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フリーダム・ライターズ スペシャル・コレクターズ・エディション


ロサンゼルスのとある高校において実際に起こった出来事を元にした作品。


様々な人種の生徒が通うウィルソン高校の203教室に新人の国語教師のエリンが赴任します。登校初日、生徒たちは、教壇に立つエリンを完全に無視、好き勝手な行動をとった挙句、ケンカを始める生徒まで出る始末。これまで、外ではもちろん、家庭の中でさえ、危険に晒されて生きてきた生徒たちに白人の真珠のネックレスをした教師など敵でしかありませんでした。エリンは、教師以外に2つのアルバイトを掛け持ちして稼いだ費用で、生徒たちにノートを買い与え、自分のことを書くように伝えます。書くことを通して、生徒たちは、少しずつ、エリンに心を開くようになり...。


さすがに銃の国、アメリカ。日本の学級崩壊や校内暴力とは比べ物になりません。何せ、本物の銃が登場し、少なくない人の命が奪われていくのですから、本物のギャングが関係してくるのですから...。


暴力と麻薬とセックス...。そうした生活の中にあっても、彼らは、まだ、高校生。彼らにとって必要なものは、彼らを暖かく受け容れてくれ、彼らが安心して自分を表現できる場所。


彼らが、エリンに心を開いていく過程が、少々、あっけなくも感じられますが、それは、エリンが、彼らが求めたものを与えようとしたからで、彼らにも、そこことが理解できたから。


そして、エリンの素晴らしかったところは、無理に自分を彼らに合わせて彼らに近付こうとしたのではなく、自分は自分でありながら、彼らを受け容れようとしたところ。他の教師からの「真珠のネックレスを外した方がよい」という言葉を聞きながらも、エリンは、毎日、真珠のネックレスをして教壇に立ちます。その真珠のネックレスは、エリンがエリンであることの象徴のようにも思えました。


そして、「書く」ということ、「表現する」ということが、人に与えるものの大きさ。


横山秀夫の「半落ち」に、「犯人も自分の物語を語りたがっているのだ」というベテラン刑事の言葉が出てきますが、人は、誰でも、自分の中にあるものを語りたい、他人に伝えたい、誰かに理解してもらいたいという気持ちを持っているものかもしれません。


エリンは、彼らの中にも潜んでいるであろうそうした欲求を引き出したのでしょう。そして、彼らは、自分の中にあるドロドロしたものに言葉を与え、それにより、自分の状況をきちんと捉え、向き合えるようになったのでしょう。


書くこととともに重視されたことが、読むこと。読むことにより、他人の体験を自分のものとし、そのことで、自分をよりよく深く知ることができるようになる。


人間にとって、他人と繋がることはとても大事なこと。人と繋がるためにはコミュニケーションが必要。コミュニケーションには、言葉が大切。言葉によって自分を表現すること。言葉により外の世界を知ること。言葉による表現を取り入れ、自分の中にあるものを言葉として伝える。それができることで、人は外と繋がることができる。その手段を持った者は強くなれる。エリンは、彼らにそんな力を持たせたいと願い、それに成功したのです。


高校生らしい勉強どころか、人間らしい生活からも遠いところにいた彼らが、言葉という手段を遣いこなすことで、人間らしく生きる力を得たのです。


彼らの中にも人間としてきちんと生きて生きたいという意欲があることを信じたエリン。そして、彼らの中の可能性を観ようとしなかった他の教師たち。エリンは、決して、周囲の教師たちに戦いを挑んだわけではありません。ただ、自分が守るべきものを最後まで守ろうとしただけなのでしょう。好戦的なわけではなく、けれど、譲ってはならないこと、護るべきものを知っているというところに、エリンの強さはあったのだと思います。


やや、美しくまとまりすぎている感じもしますが、"実話"である以上、認めるしかないところ。


エリンに渡されて読んだ「アンネの日記」を読んだ生徒たちは、自分たちで様々な募金活動を行い、アンネ・フランクを匿った女性をドイツから招待します。大きなプロジェクトを成功させた体験。それは、彼らが、自分たちが社会に働きかければ社会もそれに応えてくれることを知った経験だったことでしょう。それが、どんなに大きな力を彼らに与えたか!


こうしたことが、本当に起っているという事実は、人々の心の中に、世の中を信じたくなる気持ちを呼び起こしてくれることでしょう。


気持ちよく観終えることができる良い作品でした。お勧めです。



公式HP

http://www.fw-movie.jp/



フリーダム・ライターズ@映画生活