戦争をテーマとした作品が多い大岡昇平の「ながい旅」を映画化した作品。


1945年、東条英機元首相など、A級戦犯が東京裁判で裁かれている頃、横浜地方裁判所では、戦争犯罪行為の命令者であるB級戦犯と、実行者であるC級戦犯の裁判が行われていました。東海軍司令官だった岡田資中将とその部下19名は、横浜地方裁判所で、名古屋空爆の際、パラシュートで降下した搭乗員を捕虜として扱わず、正式な手続きを踏まずに処刑したとのことで、殺人の罪に問われていました。岡田は、搭乗員は国際法に違反した戦犯なのだから、捕虜として扱う必要はないとの主張をし、その主張により、アメリカが行った非武装無抵抗の一般市民の殺傷を目的とした無差別爆撃を糾弾するのでした。そして、その一方で、すべての責任は自分にあるとし、部下たちを守ろうとし...。


こうした人物を取り上げた点で価値のある作品だとは思います。そして、本作は、アメリカがイラクに対して行ったこと、今の日本のトップたちの責任をとろうとしない姿について考えさせられます。(日本のトップたちの責任を逃れようとする姿は、本作の中でもたっぷりと見ることができますが...。)


そして、フェザーストーン主任弁護人も頑張っています。敵国の司令官を守るための、必死の弁護。彼の周囲にも日本との戦いに命を落としたり傷付いた者がいたかもしれない。そうではなくても、彼の周囲に日本人を弁護する彼を快く思わない者はいたことでしょう。その中で、誠実に自分の役割を果たしたその姿は、岡田資の姿とともに、凛々しさが感じられました。


やがて、検察側も裁く側も岡田に対してある種の敬意を抱くようになります。一人の人間の強い想いが対立する立場にある者たちの心をも動かしていく。法定での奇跡とも言えるような心の交流が胸に沁みます。


落ち着いて静かな藤田まことの演技が光ります。全体に抑揚にはかけますが、自分の責任として背負うべきものは背負い、相手の罪として糾弾すべきは糾弾する。必要以上に卑下することも尊大になることもなく、しっかりと自分の信念を主張する。そこには、一人の人間としての誇りと矜持が感じられます。そして、藤田まことの演技が岡田資の信念に説得力を与えます。特に法定での場面の最後で発せられる「本望である」は、胸に響きます。


ただ、残念だったのは、本作を観た映画館の音響設備の問題もあるのかもしれませんが、ナレーションがうるさく耳障りでした。音量も全体の分量ももっとずっと控えめにした方が、作品の雰囲気に合っていたような気がします。何だか、真面目に教科書を読んでいるようなナレーションでした。そして、冒頭の部分も、教育映画のようで味気なかったです。


冒頭の部分やナレーションの部分をもっとストーリーの中で上手く処理する工夫が欲しかったです。もちろん、私もそうですが、当時のことを知らない世代が多いわけで、ある程度の説明は必要でしょう。けれど、特に、アメリカ軍の爆撃の様子については、岡田資の証言の中でも説明されているわけですし...。


一つの映画作品として楽しめる作品化というと疑問は残ります。けれど、それでも、観ておくべき作品ではあると思います。内容的には、私たちが知っておくべきことであることも間違いありません。



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