「妻の遺した秘密の絵 関谷富貴の世界」展へ | 土方美雄の日々これ・・・

「妻の遺した秘密の絵 関谷富貴の世界」展へ

東京駅から新幹線で宇都宮へ。栃木県立美術館へは、宇都宮駅からタクシーで、10分あまりの距離。バスで行く場合は、作新学院行きのバスに乗り、「桜通十文字」で下車とのことだが、往路は気も急くので、タクシーを使った。

栃木県立美術館で、6月19日までの会期で、「妻の遺した秘密の絵 関谷富貴の世界」展が開催されていて、評判になっている。巡回展の予定はなく、この機会を見逃すと、次にいつ観ることが出来るかわからないので、行くことにした。しかも、昨日は仕事の関係で、昼過ぎに東京を出て、夕方にはまた、アキバのオフィスに戻らねばならないので、往復、新幹線を使うしかなく、交通費は1万円前後、かかる。でも、昨日行かないと、会期中にもう、行く機会はないかも・・と思い、差し迫った仕事はなかったので、「夕方、戻るよ」といって、オフィスを後にした。

関谷富貴は、栃木県立美術館が発掘した、これまでまったく知られていなかった、画家である。彼女は洋画家関谷陽の妻で、1969年に66歳で逝去した。彼女が生前、絵を描いていたことは、ごく一部の限られた人しか知らず、彼女自身、その作品を公表することも、まったく、なかった。遺された作品は200点あまりで、すべてが抽象画である。そのすべての作品を、遺族が、昨年と今年、栃木県立美術館に寄贈したことで、その存在が明らかになった。

今回の展覧会は、その全作品を初公開するもので、その巧みな色づかいと、意匠の妙が、各方面で話題になっている。その作品は大半が、1950年代に描かれたもので、タイトル等はつけられておらず、作者に公表する気がまったくなかったので、当然、作品に関する資料等も皆無。同館の学芸員の方は、展覧会の構成と図録の作成に、さぞや苦労されたことだろう。

行ったのが平日の午後だったこともあって、館内に人影はまばらで、じっくりと、観ることが出来た。抽象画だが、作品の中には、かなり荒々しいタッチの、線描と色彩の乱舞の背後に、人の顔や、鳥や町の光景等が浮かび上がるものもある。学芸員の方は図録の解説で、クレーやカンディンスキー、ルドン、ディビュッフェ等の影響を、語られていた。画家がどこで絵を学んだのかは不明だが、多分、独学だろう。夫が画家であり、その創作過程を見守り続けていたことも、彼女が絵を描くようになった契機のひとつかもしれないが、ハッキリいって、夫はプロでも、その作風は平凡で、彼女の自由闊達な画才は、それをはるかに上回っていたことは、歴然たる事実であろう。

そうであるからこそ、画家である夫を、懸命に支えるという、古風な女性であった彼女は、自らの作品をあえて、封印したのかもしれない・・とも、思った。