鹿児島県西部の風景と廃校休校巡り(2023/08/18) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回の廃校休校巡りは、上図の4市に跨るため、

鹿児島県西部と称しています。

薩摩川内(さつませんだい)市1校、姶良(あいら)市1校、

日置(ひおき)市3校、南九州市1校の計6校を訪れました。

 

薩摩川内市街から県道42号を東へ進み、藺牟田温泉(いむたおんせん)の

手前約2㎞ほどの沿道に閉校らしき建物を見付けて立ち寄りました。

車が数台停まっていました。

 

アーチ屋根の重厚な建物は体育館です。

 

奥に立派な校舎がありました。

校舎正面の近景

 

校章

校名の朝陽、朝日を図案化したものです。

 

係りの方に許可を頂き、構内を見学させていただきました。

校舎の1階はリノベーションされ、天井が高く新たな空間が

広がっています。

 

壁の窓や柱はグリーンに塗装され、天井にシーリングライトが灯り

洒落た雰囲気です。

かつて教室だったとは思えないほどです。。

 

床も艶やかで綺麗に手入れされています。

 

横に長めの黒板

往時も使用していたものでしょうか。。

 

特別教室だった部屋です。

 

廊下の様子

 

応接の間

 

壁のイラストは児童作品かと思いましたが、リノベーション後の

「朝陽ワイナリー」のウエルカムボードでした。。

聞けば、薩摩川内市は鹿児島県で1位のぶどうの生産地ですが、

ワイナリーが一軒もなかったそうです。

そこで、2023年6月5日にぶどうの生産からワインの製造まで

一貫して行う施設とすべく、廃校をリノベーションして

「朝陽ワイナリー」が開所したそうです。

 

校庭の様子

シンボルツリーである、2本のイチョウの木が立っています。

 

玄関入口の丸ポスト

大きな岩の題字は「朝日のように」

創立110周年記念碑です。

地元の入来町の山から運んで来た石は高さ3mほどありますが、

設計、施工、題字はすべて卒業生によるものだそうです。

 

正門側に建立された閉校記念碑

ソテツに呑み込まれそうですね。。

朝陽小学校(2018年閉校)

沿革をみると、

1870年(明治3年)布泊稽古所として創立
1876年(明治9年)布泊小学校へ改称
1879年(明治12年)現在地へ移転
1887年(明治20年)布泊簡易小学校へ改称
1922年(大正11年)校門のソテツ植樹
1947年(昭和22年)入来村立朝陽小学校へ改称
1948年(昭和23年)入来町立朝陽小学校へ改称
1987年(昭和62年)全校児童65名
2004年(平成16年)薩摩川内市立朝陽小学校へ改称
2018年(平成30年)入来小学校へ統合に伴い閉校
最後の児童25名

閉校式典の児童代表のお別れの言葉は以下のように

締め括られていました。(胸が痛みますね。。)

 

百十周年記念碑にある「あさひのように」という言葉には,

愛宕の山からのまぶしい朝日のように,わたしたちにきらきら

輝いて欲しいという願いがこめられていると思います。

わたしたち25名は,147年の歴史を誇る朝陽小学校最後の児童
となりました。この朝陽小学校でかたく結ばれた友情と,

朝陽小学校最後の児童という誇りと自覚をもって,入来中学校や入来小学校で

「あさひのように」輝いていきます。
わたしは,この朝陽小学校が大好きです。でも,お別れです。
大好きな朝陽小学校へ。
ありがとう。
そして,さようなら

 

朝陽小学校を後にして、県道42号から農道に折れて愛宕山の麓を

通り新留トンネルを抜けて姶良市に入ります。

人家も無い農道では、ささゆりが咲き誇っています。

 

純白の花弁は朝露に濡れて瑞々しく、見るだけで癒されます。。

 

さて農道を進んでいくと、児童作品らしき動物のオブジェが

草むらから顔を出しています。

近くに学校跡がある気配です。

 

