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2016-12-05 11:05:26

キューバ音楽との出会いの旅終了に関する口上(みたいな)&紅白

テーマ:音楽

私が十数年前に、ミニコミ誌「そんりさ」に書いた「キューバ音楽と出会う旅」の再録は、「カサ・デ・ラ・トローバ&ファエス家のトローバ」をもって、終了です。まだ、何本か、未再録の原稿が、手元にありますが、いずれもトローバやソンなどの伝統的なジャンルを扱ったものではなく、また、私の手元に掲載号がないため、今となっては、何を書いたか、サッパリ、思い出せない回もあります。

ただ、再録し始めて、すぐに気づきましたが、何せ、書いてから、すでに、十数年経過しているため、文中で紹介したCDが、すでに入手出来なくなってしまっているものが大半で、要は、CDガイドとしては、まったく、役に立たないものであるということです。今後、機会があれば、紹介したシンガーやバンドのCDで、今、手に入るものは何かを調べて、せめて、ご報告できれば・・と、思っています。また、文中で紹介したCDはすべて、また、その他、トローバやソンに関しては、かなりのCDをコレクションしていますので、もし、具体的なご要望があれば・・ですが、「ラテンアメリカ探訪」等で、まとめてお聴かせ出来る機会をつくることが出来れば・・と(まぁ、ないでしょうが)。

とりあえず、キューバ音楽にご興味のおありの方がいれば、12月12日(月)の、今年最後の「ラテンアメリカ探訪」で、最近、「キューバ音楽を歩く旅」という本を、彩流社から上梓された、さかぐちとおるさんが、キューバ音楽について話されますので、是非是非、ご参加下さい・・と、これは宣伝です。とにかく、参加者が20人以上いないと赤字なので、マジ必死です。

ということで、口上、お仕舞いッ!!!えっと、要点は、キューバの古くさい音楽ファン、全員集合ッ!!!でしたぁ~。

ところで、全然、関係のない話ですが、大NHKは、出演者の世代交代とかを加速させていますが、「紅白」を毎年、必ず観るのは、私と同世代から上の、ジジ・ババばっかなのに、本当に、大丈夫???余計なお世話ですが、乃木坂とか欅坂(あッ、地名じゃなくて、歌手名・・ねッ)をよぉ~く知っていて、かつ、主要メンバーの名前を、スラスラいえるジジイは、多分、おそらく、私くらいなものじゃん。何せ、若い乃木坂・生田ファンから、勝手に「心の友」と呼ばれちゃってますので(お前とは、ただの1ミリも、友ではないッ・・ちゅうの、怒)。

 

 

 

 

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2016-12-04 10:37:21

キューバ音楽との出会いの旅/カサ・デ・ラ・トローバ&ファエス家のトローバ

テーマ:音楽

2001年6月23日付の「そんりさ」VOL.66に掲載したもので、これが連載第1回目の原稿です。ブログへの掲載順序が逆になったのは、特に深い意味はありませんが、ブログでの掲載のトップはマリーア・テレーサ・ベラで・・という思いが、何となく、あったからです。

*

昨年公開された『キューバ・フェリス』は、チェニジア生まれの映画監督カリム・ドリディが撮ったキューバ・フランス合作のロード・ムービーである。主人公のエル・ガジョはハバナの老ストリイート・ミュージシャンで、ストロー・ハットにサングラス、ギターケースひとつを持って、ハバナからマンサニージョ、サンティアゴ・デ・クーバ、グアンタナモ、カマグエイ、トリ二ダと回り、再びハバナに戻る、さすらいの旅に出る。行く先々で彼が出会う、有名無名のミュージシャンたち。エル・ガジョと彼らとの路上や個人宅、あるいはライブハウスでの即興のセッションを軸に、映画はキューバという島(国)における、そこで暮らす人々と音楽との切っても切れない幸福(フェリス)な関係を、一見ドキュメンタリー・タッチで描いていく。一見というのは、それがどんなに自然に見えても、エル・ガジョとミュージシャンたちとの出会いは、明らかに映画のスタッフによってセッティングされたものであるからである。ある意味で、あざとい映画である。しかしながらこの映画を観ると、キューバ各地に革命政府の肝いりでつくられた「カサ・デ・ラ・トローバ(トローバの家)」という場所が、一体、どういうところなのか、実によくわかる。ライブハウスとはいっても、そこは客が金を払ってミュージシャンの演奏や歌を聴く一方的な場所ではなく、飛び入り参加も自由な双方向的な音楽による交流の場、いってみれば、路上や個人宅のあくまでも延長なのである。

