はるひなたさん、こんにちは。
いつもブログ読ませていただいています。過去ログまで遡って拝見しているのですが、
自分のことのように思ってしまうことばかりです。
どれだけ励まされていることか・・・本当に、有り難うございます。
今日はお伺いしたいことがあり、メッセージしました。
私は幼少の頃から、吃音で悩んでいます。
今では大分前向きになりましたが、心から不安が消えることはありません。
何をするにも、「どもるから自分には出来ない」、とブロックになってしまうのです。
余りにも重い足かせのように感じるので、
「吃音を理由に逃げているのではないか?」と考えました。
それなら、果敢にチャレンジしてみよう、吃音をカバー出来るくらいの能力を身につけよう、
自信がないからどもるのかもしれない、それなら自信をつけよう、と考えました。
しかし、幾ら頑張っても「周りに対する申し訳なさ」が消えません。
聞き取りにくい言葉を喋ってごめんなさい、と思ってしまいます。
自然に、周囲に対して卑屈になり、自分のことが嫌でたまらなくなってしまいます。
人口の1%は吃音者であると云われています。
吃音という現象は、どのような意味を持っているのでしょうか・・・?
ブログを見ている方々の中にも同じ悩みを持つ方がいらっしゃるかもしれない、
と思い、思い切って質問させていただきました。
お忙しいと思いますので、お答えいただけない場合も充分承知しております。
読んでいただいたことに感謝します。有り難うございました。
ご本、楽しみにしていますね!
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はじめまして、はるひなたです。
いつもブログを読んでくださりありがとうございます。
メールを読ませていただきました。
あなたは、人に対して思いやりを持ち、負担がないようにしたいという気持ちをもっている人手、とても優しく気配りのできる方だと思いました。
吃音の人すべてが、同じ意味を持っているとは限りませんが、参考になればと思いブログに書くことにしました。
ひとつは他人の痛みを理解するためです。
もうひとつは、話すという表現方法ではなく、他の表現方法で人にわかりやすく伝えるというためだと考えてみてください。
自分の伝えたいことを伝えるには、話すだけではなくいろいろな方法があります。
目を見て伝える、言葉で伝える、ただ一緒にいるだけで、伝わるなどです。
書く、描く、作品を作るなどのように、それ以外の方法で伝えることかもしれません。
吃音を解消した人も世の中にたくさんいるでしょう。
解消した人の中には、吃音で悩んでいる人に希望を与えるために自分の経験を伝えるという役割を持っている方もいます。
人は生まれる前に自分の肉体、性格、環境なとをきめてくるという考え方があります。
それが正しいかは私にはわかりません。
しかし、もしそれが真実であれば、あなたは、吃音ということを通して成長し、自分を見つめる時間をとっているのだと思うのです。
人は誰もが必要だからこの世に存在しているのだと思います。
あなたの存在が、多くの人に希望を与えています。
吃音を理由に逃げているのではありません。
それは、自分を見つめるきっかけになっているに過ぎないのです。
そして、もうひとつ付け加えたいと思います。
話をしていて、相手に対して申し訳ないと思う必要はありません。
あなたのことを大切に思っている人は、あなたがそこにいるだけで、いいのです。
上手に伝えられなくても、わかってくれると思います。
もし、仕事やその他社会的にもっとわかりやすくと思うのであれば、表現の方法は多数あるので、工夫するだけでよいのだと思います。
あなたがこれから更に素晴らしい人生を歩まれて、成長されることを心より願いします。