7日(日曜日)、岡山城へ続く旭川の土手は人波で埋まってました!


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岡山城の手前の石山公園では、「ふるさと食の自慢市」が開催されていて、

大勢の観光客で賑わっています。

45ブースもあって目移りしましたが、

千屋牛めしが生姜がピリッと効いて美味しかったですね。
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お城に近づきました。
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秋晴れの日曜日、岡山城では宇喜多氏の旗(兒文字)が翻ってました!
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宇喜多氏の出自は諸説ありますが、

」を旗紋とする百済の3人の王子が、備前の島(児島半島)に漂着し、

その旗紋から漂着した島を児島と呼びならわし、後に三宅を姓としました。


鎌倉期には佐々木氏(源平合戦で活躍)に仕え、

その一流が宇喜多(浮田)を名乗ったとするもので、

宇喜多氏は「」を旗紋としていました。


最近歴女ブームで、超イケメンだったと言われる秀家を売り込むようになりました。


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幾重もの人垣の隙間から覗いてみると、岡山城鉄砲隊が整列していました。
間も無く鉄砲隊の勇壮な演武が始まりましたが、画像のアップは次回にします。


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秀家は関ヶ原で敗れたあと、配流先の八丈島で50年を過ごしました。

83歳まで生きたので戦国大名の中では一番の長寿で、子孫もすごく多いですよ!


大坂夏の陣の後、豪姫の実家の加賀藩前田家から、

その所領のうち10万石の分与による家名の再興を勧められたが、

豊臣家への忠誠から徳川幕府に仕えるのを潔しとせず、

辞退したと言われています。

明治になって赦免されるまで、加賀藩からの援助は続きました。(wikより)


鉄砲隊演武の後、天守閣に登り見下ろすと、

八丈島の皆さんの「樫立て踊り」が始まっていました。

黄八丈の着物が緑に映えます!


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備前長船の「名刀太鼓」の皆さん、女性の演技が軽やかでした。
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帰りの城下ですが、丁度宇喜多軍の行列が表町から岡山城へ向かってました。
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今回も岡山城で、秀家&豪姫のコンテストがあり、

夕方、新旧揃って挨拶してるシーンが報道されてました。


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これから岡山のPRに活躍してくれるそうで、

二人を見掛けたら応援よろしくお願いしますね(^-^)/