アット エンタテインメント
明日、君がいない


父の期待を一身に背負う兄、マーカスと兄に脅える妹のメロディ、スポーツマンのルーク、ゲイだということで周囲から孤立するショーン、ルークとの結婚を切実に願うサラ、いじめに遭いながらも卒業まで3カ月の我慢と自分に言い聞かせるスティーヴン。それぞれの悩みや苦しみを抱えながら高校生活を送っています。そんな彼らにとって、ごくありきたりの一日となるはずだったある日の午後、校舎の片隅で一つの若い命が消えようとしていました...。


人間も一種の生物で、生きようという強い意思を本能的に持っているもの、そして、時には、他人の命を犠牲にしても、持っているもののすべてをかけても守りたいと思うもの...のはず。けれど、人間には、生命体としての本能から外れた部分もあり、自ら死を選ぶことがあるのも人間の人間たる所以。


人間には生きる権利があるのと同じように死ぬ権利があるのか、自由に生きる権利には死を選ぶ権利が含まれるのか、死を選ぶことも自己決定権として認められるべきなのか...。


人は一人で生きられるものではなく...ということは、つまり、様々な人の助けや支えがあってはじめて生きてくることができたという現実がある以上、"自分の命"だからといって、好き勝手に処理してよいということにはならないのでしょう。


けれど、時に、人は、そんな理屈を考えられるような余裕をなくし、死の誘惑に引き込まれそうになることがあります。(本当に、引き込まれてしまう人も少なくないわけですが...。)生きる過程の中で、自らの命を絶つということを考えたことがある人は、決して、少なくないはずです。


本作の舞台は高校。思春期の若者というのは、多くの社会で、他の年代の人々よりも死を思うことが多いようです。苦悩し、傷付き、時に死を選んでしまう...そんな若者たちの姿は、小説で、映画で、ドラマで数多く描かれてきました。


自分の悩みや受けた傷に対しては敏感だけれど、他人の痛みを思い遣るだけの余裕もなく、思いがけず、時に、意図的に誰かを傷つけてしまいます。刃が他人に向うこともあれば、自分に向うこともある、上手くコントロールが効かない刃は、ちょっとした弾みで、思いのほか、大きく誰かを傷つけてしまいます。場合によっては、立ち直ることができないほどに。心の中の衝動を上手く制御できない、それこそが、若さ、未熟さなのかもしれません。


理解されたい、受け容れられたいと、強く、切実に願いながらも、自分を理解してもらえるように周囲に働きかけることについては、驚くほどに思いが至らない。それは、若さゆえの身勝手さかもしれません。


そして、そんな危機的な思春期を生き残った者だけが、大人になるのでしょう。本作の監督も、もちろん、高校時代を生き抜いたサバイバーなわけで...。周囲を変えようとしても、なかなか上手くはいかない。けれど、自分の気持ちの持ち方、考え方で、周囲も動いていくのだということに気付くためには、大人へのステップを登ることが必要なのかもしれません。


いや、周囲を受け入れ、周囲と折り合いをつけながら、自分の生きる余地を見出す力を得ることこそが、大人になるということなのかもしれません。


本作には、まだ、大人になる前の悩み多き青春時代を送る若者たちが登場します。彼らの姿を見ていると、生きる辛さ切なさ哀しさ、そして、死を思う気持ちについて、考えさせられます。そして、ちょっとした酸っぱさとともに、思春期の頃の危うかった自分自身が思い起こされます。


本作では、冒頭に誰かが自殺したことが描かれ、その後に時間を遡って、何人かの高校生の日常が描写されます。誰が、冒頭で血を流す人物であってもおかしくない。そんな状況の中で、誰が冒頭の状況に行き着いてしまうのか、ハラハラしながら本作の世界に引き込まれていきました。冒頭の映像があるだけに、そして、そこに行き着く可能性が誰にもあるだけに、観ていて、緊張が感じられました。


本作の監督は19歳の時に本作を撮ったのだとか。まだ、高校生の時代が生々しく心に残る時に、決して独りよがりにならず、第三者に自分の思いを伝える映画作品として表現しきったその手腕に脱帽です。


公開時、観ようと思っていながら、見逃してしまった作品です。DVDになったのを見つけ、早速、観てみました。公開時の上映館も少なく、地味な扱われ方をされた作品でしたが、なかなかの秀作。お勧めです。



明日、君がいない@映画生活