そんな各地のカサ・デ・ラ・トローバで歌い継がれてきたトローバ(トロバドールの歌う歌)の名唱一四曲を集めたのが、『カサ・デ・ラ・トローバ』(WPCR19005)である。

そのアルバムの第一曲目に収録されていたのが、忘れもしないファエス姉妹の「復讐の花」だ。共に七〇代のフローリセルダ・ファエスとカンディーダ・ファエスは、カマグエイのカサ・デ・ラ・トローバの創立者であり、姉妹は特にセレナータという叙情的な恋の歌の名手であるという。しかしながらファエス姉妹の歌うセレナータは、私が考えるような甘く切ない恋の歌などでは、断じてなかった。恋人たちの間で咲く筈だった愛の花が裏切りと悲しみの花に変わり、やがて復讐の花へと変わっていく様を、ファエス姉妹はその息の合った力強い歌唱で、一気に歌いきる。「あなたが死んだら、あなたにその素敵な胸に復讐の花を飾ろう」「あなたは私の幸せを殺した。だからいつかそのつけを払うのよ」等々、それはマッチョ志向の強いラテンの国の男たちと対等に張り合うだけの強さを秘めた、キューバ女性の、その情愛の深さを見せつけて、実に小気味のよい歌唱だった。

このアルバムには他にもフェリン姉妹やサイダ・レイテなど、実に魅力的なトロバドーラたちが登場する。しかしながら、ファエス姉妹の圧倒的な存在感は、その中でも一際、際立っていた。

『ファエス家のトローバ』(WPCR19048)は、前者のプロデューサーであるシリウス・マルティネスとエマニュエル・オノリンのプロデュースによるアルバムで、ファエス姉妹の数あるレパートリィの中から一三曲を選んで、収録したものである。

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の大ヒットもあって、多分にノスタルジックな選曲となっているが、年齢を重ねながらも決して枯れたりしていない、フアエス姉妹の力強く鋭く誇り高い歌唱によって、歌たちが実にイキイキと輝いている。何度くり返し聴いてもあきることのない、素晴らしいアルバムであると思う。また、このアルバムを聴いていると、トローバとはトロバドールの歌う歌の総称であって、決してひとつのジャンルではないことがよくわかる。それほど変化に富んだ、名唱である。

 

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2016-12-03 10:03:14

柳幸典「ワンダリング・ポジション」展

テーマ:アート

現代美術家で、広島県在住の柳幸典の大規模な個展が、12月25日まで、横浜・馬車道のBankART Studio NYKにおいて、開催されている。題して、「ワンダリング・ポジション」。

場所は、みなとみらい線の馬車道で降りて、徒歩5分くらいの場所。今は使用されていない巨大な倉庫を、展覧会等に利用できるアートスタジオに改装した施設で、同スタジオ1階のミュージアムショップは、美術書の品揃えが極めて充実しているし、ゆっくりつくろげるカフェも隣接されているので、もっと近くにあれば、足繁く通いたい場所だ(残念ながら、とても遠いので、まだ数回行っただけだが・・)。

さて、今回の柳の個展は、巨大な同スタジオの全館を使って展開されている、極めてスケールの大きなもので、広い空間に、憲法9条の条文をバラバラにして並べたり、砂で再現した世界各国の国旗に蟻を放って、その巣の拡大によって、砂の国旗が崩れていく様を展示したり、瀬戸内海にある犬島の廃墟を丸ごと使った壮大なインスタレーションの一部を、会場内にそっくり再現したり、廃棄物の山で作られ、目玉がぎょろりと動くゴジラ等々、とにかく、その規模が半端ではなく、ただただ、圧倒されるばかり。

