ベルンハルト・シュリンクの世界的なベストセラー「朗読者」を映画化した作品。原作は読んでいます。


1958年のドイツ。15歳のマイケルは、21歳のハンナとの情事にのめり込みます。ハンナの部屋に通いつめ、せがまれるままに始めた朗読により、2人は、強く結び付けられますが、ある日、ハンナは、忽然と姿を消します。1966年、大学で法律を学ぶようになっていたマイケルは、ゼミの一環として傍聴した法廷で、被告席にハンナの姿を見つけます。ナチスの犯罪行為に加担した罪を裁くその裁判の公判に通ううち、マイケルは、彼女の秘密に気付きますが...。




<以下、ネタバレあり>








ナチスは、ドイツが抱える大きな原罪。当時、その時代の波に奔走されていた人々をその後の価値観で裁くというのは、裁かれる側にとっては理不尽なものかもしれません。けれど、国家的な犯罪と言うものは、"職務に忠実な真面目で責任感のある市井の人々"によって支えられるもの。ドイツだけではなく、かつての日本でも、他の国々でも同じことでしょう。やはり、ハンナに何の罪もなかったというわけにもいかないのでしょう。


けれど、ハンナの裁判官への問いかけは重いものを含んでいます。「あなたならどうしたのか?」堂々と、自信を持って、「犯罪行為には加担しなかった」と胸を張れる人間はほとんどいないでしょう。「個人の戦争犯罪を裁く」ということの問題点が浮かび上がります。


そして、マイケルが、ハンナを本当には許せなかった背景にあるのも、ハンナの戦争犯罪。彼女がナチスに協力したばかりか、そのことに罪の意識を抱いていない様子にがっかりしたのでしょう。彼も戦後世代の人間。そして、難なく読み書きのできる人間。ハンナとの溝は、あまりに、大きかったのでしょう。


マイケルが、裁判所でハンナを見つけた後、彼は、ハンナとの間にあった深い溝を思い知らされたのかもしれません。美しい想い出であると同時に、激しく裏切られた経験ともなったハンナとの恋。長い時を経て、ハンナの背景にあったものを知ることになりました。ハンナを受け入れられなかった背景には、素直に喜べる状況ではない再会への戸惑いと青春の想い出を汚されるような嫌悪感があったのでしょう。


2人の関係の変化が、それぞれの演技で説得力を持って描き出されます。


恐らくは、それぞれが、その時その時に、誠意をもってすべきことをしてきたのでしょう。けれど、その結果は...。彼らの努力を無にしたのは、戦争であり、時代の変化であり、世代による考え方の違いであり、受けた教育の差であり...。時代に翻弄される市井の人々の哀しさが迫ってきます。


「自分がハンナなら、どうしたのか?」「自分がマイケルなら、どうしたのか?」ハンナの、裁判官への問いかけは、観る者にも突きつけられているのです。あなたなら、時代の流れから自由になれたのかと。


ハンナは、裁判で有罪とされ、処罰を受けます。それは、読み書きができないことを隠し通そうとしたハンナ自身の責任でもあります。そして、マイケルにも許されませんでした。再会の場で、ハンナは、自分がマイケルに許されていないことを思い知ったのでしょう。恐らく、マイケルに手紙を書き、返信を求めていた段階では、マイケルからの許しを期待していたのでしょう。けれど、マイケルは、自分の罪に思いを寄せることなく、また、刑務所での生活の中で"字を覚えた"だけのハンナを許せませんでした。マイケルの中には、ハンナの中にマイケルを思いやる気持ちと自分の過去の行動への後悔の念が芽生えているのではないかという期待があったのかもしれませんが...。


ハンナの遺書からは、ハンナに罪の意識があったことが感じ取れます。そのことをもっと早くマイケルに伝えていれば、その後の展開は変わったのかもしれません。ハンナは、"頑なに恥を隠そうとした"というより、"自分を上手く表現する術を知らなかった"のかもしれません。


ただ、かなり大事なところで引っかかってしまいました。仕事に熱心で、どの職場でも評価されてきたハンナ。そのために、昇進の話を持ち出され、読み書きの能力が必要とされるようになることを恐れるハンナは退職するハメになるわけですが、そうした努力家のハンナが、何故、文字を学ばないままにここまできたのか、その点に違和感がありました。


ハンナも、長く安定して働くためには、文字の読み書きができたほうがよいことは分かっていたはず。それができれば、バス会社やシーメンスの仕事を辞めずに済んだわけです。その経験があっても、文字を学ぼうとしなかったのは何故か...彼女の真面目さ、勤勉さ、読み書きができないことを恥じる気持ちの強さを考えると、不思議な気がします。


そして、何故、ここまで、読み書きができないことを隠さなければならなかったのか?"戦争犯罪者"として処罰されることの方が、はるかに"恥ずべきこと"のような気がしてなりません。事実起こったことを隠蔽し、大きな罰を受けることになっても、なお、隠そうとしたその背景にあるものが、分かりませんでした。


ハンナが読み書きができないことをどこまでも隠そうとしたこと、相当の期間、文字を学ばずにきたことは、原作を読んだときにも疑問を感じた部分でした。原作通りの設定なので、映画に文句を言う筋合いではないのですが、その辺り、納得できるように描いて欲しかった感じはします。


ドイツが舞台の作品。セリフが、ドイツ訛りの英語というのも、違和感ありました。ドイツ語ではダメだったのでしょうか?


主要人物を演じた3人(ハンナを演じたケイト・ウィンスレット、若きマイケル役のデヴィッド・クロス、その後のマイケル役のレイフ・ファインズ)の演技は見応えありました。






公式HP

http://www.aiyomu.com/



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