雑草の生えたアスファルトのスロープを見付けてゆっくり

上って行きます。

長らく人の出入りも無い様子です。

 

左手に草に絡まれた校門、ソテツの奥に校舎の屋根が見えてきました。

 

劣化した校門には「新留」(小学校)の文字。

 

周囲はジャングルの密林のような状態になっていましたが、

空地の中に平屋校舎を見付けました。

 

茶色の平屋校舎と白い体育館がL字型に並んでいます。

 

体育館の全景

校庭は、一面背の高い雑草畑のようになっており、歩くたびに

絡みつき近付く者を拒んでいるかのようです。

 

校舎の全景

屋根は一部剥がれていますが、板張りの壁は朽ちた様子は

ありませんでした。

正面玄関の近景

 

閉校となっても生命力を増すソテツ

平屋校舎の右端から保健室、職員室がありました。

 

校舎の左端から、5,6年、3,4年、1,2年の教室が3部屋ありました。

複式学級だったようです。

 

校庭の遊具たち

 

雑草に絡まれるジャングルジム、その様子を遠くから

見つめている丸ポスト。

 

新留(にいどめ)小学校(2007年休校、2020年廃校)

周囲に人家もない山の中、どこから児童が通っていたのでしょうか。。

そんな場所にひっそりと佇む木造校舎です。

沿革をみると、

1902年(明治35年)楠田小学校の移転に伴い白男尋常小学校新留分教場となる。
1908年(明治41年)7月1日 独立小学校となる認可を得る。
1909年(明治42年)6月 現在地に校舎完成。
1947年(昭和22年)4月 蒲生町立新留小学校となる。
1959年(昭和34年) 校舎改築。
1965年(昭和40年) 給食室完成、完全給食実施。
2007年(平成19年)3月22日 6年生3名が卒業した時点で在籍児童が

いなくなったため休校となる。
2010年(平成22年)3月23日 合併に伴い姶良市立となる。
2020年(令和2年)9月1日  廃校となる。

休校までの7日間を追った日立マクセルのドキュメンタリーCMが

2007年(平成19年)3月31日にテレビ東京系「ずっと宝物」内で放映されました。
このCMは大きな反響を呼び、全日本シーエム放送連盟主催の、CMフェステバル

総務大臣賞・ACCグランプリを受賞しました。

放映された動画はこちらへ

あどけないながらも、しっかりとした最後の児童3名は、沿道で誇らしげに

咲いていたささゆりのようでした。。

 

農道から県道42号に戻り、県道25号、57号経由し重富海岸に

到達しました。

錦江湾に浮かぶ桜島は、悪天候のため雲が掛かって全貌は

見えませんでした。。

 

国道10号を錦江湾沿いに南下、仙厳園に隣接する尚古集成館

(しょうこしゅうせいかん)本館は耐震・リニューアル工事のため

入館できませんでした。

2024年9月末まで休館とのことです。

その隣の磯工芸館は開館しておりました。

上の写真の真ん中の建物です。屋根に換気塔2基がある建物が

隣接する工場です。

 

磯工芸館の正面

レトロな洋館は、島津家吉野殖林所を管理するため、

1909年(明治42年)に建築されたもので、1999年(平成11年)

8月23日に国の登録有形文化財に登録されました。

 

館内は、宝石をちりばめたようなガラス細工(薩摩切子)が

置いてあります。

 

薩摩切子(さつまきりこ)は、薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて

生産したガラス細工・カットグラス(切子)です。

 

1846年(弘化2年)、薩摩藩はガラス職人を招き入れガラス製造を開始。
1855年(安政2年)、藩主島津斉彬は色ガラスの研究に力を入れ本格的な

藩営ガラス工場を造りました。
最盛期には100名以上の工員が働いていたそうです。

 