とにかく、都内の美術館では、このスケールの展覧会を開催するのは、到底、無理だろうから、遠路はるばる、やって来た甲斐があるというものである。

1、2、3階と、順次観て、再び、1階に戻って、カフェで一休み。ドライ・タイプのジンジャーエールを頼んで、その瓶と氷の入ったグラスを持って、座る席を決め、テーブルにジンジャーエールの瓶とグラスを置き、少し、席を離れ、数分後に戻ったら、瓶内のジンジャーエールが何故か、空になっていた。カフェ内には、近くには若い女性の2人組、遠くの席に、背広を着た男性数人が、何やら熱心にディスカッションしている以外に、人はおらず、その誰かが私のジンジャーエールを急いで一気飲みするとも思えず、まったく不可解な状況。まぁ、どこかに潜んでいた座敷童か何かが、飲んだのだろうとでも、考えるしかない。う~ん。

カウンター内の、あまりやる気がなさそうな従業員に、その状況を説明してもムダだと思ったので、とりあえず、グラスの中の氷が溶けた、少量の水を飲んで、ガマン。一体、何か起きたのか???

まぁ、展覧会の内容とは、全然、無関係な話で、スイマセン。でも、不思議。

 

 

 

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2016-12-03 04:41:46

これで、多忙も打ち止めにしたいものだなぁ・・と

テーマ:ブログ

昨日は、とある裁判の、第11回目の口頭弁論。午前中は医者で、診察後、昼食もせずに、大急ぎで、地裁に駆けつけ、午後2時からの開廷に、何とか、間に合う(汗)。

今回で結審のハズだったが、自分が判決を書くといっていた裁判長が、急遽、別の人に交代。しかも、新しい裁判長は、超エリートで、もちろん、私の予断と偏見だが、おそらく、被告(国等)側に都合のよい判決を書くだろうと、思われる人物。とにかく、原告の意見陳述や本人尋問を聴くこともなしに、判決を書かせるわけにはいかないと、弁護団が頑張って、何とか、海外からの原告2名の意見陳述と、日本の原告2名の本人尋問とを、押し込んだ。

なお、来年2月6日の口頭弁論で、結審となり、たぶん来春、判決が出る。どのような判決が出ようと、もちろん、不当判決なら、こちらが控訴するし、その反対なら、被告側が控訴するので、裁判はまだまだ、続く。

しっかし、最近は、控訴審や上告審では、事実調べもなしに、すぐに結審し、判決・・というケースが多いので、勝てる可能性は、どんどん、狭まる。司法が立法や行政から完全に独立しているなどと信じるほど、柔ではないが、最初から負け戦を想定していては、闘いは出来ぬ。私にとって、おそらく最後の法廷闘争となるだろうから、ここは何とか、踏ん張りたい。

とにかく、疲れた。えっ、まぁ~だ、起きてるの???って、ハイ、これから、寝まぁ~す。

 

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2016-12-01 20:09:08

「ブレア・ウィッチ」

テーマ:映画

1999年に公開され、記録的な大ヒットとなった低予算ホラー映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の、実に17年ぶりの続編。というか、前作とほぼ同じストーリィを、ヘッドセットカメラやドローン等の最新技術を駆使したPOV映像で再現した、リメイクに近い作品である。

前作では、ヘザーとその仲間たちが、「ブレア・ウィッチ」をテーマにしたドキュメンタリーを撮るため、禁断の森に行き、行方不明になるが、本作では、そのヘザーの弟であるジェームズが、姉のヘザーを捜すため、仲間たちと、再び森に入り、様々な怪異現象に遭遇するという物語。果たして、ジェームズたちは、ヘザーを見つけ出し、無事、ブレア・ウィッチの森から生還出来るのか???

