1%無添加の思いやり~自然と心をキレイにする暮らし♪ -4ページ目

無添加生活の現実

超絶具体的に、覚え書き。



「最低限、これだけあれば」という究極は、
無添加の固形せっけん。


 ↑ ↑
ガンコな汚れには、ほとんどこれ1つ。
服のエリや袖口まわり等の部分洗いにも、手洗いにも。
どこでも大概のものに使えます。



竹布のキッチンクロスと合わせ使いなら、
食器用洗剤の使用量が3分の1以下に減るそう。




固形せっけんは、1つを最後までキレイに使い切るため
台所→洗面・手洗い場→お風呂場の順に下ろしていくようにしてる。
(一番新しい石けんは、常に台所で使い始める)

衣類の部分洗いは、お風呂で入浴中にやってしまう。
湯船に浸かって長湯しながら。

∴浴用石鹸が、そのまま洗濯用を兼ねます。





洗濯用洗剤は、セスキ炭酸ソーダ(←成分名)がメイン。



先に純せっけんで部分洗いしたものをアルカリウォッシュで仕上げると、
せっけんの油分が取れて黄ばみや臭いが出にくくなる。



それでも石けん分が残って氣になるようだったら、
クエン酸で中和。




せっけん・重曹・アルカリウォッシュ等(炭酸塩類)のような
アルカリ系の洗浄成分を使ったとき
もし仕上がりが硬くてイヤな感じがしてしまう場合、
最後に酸性のもので濯いで、柔軟剤効果を狙う。

せっけんシャンプーで髪を洗って
キシキシ引っかかるのが氣になる場合も、同様。
 ↑ ↑
酸性だったら、お酢でも柑橘類の果汁でも何でもいい。
気分と相性でお好きなものを。





【なくても済むけど、あると楽なもの】

純せっけんは固形だけあれば用は足りるんだけど、
つい便利で使ってしまうのが、液体せっけん。

泡で出てくるポンプタイプは、適量だけ出せて使い過ぎも防げる。


 ↑ ↑
これ1本で、シャンプーも兼ねます。
菜食で油っけが抜けてくると、
一般のシャンプーでは洗浄力が強すぎて痒くなったりするから。




キッチンが狭くて固形せっけんの置き場に困るときは、
やっぱりボトルタイプが重宝。






お鍋のコゲ落としとか、クレンザー代わりには重曹。



食品添加物クオリティなら、不純物が少なくて手荒れしにくい。
もともと料理用途で
ケーキや焼き菓子類のふくらし粉にも山菜等のアク抜きにも使えるから、
置き場所だって節約。






しょぼんゴミを増やすのを詫びながらも頼り続けてしまっている
使い捨てお掃除シート。



掃除機の電磁波がツラくなってきた向きに。




窓ガラス類+たま~にメガネやOA機器も拭いてしまったり。





大手スーパーや100円ショップでも見かけるようになってきたのが、嬉しいラブラブ




長く保管してホコリが積もった調理器具類に、
水が使えない場面で拭いて済ませることもあり。




↓家具や壁紙にも使ってしまう。




しつこい油汚れに、劇的な利きっぷり!





服部製紙さんのが、合成界面活性剤は不使用で肌にやさしい。
除菌成分も最低限のアルコール程度。

注意体質等によっては、消毒用アルコールも体調悪化の原因になります。
(私の場合は天然由来で不安定な成分のほうが刺激にやられやすいため、ものによっては変質しにくい低刺激なケミカルを優先しています)




掃除用具を洗ってキレイに保つのが大変なので、
楽さに流れて甘えている筆頭汗





...なんて言いながら、
「トイレ掃除で開運!」の呼び声に乗って
素手で掃除してたりする日野由乃香でした。

(単にゴム手袋で水気がこもって逆にカブれるのを避けたいだけ)



お読みいただき、感謝です。

“社会不参加”という抗議行動

闘病生活と未婚歴は、社会に対するストライキなのだ。



★人々は自分たちの本当の力を知らない。
(The people don’t know their true power.)




