パパってなに?
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1952年、戦後間もない頃のロシアが舞台となっています。夫を失った若く美しいカーチャとその6歳の息子で父親を知らずに育ったサーニャは、行くあてもなく乗り込んだ列車の中でトーリャという逞しい軍人と出会います。カーチャは、瞬く間にトーリャと恋に落ち、3人は家族として一緒に生活するようになります。カーチャから、トーリャをパパと呼ぶように言われるサーニャですが、なかなか、トーリャを父親として受け容れられず...。


サーニャは、まだ、6歳。まだまだ子どもで、まだまだ我が儘も言いたい、愛してくれる大人の存在が欲しい年頃。けれど、トーリャに夢中になったたった一人の身内のカーチャもトーリャを優先します。それは、カーチャにとり、トーリャがサーニャとの生活を支える存在でもあったからなのかもしれませんけれど...。


トーリャの悪事を知ってもなお、トーリャから離れることのできなかったカーチャ。ついには、トーリャをパパと呼んだサーニャ。戦後の混乱の中、生きていくための確かな手段も持てずにいた母子にとって、トーリャの実に頼りがいのある存在だったのかもしれません。それは、カーチャとサーニャにとって、必ずしも望ましい形ではなかったでしょう。それにも拘らず、トーリャの力に惹きつけられていく2人。そこには、彼らの生き抜こうという強い意思、生命体としての本能のようなものが感じられます。


トーリャが、カーチャたちを受け容れたのも、愛情からというよりは、自分の"仕事"をやりやすくするためのように見受けられます。サーニャに対する教育(?)も、「やられたらやり返せ」「戦いに勝たなければ男じゃない」といった方針のもの。そこにあるものは、サーニャへの愛情というより、サーニャを子分として育てたいというトーリャの身勝手な事情のように思えます。


そして、そんなトーリャを"パパ"と呼び、「僕たちを見捨てないで」と追いかけるサーニャ。カーチャがトーリャに頼らざるを得なかったのと同じように、サーニャにしても、トーリャが自分たちの生活の支えてであることは理解していたのでしょう。子どもにだって打算はあります。その打算が哀しく切なかったです。


トーリャと引き離され、母を失ったサーニャ。トーリャはもちろん、カーチャも、サーニャに常に無償の愛情を注いでくれる存在ではありませんでした。周囲の大人からきちんとした愛情を受けずに育たなければならなかった子どもの置かれた状況の厳しさが、このサーニャの行動には現れているように思えました。


トーリャと無理やり引き離されて数年後、サーニャは、トーリャと遇線、再会します。その後、サーニャは、トーリャを撃ち殺します。トーリャに使い方を教えられたピストルで。それは、皮肉なめぐり合わせ。トーリャを殺すことで、トーリャからの支配を脱却することができたのか...?トーリャの存在を自分の中から抹殺しようとするサーニャの姿が映し出された後、映像は、小さい頃のサーニャがトーリャを追う場面に変わります。忘れようとしても忘れられない...といったところでしょうか。記憶にトーリャの事を残しつつ、その体験を乗り越えることにこそ、サーニャの本当の成長とトーリャからの自立があるのでしょう。


サーニャ役の少年の演技が印象的でした。サーニャの不安や揺れ動く気持ちが見事に表現されています。


セリフも少なく、全体的に抑制された表現ですが、作品の世界にはリアリティが感じられる力強い作品です。愛情とか善悪とか、そうしたものを乗り越えて、何としても生き抜いていく、そうしたもっと本能的な欲求が感じられました。


なかなかの秀作です。一度は観ておきたい作品だと思います。



パパってなに?@映画生活