高知県いの町の廃校休校巡り:後編(2023/03/19) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は高知県いの町の廃校休校巡り:後編ですが、

前編は⇒ こちらへどうぞ

 

具体的には上図のルートマップの通り8校を訪れました。

 

いの町を東西に走る国道439号の小川(こがわ)地区から

県道293号を高樽川に沿って北上します。

境谷集落の高台に小学校跡があります。

 

アスファルトで固めた敷地に建つ平屋校舎

 

こじんまりとした分校のような建物です。

 

玄関の近景

 

現在は地区の公民館となっています。

入口は隣のサッシ扉です。

玄関の正面はシャッターになっているので物置として

使用されているのでしょう。。

 

軒先の花壇

綺麗に手入れされています。

 

学校跡から見下ろす風景

ビニールハウスの場所にかつて校庭があったようです。

 

年季の入った石碑

判読困難ですが、東谷小学校跡地と刻んであります。

 

東谷小学校(1976年閉校)

現在は東谷公民館として活用されていますが、古い小学校跡碑の

ほかに学び舎だったことを示すものは確認できませんでした。

校舎は改修されており、玄関から手前にも続いていたようです。

1976年(昭和51年)小川小学校への統合に伴い閉校となりました。

小川小学校も、2011年(平成23年)に清水第一・上八川・下八川

小学校とともに吾北小学校への統合により閉校(校舎は旧小川小学校舎を転用)

となっています。
統合先の吾北小学校の全校児童は37名と決して多くはありません。(2023年度)

 

国道439号に戻り西へ進みます。

いの町東端に位置する小川柳野集落に着きました。

柳野本村のバス停をみると、上下3本の便が停車するようです。

 

公民館の案内をみて坂道をゆっくり上がっていきます。

 

体育館のような大きな屋根の校舎の横顔が見えました。

 

玄関の近景

 

校庭から校舎を撮影

地元の方によると、右側のガードレールのあるコンクリート塀に

沿って校舎が建っていたのだが、解体されてしまったとのこと。

 

付近の土木事務事務所の看板をよくみると、確かに一棟の

長い校舎が描かれています。

東側にはプールもあったようです。

 

白いコンテナ倉庫が置いてある辺りが、かつて長い校舎が

建っていた場所です。

 

北側の道路から撮影した校舎1

 

北側の道路から撮影した校舎2

 

北側の道路から撮影した校舎3

2階から非常階段で下りるようになっています。

 

北側の道路から撮影した校舎4

 

校庭の様子

敷き詰めたバラスに影を落とす桜

 

閉校記念碑

 

柳野小学校(1976年閉校)

1874年(明治7年)柳野小学校設立

1900年(明治33年)現在地に移転

1976年(昭和51年)3月閉校 

先ほどの東谷小学校と同時期に小川小学校への統合に伴い

閉校となりました。

現在、残った校舎は柳野公民館として使用されています。

 

国道439号を引き返し国道194号を南下、下八川(しもやかわ)地区に

入ります。

上八川川の対岸に校舎を見て立ち寄りました。

校門に銘板も確認できました。

 

右側の校門は、「吾北村民運動場」となっていました。

閉校後に取り替えて付けたものでしょう。。

 

敷地は奥に深く続いており、手前から児童館、プール、体育館、

校舎、校庭の順に並んでいます。

 

プール

 

右側が体育館、奥が校舎です。

校舎の玄関

校門の銘板は明瞭でしたが、コンクリート校舎の壁は黒く煤けた

要になっています。

 

校庭から撮った校舎1

こちらは別校舎のように、すっきりとした表情です。。

 

校庭から撮った校舎2

山間部にしては大きな校舎です。

往時は多くの児童が学んでいたのでしょう。

 

校舎の近景

校庭側には玄関がありません。

こちらは裏側で、先ほどの玄関があった方が表側ですね。

 

校庭の様子1

 

校庭の様子2

「吾北村民運動場」だけあって、綺麗に整備されています。

 

背景の山よりも高く聳えるように立つ国旗掲揚台のポール

 

咲き始めた桜

閉校となった現在は、満開の頃にも訪れる人はいないかもしれません。。

 

卒業記念の植樹

1997年(平成9年)度の下八川中学校の生徒によるものです。

 

 

下八川小学校・下八川幼稚園の閉校・閉園記念碑

 

下八川中学校の閉校記念碑

1998年(平成10年)3月31日 吾北中学校への統合に伴い

閉校となりました。
1987年(昭和62年)の全校生徒は39名でした。

 

下八川小学校(2011年閉校)

1875年(明治8年)漉地小学校として創立
1889年(明治22年)下八川小学校と改称
1987年(昭和62年)全校児童61名
2011年(平成23年)吾北小学校への統合に伴い閉校

閉校記念碑の裏には、「教育の殿堂として、三千五百余の

学童を育み思い出多い蛍窓を閉ずるは切なるも、次代の栄光を

念じこの碑を建立する」とありました。

児童数の減少によりやむなく歴史に幕を下ろすことの無念さが

伝わって来ます。。

 

引き続き国道194号を南下、柳瀬上分(やなのせかみぶん)地区に

入ります。

沿道に出来地小学校前のバス停を確認しました。

 

バイクを停めてスロープを上っていきます。

学校は避難所に指定されていました。

 

校舎の全景1

狭い敷地の奥に2棟の建物が見えました。

右側は校舎ですが、左側のクリーム色の建物は特別室または

屋内運動場だったのでしょうか。。

玄関は別々ですが、2階で繋がっているようです。

 

校舎の全景2

左手の奥に門扉が見えます。

 

校門の表札は、劣化してしてのっぺらぼうの状態、文字は消えて

います。

 