ある人のTwitterで、ものすごく共感する発言を見た。

*************************
弱者が死ぬのは、自給自足のような生活を目指し、
経済成長を止める人間のせいではないですよ?
弱者が、極限まで働かなければ維持できない
うんこみたいな経済社会が弱者を殺してるんだっつの。
弱者が、鎖を断ち切って、自給自足されたら困るってはっきり言ったら?


結束は、買収も潰すのも簡単になる。
リーダーは取り込まれた人間の可能性も大きい。
バラバラに黙って去って目立たず関わらずが、難しくなく脅威となる。


被曝を完全に拒絶し、原発の稼働している管轄を去る、
がれきを燃やしている地域を去る。
それをせずに被曝しながら
「用意された」国民投票運動やデモをしても何の意味もありません。


全てが、カネや手続きで解決できると教育された結果、
署名や投票運動や訴訟で解決策を買う。
自分や生活を一切変えることなく。
それで本当に解決するのならいいが、
ヤミ金のようにむしり取られ続ける。
しかしそれを戦っていると勘違いする。
ヤミ金を味方だと信じ敵と戦ってなどいないことに気付けない。


国民が、モノにとらわれず、ないならないで困らないしと、
逆境を逆手に取られたら困るんだよね。
欲しがれ、妬め、羨ましがれ、憧れろ、下層を見て優越感を味わえと、
日々煽られている。
一歩間違えば下層に落ちるから頑張り続けろと、下層が用意してある。


誰でもカレでも全否定かよと言われるが、当たり前だ。
まともな著名人がいるなら、世の中に原発なんてないんだよ。
訴えたり、怒ったりするのは、まだ体制を信じていることになる。
懐柔されたいのならそれもアリですけどね。
「反対運動を政治に結び付けなければ意味がない!」なんて
好都合なパシリなの。


視界に入れている時点で、愛も憎しみも怒りも同じ。
完全拒絶は無視だ。
視界に入れない。謝罪も賠償も求めない。
求めれば繋がり続ける。
貰えれば許せる程度のことなのか。
拒絶しなければ犯罪は何度でも繰り返される。
賠償を求めないのは相手の思う壷なんかではない。
賠償は懐柔のカードなのだから。
*************************



↑こういう態度と同じことが、
労働問題や医療問題や家族問題にも言えると思う。

巷にあふれる平均値を見て
「これが普通だし、不満は感じても当座をしのぐのに必要だから、仕方ない」と利用してしまった時点で、
同じ害悪を繰り返し養い維持し続けてしまうのだ。






物々交換で必要が満たされれば
無駄な生産活動も廃棄処分もしなくて済むはずなのに、
「お金を払うために、生存に必要な分を超える生産活動をしなければいけない」

→∴天然資源を前倒しで消費収奪して、環境破壊を加速させる。

まさにそこが、資本主義社会が問題を生み出す大本なわけで。



「過剰な生産活動が悪ならば、たとえ働く能力があっても労働市場から消える」無言のボイコットにも一理あるだろう。

原発労働者がそういう風にいなくなれば、原発も維持しようがない。



同じ仕事が本当に必要ならば、
健康で有能でその職を心底欲している人に席を譲り渡す方が
CS持ちの厄介者に不満タラタラ居座られるより良かろう。



どうせ病院へ行っても、化学物質過敏症には
せいぜい生活指導をされるだけ。


言われるままの養生を尽くしたら、出歩くことさえ気が重い。

解毒剤のタチオン散も、中に含まれる人工甘味料が
消化不良を起こして飲めなくなった。






...と、生活保護に甘んじて居直る言い訳を続けてる。
(ある意味、お金のために滅私奉公して地球環境を壊す側に回るより悪質?)