薩摩切子は1863年(文久3年)の薩英戦争で工場を失い、その後も西南戦争で

大きな打撃を受け途絶えてしまいました。

当時の薩摩切子は現存するものは大変少なく、現在は復刻生産

されています。

 

とはいえ、展示品をひとつひとつみると、それなりに高価なものです。

カットガラスの美しさと値段をみて目が眩みました。。

 

繊細なカットガラスがダイヤモンドのように輝いています。

 

ガーネット色の菊家紋の三段重

1,265,000円の値札が付いていました。。

 

磯工芸館の隣に建つスターバックス鹿児島仙巌園店

同じように白壁のレトロな洋館ですね。

「旧芹ケ野島津家金山鉱業事業所」の建物をリノベーションし

2017年3月29日にオープンしました。

内装もゆったりとした造りで、ひと味違うコーヒーになりそうですね。。

 

さらに国道を南下するとすぐ、左手に別の洋館が見えたので

立ち寄ってみます。

 

入口に世界文化遺産「旧鹿児島紡績所技師館」の看板。

日本初の洋式紡績工場である鹿児島紡績所の技術指導にあたった

イギリス人技師の宿舎で、1867(慶応3)年に建てられたものです。

 

明治期の木造校舎に似た瀟洒な外観に魅了されます。

半八角形の出窓

開いた窓から異人さんがふと姿を現しそうですね。。

正面玄関側の全景

堂々たる外観に圧倒されました。

 

鹿児島ICから指宿スカイラインを南下、谷山IC下車後、伊作街道

(県道22号)を西へ進み日置市に入ります。

吹上町与倉の沿道に2階建て木造校舎と白い洋館が見えました。

 

校舎の全景1

雑草だらけの庭に建つ年季の入った木造校舎です。

校舎の近景

玄関の両脇の植栽も手入れされずに放置状態です。

 

往時は白い外壁だったようですが、ペンキが剥げてまだら模様と

なっています。

木枠の窓も味わい深いですね。。

 

立派な玄関ポーチ

玄関の壁の白い塗装は残っていました。

 

校舎の隣には白い洋館風の建物が繋がっています。

 

廊下の様子

扉が外れたり壁のクロスが剥がれたり、雑然としています。

 

教室は改修され、畳敷きにとなっています。

3部屋に仕切られテーブルや引き出しがあります。

 

 

閉校後はリフォームされ、宿泊施設として使用されていたようです。

 

階段の様子

かなり朽ちていました。

 

無造作に置いてあった児童作品

手作りの皿は、誕生日用のケーキ皿です。

児童が楽しみにしていた母親の手作りケーキを嬉しそうに

頬張る様子が伝わって来ますね。。

 

絵日記(題:水あそび)

友達と仲良く遊んでいる様子が描いてあります。

 

一段上に校庭があります。

 

草むらに隠れるように佇む石碑たち

 

最も年季の入った石碑は、藤元中学校跡碑です。

かつて中学校も併設されていたようですが、校舎は解体済と

なっています。

 

藤元小学校跡碑

 

校歌碑

 

藤元小学校(1985年閉校)

沿革をみると、

藤元小学校
1881年(明治14年) 藤元小学校創立
1941年(昭和16年) 藤元国民学校へ改称
1947年(昭和22年) 伊作町立藤元小学校へ改称
1955年(昭和30年) 吹上町立藤元小学校へ改称
1985年(昭和60年)    吹上町立伊作小学校へ統合し閉校

藤元中学校
1947年(昭和22年) 伊作町立伊作中学校藤元分校として創立
1954年(昭和29年) 伊作町立藤元中学校として独立
1955年(昭和30年) 吹上町立藤元中学校へ改称
1977年(昭和52年) 4校を統合し吹上町立吹上中学校を新設したため閉校

構内は老朽化が激しく転用は困難と思われます。

このまま朽ち果てていくか解体される運命になることでしょう。。
 

 

