フィオーナとグラントは結婚して44年の熟年夫婦。大学教授だったグラントは、かつて、教え子との不倫フィオーナを苦しめたこともありましたが、結局は、妻との生活を選び、今は、仲睦まじく生活しています。ところが、フィオーナにアルツハイマーの症状が現れ始め、自ら、介護施設に入ることを決めます。面会に施設を訪れたグラントは、フィオーナの甲斐甲斐しく車椅子の男性オーブリーの世話を焼く姿を目の当たりにします。フィオーナは、グラントのことをすっかり忘れてしまった様子。グラントはショックを受けますが...。


近年の日本では熟年夫婦の離婚が話題になっています。妻は夫に秘めて、じっくりと時間をかけて、分かれるため、その後の生活を成り立たせるための準備をし、ある日突然、離婚を宣言。そして、多くの場合夫は、予想もつかなかった妻の行為に驚き茫然自失...というところのようです。


本作でも、フィオーナは、長い結婚生活の中で、夫への不満や恨みを心の中で熟成させてきたのでしょう。そして、そのことでのストレスが病気の一因となったのか、秘かに、復讐を企んできたのか...。


グラントも疑いますが、フィオーナは本当に病んでいたのか、演技だったのか?演技だとしたら、アルツハイマーについて専門医を騙せるほどまでにかなりの研究したということになるわけで、そう考えるには無理があるようにも思えるのですが...。そして、このグラントの疑いは、病を感じさせられる部分とそうではない部分が入り混じる認知症の患者の周囲にいる多くの者が抱くものであることも間違いないのですが...。


本作は、基本的にグラントの語りにより物語が描かれていくわけですが、グラントの"物忘れ"が描かれる場面もあり、グラントの語る内容を100%信じるべきではないとすると...まぁ、それは、深読みに過ぎると思いますが...。


ラストは、この後の修羅場を想像させます。フィオーナの回復により放り出された格好になる二人(オーブリーとマリアン)はどうなるのか?マリアンは絶対に手放さないと決めていた家まで売ってしまったというのに。


これが、フィオーナの復讐だとすれば、なおさら、何の関係もないオーブリーとマリアン夫妻を平然と巻き込んだフィオーナが抱えていた孤独とグラントへの恨みの深さが思われます。本当に病気だったのだとすれば、できすぎという感じもします。そして、本当に病気なら、一瞬、回復したかに見えて、さらに進行していくという経過を辿るのでしょうから、フィオーナもマリアンも失ったグランとは孤独な晩年を迎える...ということになるわけで、それはそれで、フィオーナの復讐は成就するということなのかもしれません。もっとも、この「『詐病』に見えてしまう」ということ自体が、アルツハイマーの一つの特徴とも言えるわけですが...。


ラストのフィオーナの表情には、美しさ、爽やかさの奥底に、底知れない恐ろしさが秘められているようでもあります。


本作を愛の物語と見るか、復讐の物語と見るか...。愛と憎しみは遠いようで近い感情です。愛を感じる相手だからこそ、憎みもする。憎む必要もない相手であれば、愛することもないでしょう。そういう意味では、フィオーナが本当に病気であったのかどうかは、本質的な問題ではないのかもしれません。愛も憎しみも深かった夫婦の老いの迎え方、人生の終え方の物語なのでしょう。


人生の最後の時の過ごし方、そこにはなかなか難しい問題があり、一筋縄ではいかないものだと。一人の人間が無事に人生を終えるのは簡単なことではないのだと実感させられます。


愛憎の果てに、恨みつらみの果てに、最後に笑顔を輝かせることができたなら、それは素晴らしいこと。フィオーナも、何はともあれ、最後に一瞬でも輝きを持てたのだとしたら、それはやはり幸せなのでしょう。その後に遺された者たちに感情のもつれが生まれたとしても、それは、遺された者たちで解決すべきこと。彼らも、その苦しみを超えたところで初めて本当の輝きを持てるのかもしれません。


なかなか奥深いものを感じさせられる作品です。お勧めです。



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