母は『お金がなくなる不安』で公務員職に執着して、
己の本領天分を活かす仕事を諦めた。
お金のために仕方なく働いていたから
職場で学び得たことを家庭で生かす発想は毛頭なかったし、
自分の不満が鬱屈しているから
他人が満足を得ようとするのを許せなかった。



そういう親に養われないと、生きていけない自分が不甲斐なかった。

だから実家を蒸発した。



中学時代~蒸発前の親子生活は、熟年離婚を考える妻の心持ち。

同じことを他人相手に繰り返したくないから、
結婚を逃げ道にする期待は最初から無かった。





化学物質過敏症に倒れて出戻ったら
親も少しは環境問題と己の不健康の関連に氣付いて
悔い改めるかと思ったけれど、
あいも変わらず他人事扱い。
従来どおりの習慣を惰性で続けるままだった。



WWOOF放浪で移住先のご縁を得て、晴れて再別居。

長年の職業病で手首を壊し
「医者から家事もやめろと指示されている」と話を聞いて
実家に帰ってその姿を目の当たりにしても、
他人事扱いでそのまま放って、一人暮らしを続けさせた。

かつて私がそうされたように。






...いよいよ、母が音をあげだした。

10年前までの私だったら、母を殺して自分も死にたい状況。


今は?

“無償の愛”の欺瞞

支配の基準が『お金』から
『愛と奉仕』という無形物に変わるだけだとしたら、
その方が今よりむしろ厄介かもしれません。



「自分に出来る無理のない範囲で社会貢献する」
という前提で社会全体が動くようになったとき、
一般に提供される物資やサービスが
弱者にとっては生存するため必要な質ないし量を満たさず、
むしろ現状より切り捨てが過酷になる可能性が懸念されます。





具体的に化学物質過敏症(=CS)患者の例を挙げると、
大多数の人が
“衛生管理のために合成洗剤や殺菌消毒・防臭が必要だから”
等といって日々常用し
「可能な範囲で安全性や環境負荷に配慮する」
「防腐処理・抗菌加工の微量成分は、必要無害」
と宣伝されているものによって、
就労する能力も健康に過ごせる空間も奪われている。

多数派にとって用意が簡単で扱う心労も少ない
『提供可能な範囲』の貢献が、
時としてアナフィラキシーショックを招く致命傷にもなりうる。

ごく一部、CS患者の求める質的水準を満たす能力を持つ
生活物資やサービスの提供者がいたとしても、
その提供者には「どれだけの量を、誰のために供するか?」
選ぶ自由があるわけです。



CS患者は日本全国に推計100万人超。
かたや、無農薬・無施肥・自家採種で
自然栽培の作物を生産している農家は、ごく少数。
需要と供給の不均衡が生じるのは、資本主義市場と一緒です。

数少ない生産物をめぐって
完全に個々人の自由意志で貨幣抜きのやり取りが始まった場合、
「最も必要度が高いところへ適正配分する」基準になるものは何でしょう?





提供者には、自分にとって好都合な相手を選ぶ自由がある。
供する内容に条件制約をつける自由もある。

それを口実に自分の望むがままの奉仕貢献を
相手から引き出す『コントロール』も出来るし、
氣に入らない相手なら
あえて拒否して窮地に追いやることも可能でしょう。



一方で、受け手の側には

◆生きていくために必要なものを充分得るため、他の需要者を蹴落とす。
(あるいは、提供者を騙して奪うことも含む)

◆健康被害等を覚悟で、不満はあっても供給量が多い他のものを甘受する。

◆満足出来るものを自分で作る。

◆自作も調達もままならず、黙って死期(ないし奇跡)を待つ。

といった選択の自由がある。








“愛と善意で無償の奉仕”という美々しいスローガンの下、

豊かなる者が『無償の奉仕』を振り向ける対象を
自分のエゴを満たす都合で選んだ先には、
『愛』や『善意』の名を借りて
他者を支配するパワーゲームの世界が繰り広げられる。



対する貧しき者が、
食べ物を分けてもらうには/
住まいを提供してもらうためには/
生きていくには/

「愛と善意があると認めてもらえるよう、奉仕しなければならない」

という“恐怖”“不安感”を前提に行動するとしたら、
それは「お金のために我慢して働かなければいけない」
という心の姿勢と、内実が一緒のままではないでしょうか?







