大いなる幻影 [DVD] FRT-172/ジャリアン・カレット/ディタ・パルロ/ジャン・ギャバン/エリッヒ・フォン・シュトロハイム/ピエ...
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第一次世界大戦中。敵情偵察の任務を与えられている元機械工のマレシャル中尉と貴族のボアルデュー大尉を乗せたフランスの飛行機はドイツの空軍に撃墜され、二人はドイツ軍の捕虜となり、収容所に送られます。二人が収容されたハルバハ・キャンプには、ローゼンタールというフランスに帰化したユダヤ人の金持ちの息子もいて、その彼の元に送られてくる慰問品のおかげで、同室の捕虜たちは贅沢な食事を取っていました。そんな収容所での生活の中、彼らは、捕虜になった将校の義務として脱走の計画を練っていましたが...。


"戦争=国と国の争い"という単純な図式ではありません。本作では、フランスとドイツという二国間の戦いという側面だけでなく、貴族と平民、将校と兵士、富裕層と庶民、フランス人とユダヤ人。


フランスの貴族であるボアルデュー大尉とドイツの貴族である収容所長のラウフェンシュタイン大尉。敵味方に分かれる二人ですが、貴族階級に属する者同士。フランスではすでに革命が起きていて、すでに、政治的、社会的な権力を失いつつあり、その他のヨーロッパの国々においても、滅びていく気配が濃くなっていた時代になっており、そのことは二人とも実感している様子。そんな中、貴族として誇り高く気高くあろうとする二人の間に生まれる儚い友情。


第一次世界大戦は、騎士道精神のようなものが尊ばれた最後の戦争だったのかもしれません。(なんて、長閑に言っていられるのも、相当の年月を経た遠い土地の出来事だからかもしれませんが...。)今、この世界で行われている戦争は、人間と人間の戦いというより、科学技術による殺戮。遠く安全な場所から沢山の人間を確実に効率よく殺していく方法が確立した現代の戦争から比較すれば、牧歌的とすら感じられてしまう世界が描かれます。貴族が滅びて庶民が台頭したように、戦争の様相も大きく変わっていく、そんな時代だったのでしょう。


本作における戦争は、人の命が賭けられるものではあったにせよ、そこには一定の”ルール”が存在し、それを敵も味方も尊重していたことが窺えます。収容所での捕虜の扱いにせよ、ラストの場面での国境の兵士の言動にせよ。もちろん、"ルール"無視の蛮行が全くなかったわけでもないのかもしれませんが。それでも、"極悪非道の敵"に対してであれば、"ルール"など関係ないという現代的な物の見方を考えると、今の世の中の荒廃が実感させられます。


そして、ヨーロッパ各国の支配階級にいた貴族の立場。元々、ヨーロッパ各国で繰り広げられていた領土を奪い合うための戦争は、各国の王室やそこに連なる貴族たちの勢力の拡大を図るものだったわけで、本作に登場するボアルデューもラウフェンシュタインも戦争で勝てば利益を得られる立場にありました。


けれど、その後、戦争の目的は領土というより、利権になり、さらに、現代ではイデオロギーの争いという側面が強くなっています。そう、貴族階級のための争いから、ローゼンタールのような商人が大きく関わる戦争への変質。ラストで、「(センスがなくなるというのは)幻影だ」と言うセリフがローゼンタールから発せられるのは象徴的。


次の次代を担う存在であるローゼンタールとマレシャルを逃がすために犠牲となるボアルデュー。ここにも世の移り変わりが象徴されています。


戦争を単なる国と国との争いという側面から描くのではなく、そこに関わる敵と味方の双方にある複雑な人間関係、対立構造を巧く取り込みながら、時代の大きなうねりを描き出したことにより、作品に単なる戦争映画を超えた深みを与えていると思います。


そして、最後のエルザが絡んでくるエピソード。戦争物にはつきものなエピソードではありますが、恐らくは、マレシャルよりも二人の行く先について冷静な視線を持つエルザの強さと清々しさが胸に沁みます。そう、きっと、エルザはこの地で女手一つで娘をしっかりと育てていくのでしょう。


製作されてから随分年月を経た作品で、古さが感じられる部分もありますが、印象深い名作。一度は観ておきたい作品だと思います。お勧め。



大いなる幻影@ぴあ映画生活