観客を震え上がらせる手法も、ほぼ前作を踏襲しているが、それでも、滅法、怖いのはさすが。監督のアダム・ウィンガードは、ハリウッド版の「デスノート」の監督にも抜擢されたそうな・・。

 

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2016-11-30 14:30:21

とりあえず、列記しておきます&沖縄のこと

テーマ:ブログ

多忙で、ゆっくり、ブログを更新する時間がないので、とりあえず、ここ数日の出来事を、備忘録的に、列記しておきます。

まずは、28日(月)。夕方からの「ラテンアメリカ探訪」は、東大の星埜守之さんによる、主にカリブ海の、クレオール文化に関するお話。大変、興味深いお話ではあったが、参加者は10人で、4000円の赤字。あまり、金銭的なことをいうのは、どうかとは思うが、財政を度外視して、会は続けられません。

29日(火)は、横浜・馬車道のBankART Studio NYKで開催されている、柳幸典「ワンダリング・ポジション」展を観に行き、夜は亀戸のカメリアホールで開催された、山崎ハコ新作アルバム「私のうた」発売記念コンサートへ。久しぶりの大きなコンサートとあって、私とほぼ同年配の、ジジ・ババが大結集。まぁ、ハコさんもそれなりに年を取ったが、それ以上に、私を含むファンの老化が、年々、益々、際立ってきた。ハコさんは、コンサートで、「80になっても、歌い続ける」と宣言されたが、果たして、ファンがそこまで持つか、どうか・・少なくとも私は、到底、その自信がありませぬ(泣)。

そして、今日は、医者通い。さらに、明後日も、医者通い。

さて、沖縄では、28日に、翁長知事が、残念ながら、高江の「ヘリパット」建設を、事実上、容認するかのような発言をされて(その後、そうとられたなら不本意・・とも、発言されたものの)、翌29日には、間髪いれず、高江と辺野古で、連続して逮捕者が出て、辺野古のテントを始め、数カ所にガサ入れも・・。

要は、翁長知事の優柔不断な発言につけ込んで、国家権力は一気に、反対運動つぶしにうって出るという、実にわかりやすい構図。圧倒的な(国会内での)数の力と、高い「支持率」とかを背景に、「土人」ごときに対しては、文字通り、何でも出来ると、勝手にそう思い込んでいる、安倍ヒトラーの暴走を、絶対に、許さない。文字通り、ここが踏ん張りどころ。どんなに、非力ではあれ、断固、踏み止まり、かつ、反撃に転じなければッ!!!と、強く、そう思う。

沖縄の人々には、所詮、差別への加担者でしかない「本土」の人間のいうことなど、到底、信じてもらえないかもしれませんが・・。

 

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2016-11-28 11:32:35

キューバ音楽との出会いの旅/クアルテート・ダイーダ、エレーナ・ブルケ、そしてオマーラ

テーマ:音楽

2002年11月30日発行の「そんりさ」VOl.77に掲載した原稿です。

*

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のコンセプトが、忘れ去られたキューバの老ミュージシャンたちの「(欧米社会における)再発見」であったとすれば、おそらくその唯一の例外が、キューバにおける現役最高の歌手(と、いいきってしまってもいい)オマーラ・ポルトゥオンドであるだろう。でもここで、オマーラについてのディスコグラフィーを書く気は、私にはサラサラ、ない。タワー・レコードやHMV等の大型CDショップの「ワールド」コーナーに行けば、オマーラのCDはどこでもたぶん十枚くらいは置いてあるだろうし、その中のライナーノーツや、その他一連の『ブエナ・ビスタ』本には、彼女の来歴などが詳しく、紹介されているからである。

オマーラ・ポルトゥオンドを語る時、絶対に忘れてはならない人物のひとりに、最近、残念ながら亡くなってしまったらしい、生涯、文字通りオマーラの好敵手であり続けたキューバ屈指の女性歌手、エレーナ・ブルケがいる。

オマーラとエレーナ・ブルケの出会いは、クアルテート・ダイーダという女性コーラス・グループでのこと。オマーラは一九三〇年生まれ、エレーナは一九二八年生まれで、ほぼ同世代である。クアルテート・ダイーダはまだ二十歳ソコソコのオマーラやエレーナたちのキュートなコーラスと、しかしながら、どんな歌でも確実に歌いこなせてしまう抜群の歌唱力とで、メキメキ、頭角を現し、革命前のキューバ・ショービジネス界の花形になった。