本質的な愛と誠意を充分に深く学びきらないまま
『お金のない社会』を実現させたら、
生存競争の過酷さに拍車がかかるだけだろうな...
と思った次第です。

(同じ種類の学びが『お金の要らない社会』というステージに持ち越されるだけ)




お読みいただき、ありがとうございます。

お金が諸悪の根源なのか?

クローバー『お金があるから高まる精神性』の続きです。


お金を使うから「金さえ払えば何とでもなる」と思うのでしょうか?

「自分の都合さえ満たせれば、周りがどうなろうと構わない」
という意識があるから、
貨幣制度を使って「金を払うだけで何とでもなる」社会を維持して
今に至ったのではないですか?



「お金の要件を一律にクリアすれば、他の事は問わずに奉仕する」ことで
不要な禍害を増長する『無分別の無私』と『悪平等』に陥った過誤もあると思います。

自然界がどれほど人間に汚されても
水や大気や日々の糧となる資源を利用されるに任せて
変わらず養い続けているように、
現状を憂いながらも自己犠牲を続けている慈愛に満ちた人もいるでしょう。



一方、形の上で無私の奉仕と同じように見える仕事をしていても、
内情は本当に精神性の学びを深めているかどうか?
はなはだ疑問です。

「お金がないと生きていけないから、我慢して」
環境破壊その他の害悪に繋がる仕事を続けることで
「害悪を増長してでも、お金を貰って生きていくほうがマシ」
という選択を重ねている。

「職務上の指示通り役割は果たさないと、
 お客様からクレームが来たり上司に叱責されたり
 待遇悪化したりして面倒だから」
と、内心に不満を鬱積させつつ現状維持に明け暮れているのは、
自分の性根に本来あるはずの誠意良心を捨てて
自ら腐敗に追いやる行為だとも言える。







木の花ファミリーのいさどんが
「たとえ相手方に99%非があっても、
 自分側の1%の非を悔い改める事から始める」
と言われたように、
どこかしら自分自身の平素の言動・行動(を起こさせる意識)の中に
不平不満で苦痛な出来事を招く原因が潜んでないか?
直視して改善に向き合う必要があると思います。


一見よさそうな事ほど、
「ほめられたい認められたい愛されたい」
我欲の隠れ蓑・免罪符にされやすいですから。






「地獄と天国は、同じ場所」
地獄はこの身の中に。

∴天国の中にさえ闇は在る。表裏一体。

その闇をありのままに認めた上で
心安らかな極楽状態を追求するのが大事で、
自心の天国さえ確立していれば
貨幣制度やら諸々の外の事はどうあっても平穏安泰なんですよね。



お読みいただき、感謝です。

リサイクルの功罪

ひところ流行ったエコキャップ運動のように。



「再利用さえすれば無駄がなくなって、資源浪費も環境破壊も減る」
と思うところに、落とし穴があるかもしれません。






リサイクルするべきものが無くなる→不要で処分に困るものがなくなる。

すべての人が自分に必要なものを最初からわきまえて
いったん手に入れたものは修繕のしようもないぐらい徹底的に使い込んで
用途を全うして最終処分するところまで責任を持って見届けられれば、
『リサイクル』自体が要らなくなりますよね?

実際には、子供服が寿命を迎えるより前に
子どもの体が大きくなって着られなくなってしまうように、
「その品を最初に入手した人が必ず最後まで使わなければならない」
と制限してしまうと、不自由すぎて違った無駄が出てきてしまうので、
ある程度のリサイクルは必要になるかと思いますが。




リサイクルするより新品を製造する方が
環境負荷は少なくなるケースもありえます。

解体した古民家の柱を家具に作り替えるぐらいなら
有効利用の範囲内で合理的だとしても、
廃材から合成繊維を作って服にするような『技術革新』を求めるよりは、
耕作放棄地でヘンプやリネンや在来和棉を栽培する方が
よっぽど簡単で無駄もない。



同じ成果を得るための作業は
少なくて楽な方が本来は良いはずなのに、

仕事がなくなる→仕事の存在意義が問われる。
→その仕事に従事する自分の存在価値は?)
→→収入が減る→食いっぱぐれて死ぬ!!!