引き続き県道22号を進み、旧吹上町野首地区に入ります。

一週間ほど先に開催される夏祭り・花火大会の看板が目を引きます。

 

往時の校門と銘板が確認できました。

 

夏祭りの幟を横目に校地を見て周ります。

 

 

 

アーチ屋根の体育館、平屋校舎が続きます。

校舎の先には、ベージュの校舎、そして公民館が直角に並んで

います。

大きな屋根の公民館は外観も新しく立派な建物です。

 

平屋校舎の軒先には、数種類の植栽が雑然と立っています。

手入れはされている様子ですが、校舎の景観を損なっている

ように見えてしまうのが残念です。。

 

玄関も段ボール、椅子、廃材などが乱雑に置かれています。

 

校舎の別の入口は、小奇麗に整理してあり、人が出入りしている

様子です。

 

扉の窓には、「野月舎」

「やがっしゃ」と読むらしいです。

画家がアトリエとして使用しているようです。

 

校庭の様子

 

劣化した看板

「廃校リニューアル50選」に選ばれたようですが、

外観を見る限り、リニューアルしたような斬新さは感じられませんでした。

 

二宮尊徳像

 

百周年記念碑

 

野首小学校跡碑

 

最後の児童作品

ひとりひとりの学校生活の思い出がタイルいっぱいに

描いてあります。

 

野首小学校(1985年閉校)

閉校後は、この地に移住した洋画家が個人的に管理されています。

「野月舎」という絵画教室、地域開放型ギャラリーとして使用

されています。

聞けば、敷地内に住居兼アトリエを構え、日々 衣服製作や浜辺で

拾ったゴミを素材として創作活動を行っておられるそうです。

 

引き続き県道22号を進み、宮坂交差点から入来集落へ入ります。

校門と平屋校舎が残っています。

 

石造りの校門に往時の銘板が確認できました。

目の前の玄関は、下駄箱が見えますが、児童の通用口のようです。

 

校舎の全景

 

木枠の窓に板張りの壁、郷愁が漂います。

 

正面玄関

 

正面玄関の近景

波板屋根を2本の鉄骨で支える簡素な造りです。

 

 

校庭から見た校舎と体育館

校庭の芝生が手入れされている様子です。

青いアーチ屋根の体育館

校舎に比べると、新しく強固な外観です。

 

遠方の黒い屋根に白壁の建物は公民館です。

 

児童の残した卒業記念作品1

 

児童の残した卒業記念作品2

 

円の淵に刻んだ児童らのレリーフが、切手のように見えます。

1979年(昭和54年)の卒業記念制作です。

 

こちらは、1980年(昭和55年)の卒業記念制作です。
 

自画像を刻んだものもありますが、製作年度は判読できませんでした。

 

創立百周年記念碑1

 

創立百周年記念碑2

 

小学校跡碑

 

裏面の校歌碑

青垣山、今田の田、入来浜、伊作川と地元ならではの

自然が込められています。

 

吹上小学校(1985年閉校)

沿革をみると、

1879年(明治12年)入来小学校として創立
1950年(昭和25年)伊作町立吹上小学校へ改称
1955年(昭和30年)吹上町立吹上小学校へ改称
1979年(昭和54年)創立100周年
1985年(昭和60年)閉校

閉校後の校舎は倉庫として使用されています。

体育館の駐車場は、かつてプールがあったそうです。

閉校して40年近く経過しても、校舎や校庭は綺麗に

残っていることから、地元の方々の学び舎への愛着が

伝わって来ます。

 

国道270号を南下、南さつま市役所から県道29号を南下、

南九州市に入ります。

川辺町本別府地区の沿道に看板が見えてきます。

 

廃校を利活用したようですが、「リバーバンク森の学校」という

名称です。

 

門柱とコンクリート塀

門柱の表札は消してあります。

 

