こんにちは、さっちんです
思い出というのは、『良い思い出6:普通の思い出3:嫌な思い出1』の3つに分けられるそうです。
人間の記憶は、新しい記憶がいっぱいあるほど嫌なことや辛かった記憶が消えていくメカニズムを備えていて、思い出は時間が経てば浄化して、後にはみんなこの割合になっていくという一説があります。
震災を経験した子どもたちの中に、『良い思い出』をひとつプレゼントできたらいいなと、登米市に行ってきました。
仙台からは遠いイメージがありましたが、三陸道も延長し「登米I.C」まで行くことができるので思ったよりずっと近いとわかりました。
登米市訪問は、震災に心を痛め自分にできることをしたいという人々の思いがつながり実現したものです。
3月11日の震災を知り、海外の子どもたちが被害に遭った子どもたちのためにできることで想いを伝えたいと、絵を描いてくれました。
その絵をなんとかみなさんに見ていただきたくて、私たち(せんだいタウン情報machico
)はサイトに掲載したり、ポストカードを作ったりしてきました。
そして、もっと伝えられるものをと考えて、1年間飾れる「For Children By Children 2012カレンダー」を作りました。
このカレンダーを販売して収益の一部を被災地のために使いたいとマチモール
に掲載したら、せんだいタウン情報machicoの会員の方々が購入してくれました。
そして、この取り組みに共感してくださった富士ゼロックスさんが、被災地の子どもたちに届けてほしいと印刷費用を負担してくれました。
どうやって被災地の子どもたちにお届けしたらいいかと考えていたところ、当社とのつながりのあった登米市の「コンテナおおあみ」さんが、登米市の仮校舎で勉強している、南三陸町立戸倉小学校と中学校のみなさんにお届けするお話をつないでくださいました。
ほんっとうにこのカレンダーには、たくさんの方々の思いが詰まっているんです。
「コンテナおおあみ」の千葉さんの案内により、登米市の廃校になった校舎を利用して勉強している、南三陸町立戸倉小学校・中学校へ向かいました。
校舎は旧登米市立善王寺小学校。
立派な校舎です。
「子どもたちが待っています」と先生にご案内いただき、「音楽室」と書いてある部屋へ入ると、なんと、体育座りして待ってたみんなが、起立して
「こんにちは」
元気でびっくり
というか、こんな歓迎を受けるとは思ってもいなかったのでこちらのほうが照れてしまいそうです
5年生と6年生の代表の児童に
「海外の子どもたちから送られてきた絵で、カレンダーを作りました。使ってください。」と手渡すと
「大切に使います。ありがとうございます!」と、元気な声で受け取る子どもたち
正直、行く道々、どんな顔をして子どもたちに会ったらいいのだろうかと考えていました。
想像もしていなかった経験をしてきた子どもたち、心にまだまだたくさんの痛みを抱えているだろうと思います。
南三陸町の戸倉地区は、まちの7割が流されました。たった30分で、すべてがなくなってしまったのです。
ニコニコ元気な顔であいさつしてもいいのだろうか。
でも、大変だったねとあの日を思い出させるようなこともしたくない。
迷ってばかりで心が決まらないまま…
会った時の子どもたちは、凛々しい顔をしていました。
本当に本当に凛々しくて、背負っているものが大きい分、力強さすら感じます。
だから私も笑顔で渡すことができました。何も迷わず、子供たちの顔を見てしっかりと。
先生のお話によると、この学校は3月までお借りしていて、そのあとは志津川地区に移転するのだそうです。
現在は、南三陸から1時間もスクールバスで通っている子ども達が多いそうですが、登米市の仮設住宅にいる子ども達もいます。今後82人の児童と15人の先生方の生活環境がまた変わってしまうことが、ちょっと気がかりです。
戸倉中学校の校長先生にもお会いしました。
生徒分と先生分のカレンダーを受け取っていただきました。
すみません、私の顔が大きすぎです。
たくさんすれ違った中学生たちの「こんにちは」が元気よくて、こちらの背筋が伸びました。
こんな当たり前のことなのに、大人になると新鮮に感じるのがおかしくて仕方ありませんでした。
帰り際、校舎を振り返ると震災に遭った校舎の正門から剥がして持ってきたと思われる、学校名のプレートが地面に立ててありました。
重々しい立派な看板です。
いつか、本当の自分たちの校舎に掲げる日がやってくることを願わずにはいられません。
登米市訪問の話題は次回へつづく…