...という思い込みのループにはまって
要らない仕事を捻出して、
ネズミの輪のように走り続けてしまっているようにも見えますね。



お読みいただき、感謝です。

春なのに...

またしても雪。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-積雪@裏の畑

昨日2/19(月)から今朝にかけて、降ったりやんだり。

今回の雪は、これまでと比べて珍しく水っぽい。
道で先に濡れていた辺りは、積もらないまま済んだ。




田んぼの草刈りは2/7(木)の時点で、ほぼ完了。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ遠景:2/7



いつものアングルから。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ全景:2/7





だいぶ見晴らしが良くなりました。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ3段め:2/7



足あと鳥さん達の住処は奪ってしまったけれど...ヒヨコ







防獣ネットを張る資材が用意しきれる見込みは薄いから、
鹿も猿も猪も食べたがらなさそうな
エゴマを蒔けたら良さそうだと、当初は思ってました。
合格鹿が食べ残す作物は、珍しい!



けど、荏胡麻の実は鳥の好物だそうで。。。


食べられる前に収穫しきれるか?
種蒔く前から、悩みは尽きません。





お読みいただき、感謝です。



お金があるから高まる精神性

★『お金のいらない世界』は、本当に幸せか?の続きです。



お金を介してやり取りすることで、

「商品やサービスに対して決められた額の金銭を払うこと」
「提供者の妨害になる行いをしないこと」さえ守れば、
誰もが等しく同じ利益を受けられる。

という一線が保てる、プラスの側面もあります。



具体的な例で言うと、
携帯電話の端末代と使用料を払って
携帯会社の営業妨害になるような迷惑行為さえしなければ、
ヤクザであろうと前科持ちであろうと人格障害者であろうと
通話やメールやネット利用の便宜を得られるように。



サービサーの側は、お金を得る仕事を通じて
「サービスの維持に必要な経費を使用者に負担してもらう代わりに、
 使用者の人格・素性・経歴・趣味嗜好その他を問わず
 負担に見合ったサービスを提供する」。
右矢印誰に対しても等しく自分の提供するものから利を得る権利を認める
無私の態度
を学び深めている、とも言える。

大企業は「利潤追求する我利我利亡者で、えげつない」
という見方が出来る一方で、
「誰に対しても必要条件さえ満たせば、サービス提供を保証する」
姿勢を貫徹した結果、支持を得て利益が集まった。
とも言えるでしょう。

現存する営利企業の中にも、
物・心・経済すべての面において
社会貢献を着実に実現している事業者さんは
少なからずあるはずです。



お金を媒介にすることで、自分の価値観や私情を滅して
相手の希望やサービス品質の維持向上を優先する
『無私の精神』や『公正さ』を磨き上げる機会があったのに、
そこを放棄して「貧富の格差は社会制度のせい」と居直ってしまったら、
格差を生み出した人々の意識の在り様の問題は
根を残したままですよね?

その状態で貨幣制度だけ撤廃した先に、
どんな結果が訪れるでしょう...




お読みいただき、感謝です。

『お金のいらない世界』は、本当に幸せか?

長島龍人さんの『お金のいらない国』という話を
周りでよく目にするようになって、氣になったこと。





お金は結局、人が生み出した道具の1つに過ぎないから、
「お金を無くすこと」にばかりフォーカスすると
人の意識の在り方は旧態依然のまま温存して、
形は変わっても本質的な問題は繰り返されると思います。



社会の在り方として
【1】お金が無くて、幸せ。
【2】お金があって、幸せ。
【3】お金があって、不幸。
【4】お金が無くて、不幸。

さらに、【1】の中には
〔a〕貨幣制度が不要なぐらい、物も心も豊か。
〔b〕貨幣制度がある中で金銭上は貧しいけれど、物資も精神も豊か。
〔c〕貨幣制度上で金銭面も物質的にも貧しいと評価されるが、当事者は幸福で満足している。

【2】の中には
〔d〕貨幣制度を介してでも心豊かで、潤沢な物資を必要適所に公正分配出来ている。
〔e〕物理的には不自由なく経済的指標からも豊かと評される状態なので、幸せ。
〔f〕経済指標が高水準で『豊か』と認められるレベルに達してさえいれば、満足。

という状態が、ありますよね?



