平野 啓一郎
日蝕


読みやすい文章ではありません。森鴎外とか泉鏡花とか明治、大正、昭和初期くらいまでの作家の小説を読んでいる気分にさせられます。漢字が多く、今ではあまり使われないような漢字も多用され、硬い文章が続きます。きちんと読んでいけば、一見した印象ほど、難しい文章ではありませんし、難解なわけでもないのですが...。


基本的には、文章を書くなら、特にプロが書くなら、義務教育卒業程度の学力があればスムーズに読めるようなレベルで書くべきと思っているのですが、本作を読んでいると表現されている世界に適した文体であることが納得できます。


異端を排除する大きな流れが唸っていた時代、キリスト教を熱心に信奉する立場から異端の研究に取り組もうとする主人公。その魂の遍歴が描かれます。


彼の周囲には異端審問を巡る大きな動きが起きますが、彼自身は、そういった動きの中で、自らは積極的に動こうとしません。寡黙な姿勢を保ちながら、事態の推移を見守るだけ...。その態度、弱々しく見えますが、ある意味「危機においても沈黙を守る」のは神に通じる姿勢でもあります。


時代が硬直していけば、人々の言動を縛る力が強くなり、規制を少しでも外れるものは異端として処分されてしまう。人類の歴史はそんな失敗を繰り返してきました。特に「9.11」以降、見えない敵に怯えて縮こまっている世界の行方にそんな時代が繰り返される不安が大きくなってきているような気がします。


「聖性」とは何か、「異端」とは何か...。「異端」を排除しようとする潮流にどう対処すべきか...。そんなことを考えさせられました。


日常的にあまり見かけない漢字が多用されているとはいえ、基本的には作家独自の読み方をさせるような表現はありません。だから、少々、読み難くはあっても、決して難解なものではないと思います。けれど、現代において、こうした文章で表現されてしまうと、やはり、表現の技巧的な部分が表面に出すぎてしまう感じもします。


この辺り、難しいところではあるのでしょうけれど...。