アギーレ・神の怒り
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インディオたちの間に伝わる伝説の黄金郷(エル・ドラド)。アギーレは、当時の総督、ピサロの命を受け、黄金郷を目指す探検隊を率いていましたが、隊にも国にも反旗を翻し、独立を宣言。勝手に、自分たちの"皇帝"を決めて黄金郷へ向うことを宣言します。力と恐怖で部下たちを押さえつけ、奥地に分け入りますが、インディオの襲撃や熱病に苦しめられ、次第に、隊の人数は減っていき...。


本作の主人公、アギーレは、実在し、1950年末に黄金郷を求めてアンデス山脈を越えアマゾン河を下ったドン・ロペ・アギーレをモデルにし、探検隊に同行した宣教師、ガスパル・デ・カルバハルの手記を手がかりに作られています。


「地獄の黙示録」を思わせる映像が所々に...と思いましたが、考えてみれば、本作は1972年の作品、「地獄の黙示録」が1979年なわけですから、「地獄の黙示録」の方が、本作を参考にしているわけですね。


アギーレの狂気が強く印象に残ります。人は、とんでもない行動に出ることがあります。時には、命をかけて。アギーレは、幻のエルドラドを探しにジャングルの奥深くに分け入ります。国を裏切り、実現させることが難しい野望をかなえるために。


アギーレがどこまで、真剣に夢を信じていたのかはわかりません。


恐ろしいのは、一旦、集団が狂気の方に向かって走り始めると、なかなか、その暴走を止めることはできないということ。初期の段階で無茶な要求を受け容れると、エスカレートする要求をずっと受け容れ続けなければならなくなります。次第に、取り返しのつかない方向に進んでいきアリ地獄に落ちていくアリのように最悪の結果に引きずり込まれていきます。


宗教でさえも、そこから人を救い出すことはできません。宣教師は言います。「強いものには従うしかない」と。そうしなければ、「命を縮める」と。(もちろん、結果としては、従っても、命を縮めるのですが...。そして、本来、神に従うのなら「現世での命を捨てても真理に従い、永遠の命を得る」ことが正しい道なのでしょうけれど...。)


失敗するとわかっていてもやめられない、破滅するとわかっていても突き進んでしまう。それを愚かということは簡単です。そして、確かに人間の愚かさの一つであることは間違いありません。けれど、愚かな行為をやめられないことも、ある種の人間らしさなのでしょう。そして、結果を見ずに自分の愚かさを悟ることは至難の技。結果が分かってから、あるいは、遠く離れて客観的に状況を見れば、難なくその愚かさに気付けたとしてもその渦中にあって、正しい判断をすることはなかなかできないものです。


アギーレは言います。「コルテスも退却命令を無視して前進し、メキシコを征服した」のだと。確かにそれは一面の真実を突いています。アギーレも成功すれば、歴史的な発見をした者として歴史に名を残し、大きな名声を手に入れたことでしょう。信念というか、偏執というか、それは、立場の違い、その出来事を取り巻く世の中の価値観の違いで評価が分かれるのでしょうけれど、本質的に違うものではなく、まさに"紙一重"。勝てば官軍、負ければ賊軍というのも同義。さらに、多くの場合、それが無謀なものであっても「果敢(無謀)な挑戦」は「正しい判断に基づく勇気ある撤退」より勇ましく輝いて見えるもの。


アギーレを演じたクラウス・キンスキーが名演。狂気におちていくアギーレの表情が秀逸です。これだけでも一見の価値ありと言えるでしょう。


アギーレの狂気を包み込む大自然の美しさも印象的。背景の美しさ、映像の中に感じられる静謐さとアギーレの狂気のコントラストが見事です。そして、何日も続く探検の旅にありながら、美しい衣服を纏い、常に、生活で美しい女性たち。このあまりに現実離れした存在感が、男たちの目指すものが幻であることを象徴するようでもありました。


映画史上に残る作品であることは間違いありません。



アギーレ神の怒り@映画生活