『NOCTURNO ANTILLANO』(ORFEON/CDL-16212)は、そのクアルテート・ダイーダ絶頂期の一九五七年に録音されたアルバムの復刻盤で、オマーラやエレーナの出発点を知ることの出来る、貴重な、そして格好の一枚である。

その後、一九六七年にソロのシンガーとなったオマーラは、ジャズの影響なども受けた「フィーリン」と呼ばれるキューバ・ポピュラーソングのムーブメントの中で、その才能を発揮し、やがて「フィーリンの恋人」(ズバリ、そういうタイトルのアルバムもある)などと呼ばれることになるが、オマーラ同様、ソロ活動を開始したエレーナもまた、フィーリンを得意分野とした。しかし、フィーリンの歌い手としての評価が固定するのを嫌い、実に様々なジャンルに果敢に挑戦するオマーラ(そこが彼女が器用貧乏ともいわれる所以)に対し、エレーナはその天性にして豊かな圧倒的な歌唱力を武器に、しっとりとしたスローなナンバーを朗々と歌い上げることに、ひたすらこだわり続けてきたように、私には思われる。

道は確実に、分かれ始めたのだ。オマーラはソンなどのキューバの伝統音楽から、ヌエバ・トローバやジャズなど、様々な音楽ジャンルをカバー出来る歌手として、革命後のキューバ音楽の文字通りの激動期をも自力で乗り切り(ただし、その彼女でも、八年近く新しいアルバムが出せなかった時期があったらしい)、常にキューバ、そしてラテン音楽のトップ・スターの座に君臨し続けたのに対し、エレーナの知名度はキューバの国外には、あまり広まったとはいい難い。

エレーナのおそらく最後のアルバムは、一九九五年に録音されたという『EN PERSONA』(EGREM/CD0394)である。これは実に、涙が出るほど素晴らしいアルバムである。まさにこれぞエレーナ・ブルケという、バックを極力抑えて、彼女の円熟の歌唱力のみをクローズアップしたつくり。私はCDが擦り切れるほど、聴いています。

その後、彼女の病気が伝えられたが、最近、届いた彼女の娘であるマレーナ・ブルケのCD紹介文には「故エレーナ・ブルケ」との表現があり、ショックだった。

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2016-11-27 09:10:58

再録はあと2回

テーマ:音楽

「キューバ音楽との出会いの旅」の再録は、とりあえず、あと2回で、打ち止めとしたいと思います。

2003年1月11日に発行された「そんりさ」VOL.78の拙稿「キューバ音楽との出会いの旅/キューバからキューバへ~マルレン&ユウコ~」の中で、私はこの連載を始めたきっかけについて、次のように書いています。

「青西(レコム)代表(当時)からの、誰かコラムで中南米の音楽評を書く人いない?という呼びかけに、『兵は拙速を尊ぶ』が身上の、お調子者の私がまんまと手をあげて、この連載が始まったのですが、当初は何人かの人で分担して書き、その中で私はキューバの音楽について担当する、という構想でした。ところが私以外に手をあげた人がいなかったため、とどのつまりはキューバ音楽についてのコラムが、延々と続くことになりました」

その後、一緒に「メキシコ学勉強会(現ラテンアメリカ探訪)」を立ち上げた水口良樹さんが、ペルー音楽の専門家であるため、水口さんに、ペルー音楽について書いていただけないかと懇願し、幸い、快諾を得ましたので、自らの連載はいったん打ち切って、水口さんの連載が始まりました。私のかなり偏ったキューバ音楽に関する紹介記事に関しては、その後、私自身が諸事情でレコムをやめたこともあって、ついに、再開されることはなかったのです。

ということで、たまたま、自室の整理をしていて、見つけた「そんりさ」のバックナンバーから、私の連載の一部を、ブログに再録し始めたのですが、文中紹介している古いCDは、今日ではほとんど、入手困難だし、トローバやソンといった、いわば一連の「懐メロ路線」が終わったところで、打ち止めとするのが正解かなぁ・・と思うようになったのです。

