15年前、ジャンニの婚約者は、19歳で出産し、その出産が原因で命を落とします。そして、子どもには、出世時のトラブルで心身に障害が遺ります。ジャンニは、婚約者の死がショックで、子どもの前から逃げ出し、その子ども、パオロは伯父夫婦の手で育てられます。医師から「父親と会うことにより奇蹟が起きるかもしれない」と言われ、パオロの伯父、アルベルトは、ジャンニに、パオロをリハビリのために病院に連れて行くよう依頼します。そして、ジャンニは、パオロとの旅に出ます。

一度は、子どもを捨てた父親にしては、ジャンにがパオロに注ぐ愛情が真っ直ぐで迷いがなさすぎて、この作品でのジャンニのパオロへの接し方を見ていると、「子どもを捨てた父親」であることが、なかなか納得できません。もともと、パオロに対する罪の意識があったこと、そして、ジャンニも父親になり、我が子を胸に抱き、パオロを一人の子どもとして受け入れる心の準備ができたということなのでしょうか。


ジャンニは、一度は息子を捨てましたが、決して、根っからの悪人ではなかったのでしょう。それなりにパオロを受け入れようと頑張り、愛情を持って接しようとしています。そして、その努力がパオロに認められたと思える瞬間も映像に映し出されています。けれど、追いかけても追いかけても、砂漠の逃げ水に辿りつけないように、ジャンニは、パオロの心を掴もうとして報われません。


けれど、ジャンにがパオロを保護し守ろうとする一方で、時には、パオロがジャンニを保護しようとしています。人と人の関係というのは、それが、どんなに力の差がある関係であれ、片方がもう片方を一方的に助けるという形ではなく、支えあう関係になるものなのかもしれません。


障害者を主人公にした映画、まして、主人公を演じるのが「本物の障害者」であるような場合、「障害に負けず明るく前向きに頑張って、様々な試練を乗り越えながら、ついには障害を克服する」タイプか、「最初は、互いに戸惑いや感情の行き違いがあるものの、偏見を乗り越え、良い人間関係を築いていき、障害者が周囲に受け入れられるようになる」タイプのものになりがちです。


けれど、この作品の深いところは、「障害者」自身の、そして彼らをそばで支える家族の暗部にも目をそむけなかったところだと思います。


パオロより重度の障害がある娘のために人生を捧げてきた母、ニコールは、ジャンニを励ます存在となっている一方で、20年以上、娘のことばかりを考えて生きてきて、時には「死んでくれれば」と思うことさえあるという気持ちを漏らします。


パオロは「あの子(ニコールの娘、ナディン)は普通じゃない」と言います。


障害がある子を疎ましいと思う気持ち、障害があるものがより重度の障害者を差別する気持ち...。それも、現実なのでしょう。けれど、ジャンニは、パオロと一緒に生活することを選びます。


障害があることだけで、あるいは、障害者とともに生活することだけで、善であり、聖なる存在になるなどということはあり得ません。障害の有無に関わらず、人は、大抵、悪や影も内包しているものです。けれど、多くの人は、その一方で聖にもなる可能性をも持っているのです。泥水の上に、蓮が美しい花を咲かせるように。

多くの苦悩を抱えながらも穏やかな表情を湛えるニコールの姿に、ジャンニは、大変な20年を潜り抜けたからこそ積み上げられたものを観たのかもしれません。時に、パオロがジャンニを抱きしめ慰めるように、ニコールもナディンに救われたこともあったのでしょう。


きちんとしたまとまったセリフのある登場人物は、パオロ、ジャンニ、ニコールの三人くらい。パオロとジャンニ、ジャンニとニコールこの二組の会話を中心にストーリーは展開します。微妙にすれ違うパオロとジャンニのコミュニケーション。微妙に重なり合うジャンニとニコールの気持ち...。


全体としては、暗いトーンの作品ですが、それでも、不思議な明るさと爽やかさが感じられるのは、それぞれが、それぞれの人生をきちんと生きようとしているからなのかもしれません。


パオロを演じるアンドレア・ロッシは、「本物の障害者」だそうです。アンドレアの言動にあわせて、脚本や作品の構成が改められた部分も多かったのだとか。アンドレアの表情や演技が作品の中に上手く生かされていて印象的でした。



公式HP

http://www.zaziefilms.com/ienokagi/




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