おもうこと
11月1日。
朝起きた時は、なんでもなかったのに、支度して、会社へ向かえば
向かうほど、左肩、首が痛くて痛くて、寝違えたように
その痛みは増していった。
今、思えば、父が朝から私を呼んでいたんだと思う。
朝、10時頃、母から連絡があり、車で40分かけて、病院へ
着いたころには、父は、すでに脳死状態で残念ながら意識はもう
なかった。
激しく呼吸はしているけれど、手を握り締めても、握り返して
くれることは、無かった。
電気ショックをずっと流しているのかと思うくらいの
全身の激しい痙攣は、見ていて恐怖さえ覚えた。
激しい呼吸がだんだんと薄れ、最後に足が不自由な父の兄が
父の元へたどり着き、全員がそろってすぐの夕方に息を引取きとった。
私の首の痛みも気がつけば治っていた。
父がひと呼吸して、次の呼吸をするまで、自分も呼吸が出来ないくらい
苦しくて、ドキドキなんて言葉じゃ言い表せないくらいの辛さだった。
だけど不思議と、ものすごい悲しみの中で、「人ってこうやって死ぬんだな~」
なんて冷静に受け止める、もう一人の自分も居たりした・・・。
きっと、人って、いろんな面をもっていないと
気持ちに押しつぶされちゃうんだろうな~~。
愛する人を、何の前ぶれもなく、亡くしてしまう悲しみもあれば
愛する人が刻々と悪化していく様子を、なすすべもなく、ただ
見守るしかない悲しみがある。
愛する人のそばに、どんなに居たくても、遠くから、ただ祈る
ことしか出来ない悲しみもあるだろう。
愛する人を亡くす・・・。
それ以上に、悲しくて、辛いことって、あるんだろうか?
なんて、最近良く考える。
父は、良き父親だったけど、良き夫ではあまり無かったと思われる。
もうすっかり、元の生活に戻り、物足りなさを感じながらも、
日々、元気に過ごしているけれど、
年末、年始に、父がいない・・・。
いつもなら、大晦日、お正月にやる長編時代劇のビデオの録画設定を
毎日のように、お願いされている時だ。
あんな父だったけれど、そう想うとやけに寂しい。
毎日毎日、父らしい笑顔の写真を見ているのが、
ちょっと、嫌になってきた。
こっちが、どんなに疲れていても、悩んでいても、
いつも笑ってるから・・・。
たまには、父らしいブスッとした顔の写真でも飾っておこうかな?