ということで、あと2回。読んで下さっている方が、もしいれば、どうぞ、よろしく。

「クアルテート・ダイーダ、エレーナ・ブルケ、そしてオマーラ」「カサ・デ・ラ・トローバ&ファエス家のトローバ」が、それです。

 

 

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2016-11-27 08:34:10

キューバ音楽との出会いの旅/ミゲール・マタモロスのソン

テーマ:音楽

2002年8月17日に発行された「そんりさ」VOL.75に掲載された原稿です。

*

偉大な作曲家でもあったミゲール・マタモロスの結成した「トリオ・マタモロス」が、ロレンソ・イエレスエロの「ロス・コンパドレス」と並ぶ、キューバの生んだ最高のヴオーカル・グループであるということは、中村とうようさんの『なんだかんだでルンバにマンボ』(ミュージック・マガジン増刊号、一九九二年)を読んで、知っていた。

そのトリオ・マタモロスがサンティアゴ・デ・クーバで誕生したのは、一九二五年のことである。メンバーはミゲール・マタモロスとシロ・ロドリゲス、ラファエール・クエートの三人で、一九六〇年にその活動を停止するまで、ずっと同じメンバーで活動を続けた。共に、ソンの興隆期を担ったセプテート・ナシオナールなどの名門グループが、随時、メンバーを入れ替えつつ、今日まで継承されてきたことを考えると、同メンバーによる、まれにみる息の長いグループである。

中村とうよう氏によれば、トリオ・マタモロスは結成当初はほとんどアマチュアの趣味の延長線のようなグループで、事実、ミゲールは運転手、ラファエールは市の衛生局職員、シロは鍛冶屋が、それぞれ本職であったという。ところが一九二八年に米国で出したレコードが売れ、それに伴いプロ意識に目覚め、演奏も急速にうまくなっていった。最初は三人だけで歌と演奏のすべてをこなしていたというが、三〇年代にはトランペットなどが、四〇年代末から五〇年代初めにかけてはピアノがそれに加わり、次第にコンフト(小編成のバンド)のスタイルをとっていくことになる。その後、ロス・コンパドレスの結成に加わることになるあのコンパイ・セグンドが、一クラリネット奏者として在籍していたこともまた、よく知られているエピソードである。

トリオ・マタモロスのCDには『永遠のトリオ・マタモロス』(BOM4001/2)などのベスト盤が数多くあるが、一九二八年の初レコーディングから一九三七年までの初期の録音を集めたのが、『LAGRIMAS NEGRAS』(NLN55024)だ。タイトルにもなっている名曲「LAGRIMAS NEGRAS(黒い涙)」をはじめ二〇曲入りで、技巧に走らない素朴な味わいが身上の、とても親しみの持てるアルバムである。

一九六〇年にその活動に終止符を打ったあとも、ミゲール・マタモロスは一九七一年までは生きていたというが、オリジナル・メンバー以外の編成で、トリオ・マタモロスが復活することはなかった。ただ、マタモロスの生んだ名曲の数々はその後も、多くのグループや歌手によって、今日まで歌い継がれてきた。

一九九九年に出た『DE CUBA SON MATAMOROS』(BisMusicCD192)は、そんな中の一枚であり、私のもっとも好きなマタモロスのカバー・アルバムである。同アルバムは本誌連載第五回で紹介した新生セプテート・ナシオナールのメンバーをメインに、ボレロ系の女性シンガーであるアイナス・ラブレウなどのゲスト・ヴォーカリストが加わって制作されたもので、なかでも「LAGRIMAS NEGRAS」はアイナス・ラブレウの若々しくも安定感のある歌声が最高で、セプテート・ナシオナールのメンバーとの掛け合いも息がピッタリ合い、オリジナル曲から新たな魅力を十分に引き出している。また、あっ、これこそセプテート・ナシオナールだなぁというサウンドも随所にあって、単なる名曲のカバーに終わらない秀作である。

最近、入手したファラ・マリーアの『LIBRE COMO GAVIOTA』(CDL11689)も、なかなか、いい。彼女もまたアイナス同様、ボレロ系の女性シンガーだが、このアルバムはマタモロスやセプテート・アバネーロの名曲をカバーしたものだ。

