凄まじいばかりの家族の物語です。


父と継母が亡くなり、東京から故郷に戻った澄伽。実家には、継母の連れ子だった兄の宍道、宍道と結婚相談所の紹介で結ばれた義姉の待子、実の妹の清深がいました。4年前、女優になることを反対された澄伽は、同級生相手に売春し、東京に行くための資金を貯めます。清深がそれを題材に漫画を描くのですが、それが雑誌に掲載されてしまい、周囲に読まれてしまったことで、澄伽は清深を恨んでいました。ある日、澄伽は、新進の映画監督が次回作の主演女優を探していることを知り、その監督にアピールしようと手紙を書きます。思いがけず、返事が来て...。




ネタバレあり。








凄まじい姉妹ですが、けれど、これほど、互いの存在を必要としあっている姉妹もないかもしれません。姉の澄伽は、自分が夢を果たせない原因を妹に求めて自分を慰めています。妹の清深の存在がなかったら、自分の才能の無さ、自分の平凡さと正面から向き合わなければならなかったかもしれません。そして、清深の創作活動は、澄伽の存在があってこそのもの。


一見、澄伽が、清深を一方的にいじめているようですが、澄伽は、清深によって、冷静に観察されています。澄伽の行動を秘かに見つめる清深。外見的な支配-被支配の関係が、裏では逆転しているかのようです。そして、やがて、澄伽の姿は、清深の手によって、紙の上に絡めとられていきます。


澄伽の清深に対する苛めにも酷いものがありますが、清深の澄伽への仕打ちはそれ以上に冷酷なようにも思えます。


清深は、一度は、澄伽を創作の素材とすることをやめようとします。けれど、結局、創作活動への情熱を抑えることはできませんでした。過去にも、小説などの出版がモデルとなった人物を傷付け、名誉毀損などで訴えられることが度々起こっています。何かを世の中に広く表現しようとする時、大なり小なり、周囲に影響を与えてしまうこと自体は珍しくないでしょう。けれど、その影響の強さ深さを知りながらも、どうしてもやめられないのだとしたら、どんなに努力しても抑えられないのだとしたら、それを才能というべきなのでしょう。


自分に才能があると思い込みながらも世間からは認められずにいる澄伽と自分の才能を正確に認識できずにいながらも自分の奥に押し込めた才能の爆発に耐え切れなくなった清深。表と裏のように、実体と影のように、対照的でありながらも、相手の存在に支えられている者同士。そのことをラストの二人は気付いたのかもしれません。二人の姿と表情に、ある種の諦観とそこから生まれる未来への決意のようなものが見え隠れするようでした。


そして、本作で忘れてはならないのが、二人の兄である宍道の妻、待子。義妹たちに振り回され、夫に虐げられているようで、けれど、待子の中にある「家族を持ちたい」という確固たる思いに貫かれた逞しさが確かに感じられますし、呪いの人形を作り続ける姿に、何があっても自分を曲げない強さが感じられます。和合家に最後に残ったのは待子。また、一人にはなったけれど「家」を手に入れた彼女は、これからどうするのか?何があっても、自分のペースで自分の生活を成り立たせていくのでしょう。


こんな強烈な女たちに囲まれた宍道は、大変です。すべてを奪われ吸い取られて命まで失うことになります。一番、皆のことを考え、支えようとしていた存在でありながら、誰もが、本当の意味で宍道を必要とすることはなかったのかもしれません。宍道がいなくても、三人の女たちは平然と生きていくのです。


勘違い女でも、根暗でも、超ポジティブでも...。常識に入りきれずぶっ飛んでいても、三人の女たちは、欲しいものを欲しいと主張しながら力強く生きていく。その欲の強さは、潔さが感じられる程の突き抜けたものでした。




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