僕にはお父さんが10人以上いました。in【貧乏】 | 【遺言‐ユイゴン‐】「どもり・吃音」で人と会うのも電話を取るのも憂鬱だったのに 2つのステップで克服し人生を逆転させた方法のすべて。

僕にはお父さんが10人以上いました。in【貧乏】

 「僕にはお父さんが10人以上いました。」

こんばんは。ほりひろです。

今日も貴重なお時間に
お付き合いしてくれて
本当にありがとうございます!


今日は記事タイトルに【貧乏】が入っているので
私のことをお話ししようと思います。

「何の話やねん!!」
な、
あなたのために簡単に説明します。

これから
記事タイトルのどこかに【貧乏】が入っていたら、
私の昔話や近況やらの話をしようと思っています。

「オッサンの身の上話なんかどうでもええねん!!」
と、
怒られないために読む前からわかるようにしたシステムです。

まぁ システムってほどのモノではないですが・・・(苦笑)。

っで、
今日は
「僕にはお父さんが10人以上いました。」
のお話しをしようと思います。

何をどこから話せばいいのか考えたのですが
最善の答えが出なかったので、
自分の記憶を逆上り、
憶えてることを書いていこうと思いました。

なので、
今後、時系列的に矛盾してることや
つじつまの合わないトコロが出てくるかも知れませんが、
「自分の記憶」という曖昧なデータからの引用なので
そのあたりはご理解してもらえると幸いです^^

っと、またしても前フリが長くなってしまいました。

===========================
 「僕にはお父さんが10人以上いました。」
===========================


一人目の・・・
血のつながった父親とは10歳まで一緒に暮らしていました。

一緒にと言っても、
ほとんど会話した記憶もないし
一緒にご飯を食べたり、どこかに出かけた思い出もありません。

どこかに連れていってもらった思い出は
大阪のPLランドという遊園地に行った記憶しか思い出せません。

しかも、
それが何歳の時だったのか?
現地で仲良く遊んだのか?
昼食はどうしたのか?

たったのひとつしか記憶にない思い出なのに
そんなことも思い出せません。


当時、
私たちは父親が勤める運送会社の事務所の上に
プレハブ的な家を用意してもらい、そこに住んでいました。

2歳上の姉と3歳下の弟、そして母親の4人で暮らしていました。
「4人?5人じゃないのか?」
ってカンジですが、
私が物心付いた時にはココにいて
10歳まで住んでいましたが
父親はほとんど一緒に暮らした記憶がありません。

父親の職場に住んでいたので
日中は見かけることもありましたが
この社宅で一緒にご飯を食べたりすることはほとんどありませんでした。

っと、
余計な話をしだしたらいっこうに話が進まないので省略します(笑)。

っで、
ほとんど一緒に暮らすことがなかった父は
もちろん生活費も家にいれることはほとんどなく、
母親は毎日家で内職をして私たちも学校から帰ってくると
ソレを手伝う毎日でした。

4人で夜寝る前まで内職をする毎日だったので
学校から帰ってきてから友達と遊びに行く
ということもほとんどありませんでした。

そんな毎日の中、
仕事中の父親のところに行き、
「お母さんが生活費ちょうだいって言うてる。」
と、私たち3人兄弟は
順番に言いに行くということをやらされてました。

「やらされていた。」
という表現になるくらい本当にめちゃめちゃ嫌でした。

「おらんかったらいいのに・・・。」
と、
心の中で願いながら
父親がおるであろう時間帯に事務所に行ってました。

私が事務所に入ると
他の事務員さんや社長さんは露骨に嫌な顔をしてることくらいは
小学生だった自分にも充分にわかりました。

っで、
父がいなかったらそのままお辞儀だけして立ち去り、
2階に戻って
 「お父さん、おらんかった。」
と、
報告するだけで済むんですが
それはそれで今度は母親の機嫌が悪くなってしまいます。

父がいたら
「お母さんが生活費ちょうだいって言ってる。」
と、
毎回このフレーズだけを同じようなトーンで機械的に言っていました。

「機械的に」と言ってますが
内心はビクビクオドオドして
今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

っで、
ソレを聞かされた父は無視して立ち去るか
嫌な顔をしながら渋々お金を出すかのどちらかでした。

お金を出された時もどう対応していいのかわからずに
黙って受け取り黙って立ち去っていたと思います。

もらえても月で3万くらいが限界で
一度にもらえるのは最高で1万円がいいところです。
っで、
持って上がっても
「こんなお金でどうやって生活すると思ってるの!?」
と母親に逆切れされ、
もらえない日が続くと夕方から夜遅くまで
近所の居酒屋やスナックを
「お父さん来てますか?」
と訪ねる毎日でした。

もし、
父がいたら、また職場でのヤリトリと同じことが始まります。

そんな生活が物心付いたころから小学3年生まで続き、
弟が小学校に入学したのを機に
母親はパート勤務をすることになり
そこから、また新たなサバイバルのような生活がはじまります。





って、長々と書いてしまいましたが、
「こんなん読んでくれる人がいるのか?」
と不安になってきました^^。

今回、はじめて自分の過去の事を文字にしてみました。
中々うまく表現することが出来ず、
思い出しながら書き綴ったので
頭の悪そうな文章になってしまったと思います。

まぁ、実際に頭が悪いワケですから当然と言えば当然です(笑)。

あなたにとって何の価値にもならない
私のお話しに最後まで付き合ってくれて
本当にありがとうございます!

余程の苦情メッセージがこない限り、
また続きを書こうと思っています。

「もうええって!」
な、
あなたは記事タイトルの【貧乏】を要チェックです(笑)。

ではでは
今日も本当にありがとうございました!
そして
今日も一日お疲れ様でした♪

今週も誠意いっぱい精一杯全力で頑張っていきましょう♪



追伸
全然記事タイトルの話になってませんでした!
ごめんなさいショック!

【貧乏】の続きを読む→「ありがとうございます!!」

  キラキラ現在無料でプレゼントしてます!!キラキラ
$【遺言‐ユイゴン‐】「どもり・吃音」で人と会うのも電話を取るのも憂鬱だったのに 2つのステップで克服し人生を逆転させた方法のすべて。
 リラックマ↑クリックすると紹介記事にジャンプします↑リラックマ

人気ブログランキングへ
          ↑
男の子「最後まで読んだよ!」女の子
チューリップ赤優しいあなたの1クリックが励みになりますチューリップ黄

「もう1記事読んだるわ!!」
ありがとうございます!! →「こちらからどうぞ!!」