下を見ると、草むらに隠れたライトが灯り、塀の文字盤を

照らしています。

廃校には無いリゾート気分を演出しています。

 

洒落たアプローチをゆっくり進みます。

校庭の奥に瓦屋根の平屋木造校舎と白い鉄筋2階建校舎、

大きなシンボルツリーが見えます。

 

 

平屋校舎の全景

玄関の右側から校長室、職員室、講堂が、左側は資料室と

なっています。

 

平屋校舎の近景

 

1933年(昭和8年)に地元大工の手によって建造されたものです。

木の温もりが伝わる味わ深い校舎です。

 

木枠の窓

部屋には万国旗が飾ってあります。

 

玄関の近景

どっしりとした構えの重厚な玄関ポーチです。

 

木製の額縁に手書きの標語

校舎の裏側1

三角形の控え壁(バットレス)が校舎をしっかり支えています。

力強さを感じますね。

 

校舎の裏側2

裏側も絵になりますね。。

 

2階建鉄筋校舎

 

「リバーバンク森の学校」は、学びをテーマに廃校(旧長谷小学校)を

再生した自然体験施設です。

 

配置図

鉄筋校舎の1階は、プレイルーム、インフォメーション、

ミーティングルーム。

2階は、宿泊室となっています。

校庭の様子

綺麗に手入れされています。

ヤシやソテツ、南国情緒が漂います。

 

掲揚台

シンボルツリー

推定樹齢100年だそうです。

長い間、児童らを見守ってきたことでしょう。。

 

ソテツや雑草に囲まれた二宮尊徳像

 

卒業記念碑かな?

題字は「友情」

 

シダの群生の奥、陽の当たらない場所に石碑が建っています。

 

長谷小学校跡碑です。

 

長谷小学校(1990年廃校)

旧川辺町の山奥にあった学校です。

「森の学校」はそのまま山に囲まれた学校の様子を表しています。

辿り着くまで山道を走り続けます。朽ち果てそうな校舎を想像して

おりましたが、開けた校地には芝生の校庭、新旧校舎ともに綺麗に

整備されており、予想外の展開に驚きました。

1885年(明治18年)創立

1987年(昭和62年)全校児童 11名

1990年(平成2年)廃校

廃校後は「かわなべ森の学校」として地域のイベント等で活用されて

いましたが、2018年(平成30年)からは一般社団法人リバーバンクが

よって運営、管理。

宿泊型自然体験施設としてリノベーションされ、「リバーバンク森の学校」と

なっています。

 

引き続き南下、薩摩半島の南端部にやってきました。

 

JR西日本最南端の西大山駅です。

 

無人駅のホーム西端に立ってみましたが、悪天候のため開聞岳の

全貌は見えませんでした。。

 

観光ポスターでよく見かけるのはこのような写真です↑

 

幸せを届ける黄色いポスト

 

ついでに、薩摩半島の最南端にある岬、長崎鼻にも立ち寄ってみました。

 

早朝の為、岬へ向かう商店街(たまて箱通り)は人影も無く

閑散としています。

 

「アロハ」という名のお店の前を通った時に、面白い看板が

目を引きます。

 

民放のバラエティ番組で放映されました。

いつ開店するのでしょうか?

さらに進むと、真紅の鳥居や竜宮城を模した宮殿が出現します。

 

最果ての岬で浸る旅情にはほど遠く、違和感を覚えるような

光景です。

浦島太郎と亀の像

長崎鼻には浦島太郎伝説が伝わっているそうで、

2回周って亀を撫でたら、願い事が叶うそうです。

 

竜宮城で出迎えてくれた猫

遊歩道を突端へと向かいます。

長崎鼻灯台

バルコニーが付いた独特の形状です。

風光明媚な土地に合うように特別に設計されたものです。

 

お馴染みの海上保安庁、燈光会の案内看板

1957年(昭和32年)完成

長崎鼻突端の風景1

長崎鼻突端の風景2