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2016-11-26 10:54:29

キューバ音楽との出会いの旅/ロス・ナランホス

テーマ:音楽

2002年6月29日発行の「そんりさ」VOL.74に掲載した原稿です。最近のロス・ナランホスの動向については、さかぐちとおるさんの新刊『キューバ音楽を歩く旅』(彩流社)に載っています。

*

ロス・ナランホスは一九二六年、キューバ中部の都市シエンフエゴスで結成され、一九二〇年代から三〇年代にかけてのソンの興隆期を担った、名門バンドのひとつである。ロス・ナランホスが結成された一九二六年はまた、キューバの音楽史に燦然と輝くソンの名門バンド、セプテート・ナシオナルがイグナシオ・ピニェイロによって結成された年でもあり、ちなみにその前年の二五年には、すでにセステート(セプテート編成になるのは二七年のこと)・アバネーロが、ようやく、初のレコーディングを行っている。ロス・ナランホスはまさに、そんなソンの創成期に結成されたバンドなのだ。

もちろん、現在のセプテート・ナシオナールやセプテート・アバネーロがそうであるように、ロス・ナランホスには、その結成当時のオリジナル・メンバーは、現在、ひとりも在籍していない。結成当時、その中心メンバー(ヴォーカル)であったといわれているグメルシンド・ソリアーノ・サジェスはすでに一〇年以上も前に死亡しており、結成時の他のオリジナル・メンバーの詳細な資料も、また、当時の音源も、何ひとつ残ってはいないのが実態だ(もちろん、今後、新たに発掘される可能性はある)。しかしながら、ロス・ナランホスはその結成当時のセプテート(七重奏)・スタイルを今もなお、かたくなに守り抜き、一九二〇~三〇年代の、いわば黄金期のソンの伝統を今日に伝える貴重なグループの、間違いなくひとつである。

二年前に出版されたさかぐちとおる氏の『キューバ音楽紀行』(東京書籍)には、シエンフエゴスの街の様子と共に、彼が街で偶然出会ったロス・ナランホスのメンバーに連れられて、彼らの演奏を聴きに行った時のエピソードが、紹介されている。

「(ロス・ナランホスは)一〇人くらいの編成だが、ソンの七人編成が音の厚みを増したような楽団だ。歌手のうち二人は八〇代、演奏者の大部分もかなり高齢で、奏でる音は年季の入ったものであり、その厚みのある演奏は素晴らしいものだった」と、そうさかぐち氏は書いている。氏は続けて、その彼らの日本公演が同年中に予定されていることにも触れているが、筆者は青山の決して大きくはないライブハウスで行われた、その彼らの日本公演を幸運にも聴くことが出来たひとりである。

彼らのアルバムは現在、アオラ・コーポレーションから日本語の解説付きで二枚出ており、その一枚は『褐色のソン』(CRACD213)、もう一枚は『オレンジの樹の下のソン』(CRACD219)である。後者は彼らの来日記念盤として発売されたもので、新たな女性メンバーも加わった最新の録音盤である。

よっぽどのキューバ音楽ファンでなければおそらくその名を聞いたこともないであろうロス・ナランホスの日本公演が実現したのは、いうまでもなく映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の大ヒットと、それにより突如巻き起こり、そしてそれこそ台風のようにあっという間に通り過ぎていった感のある日本における「キューバ音楽ブーム」によるものである。この映画のヒットによるにわかキューバ音楽ファンの急増は、年季の入った古参キューバ音楽ファンの眉を大いにひそめさせたが、私としてはそれにより多くのキューバ人ミュージシャンの来日公演が実現し、また、大手CDショップのキューバ音楽コーナーがさらに充実するなど、たとえ一過性のものであれ、ブームはむしろ大歓迎であった。

ロス・ナランホスの日本公演は、素晴らしいの一言に尽きるものであった。八〇代という高齢をまったく感じさせないヴォーカル、厚みと軽快さを併せ持った演奏、そして何よりも彼らのパフォーマンスの楽しさ、すべてが超一級品だった。皆さん、是非、彼らのCDを聴いて下さい。

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