『お金の要らない世界』と言ったときに目指しているものは、
言うまでもなく〔a〕だと思います。

そこに辿り着く前に、現行の貨幣制度を否定しないで
〔d〕の在り方を経由しながら〔a〕を求める。

→現状の社会制度や各自の立場等はそのまま受け容れた上で
「今この場にある豊かさを最大限に分かち合って、
 最大多数が各々にとって最適な幸福を得られる」ように
具体的な取り組みを進める選択も、あるのではないでしょうか?



その取り組みは、設備や制度といった形より、
今すでに日常で何気なく繰り返している
些細な事を『どのような意識で行なっているか?』の方が
重要だろうと感じています。



具体的な事例については次の記事に。
お読みいただき、感謝です。

草踏みビフォーアフター

またしても雪。

1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ全景:1/28



前回に比べると積雪量は少ない。
(2~3センチ程度、5センチ未満なのは確実)






いつものアングル(南東の端)から。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ遠景:1/28

雪があると、刈り残しとの対比が判りやすい音譜







3段目を西側から東方向に望む。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ3段め:1/28


草刈りの終盤が見えてきました。





あまり劇的でないビフォー&アフター。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-草踏みビフォーアフター

↑左が踏む前、右が踏んだあと。



枝の間に雪を落とし込んだだけ。
サラサラの粉雪なので、地表近くに入り込む。

...って、
積んだ草のカサを減らす方向では、踏み込む効果があまり無かったしょぼん









1月25日(金)と翌26日(土)は風が強くて
とくに金曜はトタン板が宙に舞ってたほどで、
身の危険を感じて圃場に出るのを諦めたのでした。



そこまで強風だと、並べた草も風にあおられて
一部あちこちに散乱したり
畝になるよう並べた列が乱れたりします。

(とくに木の枝みたいな質感の、オオブタクサ? 長い草が煽られやすい)



積雪量が前回みたいに10センチ以上あれば、
雪の重みで草がプレスされて
隙間がなくなって、風にも動じないで積まれっぱなしになる。

そういう意味では、雪も在れば在るなりに、ありがたいです。






2段目と3段目を一望。
(建物の手前左、石垣より下がった部分が3段目)
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-田んぼ2段め:1/28


↑このあと、2段目+1段目の半分を草踏み。

1段目の西側だけは踏み残しました。



単に体力が尽きて戻れなかっただけなんですけど、
雪が溶けたら踏んだ部分との違いを確かめたいと思います。





お目通し感謝です。

鳥の住処を奪うもの

ときどき、こんなふうに鳥の巣らしきものがあるのを
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-鳥の巣?

刈り倒し薙ぎ倒し、開墾を進めてきました。





最終段、いちばん広い3段目の田んぼが
2013年1月24日(木)夕刻の時点で、ここまで拓けています。

1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-1/24:田んぼ3段目




南東の端から撮影。
1%無添加の思いやり~地球もキレイにする暮らし♪ CSコンシェルジュの記録~-1/24:田んぼ全景

↑ここは、まだ先日との差がそれほど出ていません。





倒伏している草叢は、茎の向きが入り乱れているので、刈りにくい。

「どこから手を付けたら...?」と悩むことも、よくあり。



隙間が広くて足場を取りやすいところや
草の生え方が生前としているような
刈りやすい部分から、
ちょこちょこ適当に渡り歩いて
氣楽に遊ぶような感じで、
のんびり続けるようにしています。



そうしているうちに、点在していた空間が
あるとき一氣に繋がって、急に視界がひらけてくる。

『見通しが立つ』という言葉そのままに
清々しくなって安堵するのは、そんなとき。






ここの草刈りがひとしきり済んだら、
次は何をしようかな...?










お読みいただき、感謝です。