山村浩二の新作アニメで、数々の国際映画祭で受賞している「カフカ 田舎医者」が、他の4編とともに、公開されています。



「カフカ 田舎医者」


タイトルの通り、カフカの短編小説「田舎医者」をアニメーションにした作品。


しんしんと雪が降り積もる寒い夜、急患のところに駆けつけなければならない医者は、交通手段がなく困っていました。そんな時、突如、馬子が現れ、馬子に馬車に乗せられると、遠く離れた患者の家にあっという間に到着します。「神様は私に救いの手を差し伸べてくれる。」と感謝した医者でしたが、患者の家では、家族がすすり泣き、ベッドに横たわった少年のわき腹には、バラ色の傷。どうしようもない出来事に、自分の無能さに絶望した医者は、自分を救うため、今日も、自分を騙して朝を迎え...。


アニメという表現手段の特徴を存分に引き出した作品となっています。登場人物の気持ちの揺れがそのまま肉体に反映されるというアニメならではの表現が上手く生かされています。


現実とも夢ともつかない世界。自分の限界や無力さを見せ付けられながら、確実に何かを失いながら、それでも、夜は明け、新しい朝がやってきます。困難があっても、多くの場合、私たちはそれを乗り越えていくことができるのです。多くの場合、それは、自分の願うような形にはならないわけですが...。


思うようにならない現実、少しずつ、何かを失っていく日々...。それでも、その中を生きていく。生きていかざるを得ない。そんな人生の重さや切なさが沁みてきます。



「校長先生とクジラ」


クジラ捕獲反対キャンペーンの一環で製作された短編アニメーション。


実は、本作を観た後に、本作が、クジラ捕獲キャンペーン用に制作された作品だと知りました。作品の最後に、それを示す字幕が現れはするのですが、本作を観た段階では、それ自体が、ある種の皮肉というか、風刺なのではないかと思ってしまったのです。誤解だったようですね...。


古来、クジラを食べてきた日本人。それは、単に、食糧難の時代の代用食品としてだったのか?今も、クジラ肉を食べさせる料理店はありますが、料金的には、高級店に属する店と言えるでしょう。それが、客を呼べているということは、単なる代用食という以上の味わいのあるものなのではないかとも思います。私は、少なくとも、「これがクジラの肉」と意識して食べたことはないので、何とも言えないのですが...。


本作の校長のクジラ肉への思いと同世代の日本人のクジラ肉への思いが同じものであるのかどうか...。


かつての食糧難の時代、食欲を満たしてくれたクジラへの感謝の思いをこめて浅瀬で苦しむクジラを救おうとしたのか...。クジラに対する「校長先生の恩返し」?


最後のクレジットは、何となく違和感がありました。確かに、「クジラを助ける」話なので、まぁ、変ではないのでしょうけれど...。けれど、「クジラは知能の高い生物だから」保護すべきという、あまりに、人間の身勝手さが反映されているような理屈よりは、受け容れやすいストーリーではありました。



「頭山」


有名な落語を題材にした作品。


こうして観ると、古典落語の世界というのも、幅広い。カフカに負けない不条理な世界。この「自分の頭にできた池に投身自殺」というオチの斬新さに、改めて、脱帽です。


仮にも一人の人間の頭の上で宴会をしたり、遊んだりという発想も突き抜けていて面白いですが、その縮尺の混乱を見事に表現したアニメーションが印象的でした。



「年をとった鰐」


昨年、渋谷のユーロスペースで公開された際に観にいき、ここにも、レビューを書きました。

愛する相手を食べてしまった鰐の心情。一つの対象を、その高潔さゆえに愛すると同時に、食べ物として愛してしまった鰐の切なさ。それは、鰐の身勝手でもあるのですが、自分の身勝手さに自分自身が傷付いていくというのは、人間の間でも起こること。こうした矛盾が、時に、人生を複雑にし、陰影を深め、味わいを深めていくのでしょう。



「子どもの形而上学」


次々に変化していく線が面白かったです。この線の動きは、子どもの目線、子どもの心の動きそのものであるかもしれません。変化していく線の動きは、物の形に対する私たちの意識を揺るがすようでもあります。



公式HP

http://www.shochiku.co.jp/inakaisha/



カフカ 田舎医者@映画生活