そうが、彼を責めることなく許してくれる上司と家族に護られているからこそできる贅沢。浄念の問題の本当の解決のためには、自身がどれ程恵まれた環境にあるかに気付くことを抜きに考えられない気がするのですが、その辺りが彼の中でどう処理されているのかが見えにくかったのが残念でした。


それでも、浄念が、自身のダメさ加減に辟易しながら、そのどうしようもない自身を受け容れることで、自分を周囲に向かって表現し、周囲と繋がっていく姿には清々しさがありましたし、ライブで弾ける浄念の姿には深い悩みを越えた後にこそ味わえる悟りのようなものが感じられました。


浄念の妻、多恵を演じたともさかりえが出色。彼を理解しつつ、その不安や悩みを含めて彼の存在そのものを包み込むような包容力を見事に表現していたと思います。そして、息子役の山口拓。その浄念に向けられる眼差しが実に秀逸。玄宗役の小林薫は、本来、もっと巧い俳優だと思っていたのですが、意外に今ひとつ...。


ただ、音楽。もうちょっと何とかならなかったものか...。何か、ただ、自己満足絶叫型の自己主張以上のものとしては受けとめられませんでした。例え他の人にとってはノイズであっても、それはそれで存在価値があるのだということを言いたかったのだということは分かるのですが、それにしても、無料とはいえ人を集めての"ライブ"なのですから、もう少し、"伝える"ことへの意識があってもよかったのではないかと...。音楽の存在が大きな作品なのですから、もう少し、何とかして欲しかったところ。


タイトル・ロールに流れる"ハレルヤ"は良かったです。英語部分は抜きで最後まで日本語訳の歌詞で押し通した方が良かったような気もするのですが...。お坊さんが主役の映画で"ハレルヤ"というところに、日本人の宗教的な寛容さ(或いは、"いい加減さ")が現れていたと思います。この宗教的寛容さを抜きに世界が本当に平和になることはありえないのですから。



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