再び玄関に近付いてみます。

 

茶色の銘板には「伊野町立出来地小学校」とあります。

 

校章

 

校庭の様子

 

山桜やモクレン

 

校庭の遊具1

 

校庭の遊具2

錆びた雲梯にブランコが吊るしてありました。

 

校庭の遊具3

 

出来地小学校(1999年休校、2012年廃校)

1987年(昭和62年)の全校児童は9名。

1999年(平成11年)児童数減少により休校、柳瀬小学校へ編入。

2002年(平成14年)勝賀瀬小学校へ編入。

2012年(平成24年)廃校
近隣の小学校への編入が続きましたが、廃校となってしまいました。

小学校跡を示す石碑等は確認できませんでした。。

 

引き続き国道194号を南下、柳瀬本村(やなのせほんむら)

地区に入ります。

「水辺の駅 あいの里 仁淀川」の道路の反対側、石垣の上に

廃校が残っています。

 

校舎の全景

2階建てのこじんまりとした鉄筋校舎です。

 

こちらも避難所に指定されています。

 

校舎の前は、敷地が非常に狭く、このアングルしか撮れません。

 

正面玄関の近景

 

校章

 

先ほどは気が付きませんでしたが、道路の反対側に校庭、

プールが見えます。

 

校舎前の植栽や池

 

年金の入った休校記念碑

 

柳瀬(やなのせ)小学校(2002年休校、2017年廃校)

1872年(明治5年)開校

1987年(昭和62年)全校児童12名

2002年(平成14年)休校、勝賀瀬小学校へ編入。

2017年(平成29年)編入先の勝賀瀬小学校が廃校。

校庭やプールが国道を隔てた場所にあるため、児童や先生は

車の往来に気を付けるなど大変だったと思います。

 

引き続き国道194号を進み隣の柳瀬(やなのせ)地区に入ると、

沿道に体育館、校舎をみて立ち寄ってみました。

北側に体育館、校舎が、南側に校庭が見えます。

交通量が多い場所ですので、道路からの撮影は注意が必要です。

 

道路沿いの3階建ての校舎は、「ELP DRONE SCHOOL」

とあります。

閉校後は、ドローンを飛行に必要な知識や技能を学ぶ学校と

なっているようです。

 

スロープを上がると、2階建ての校舎が建っています。

 

校舎の左側に体育館です。

ドローンは体育館または校庭で飛行訓練するのでしょうか。。

 

2階建て校舎

1985年(昭和60年)竣工の比較的新しい校舎です。

 

校舎の前庭には、赤レンガで仕切られた花壇に菜の花が

咲いていました。

遠方は体育館です。

 

2階建校舎と3階建校舎(地上では2階)はコの字型に繋がって

います。

 

玄関の近景

 

往時のまま残る文字盤は、伊野町立三瀬中学校。

 

狭い庭に不相応伸びた樹木は、1997年(平成9年)度の

卒業記念植樹です。

 

休校記念碑

 

校歌碑

一、

鷹羽山 そびえてはるか

たゆみなくともに きたえん

力 力 ここに こもる

希望の 希望の 三瀬中

 

三瀬中学校(2001年閉校)

沿革をみると、

1947年(昭和22年)5月 三瀬村立三瀬中学校開校
1955年(昭和30年)1月 伊野町立三瀬中学校に改称
1985年(昭和60年)3月 新校舎新築落成
2001年(平成13年3月)休校
児童数の減少により休校となりましたが、実質的には閉校となり
生徒は近隣の神谷(こうのたに)中学校へ通学しているようです。
神谷中学校も生徒数13名(令和4年度)と決して多くはありません。

 

引き続き国道194号を進み、勝賀瀬(しょうがせ)郵便局から

勝賀瀬川に沿って県道295号を北上します。

1㎞ほど進んだ沿道から校舎が2棟、L字型に建っているのが

見えます。

 

手前の校舎は、1階の部分に庇や縁側が施されており、

木の温もりや開放感が感じられる造りとなっています。

庇の下に掲げた表札は、「とさ自由学校」とありました。

閉校後に校舎を私立の学校として転用しているようですが、

縁側等はその際に増築したものでしょう。

 

2階にはベランダ、屋根の上に換気塔も見えますね。。

 

こちらは体育館です。

 

分かりづらいのですが、空中写真でみると、校舎、体育館の

配置関係はこのようになっています。

白い四角い屋根が体育館、茶色の屋根でL字型に並んでいるのが

校舎です。

 

校舎周りの花壇

 

校庭の様子

 

花壇と女性像

 

開校記念に制作された女性像

「とさ自由学校」の開校時(2019年)に制作されたものでしょう。

 

1981年(昭和56年)度の卒業記念制作

コンクリートブロックを積み重ねたシンプルなものですが、

各自の好きな動物を描いた微笑ましい作品です。

卒業生は6名だったようです。

積み重ねるたのはブロックと「努力」なのでしょうね。。

 

開校百周年記念碑

1974年(昭和49年)建立

 

体育館の傍の休校記念碑

 

裏面の校歌碑

一、

わかばにもえる 山あいの

によどの谷に はぐくまれ

みんなは つよい てつの意志

この手 この足 このからだ

力みなぎる 勝賀瀬校

 

勝賀瀬小学校(2008年休校、2017年廃校)

1874年(明治7年)開校

1987年(昭和62年)全校児童は19名

2008年(平成20年)休校

2017年(平成29年)廃校

2019年(平成31年)4月 「とさ自由学校」として開校

自然の中での体験学習を中心とし、自分で考え、自分で決め、

行動する子どもを育てる理念で運営されています。

63名の児童が在籍(2021年度)しています。

 

いよいよ最後の目的地、中追小学校へ向かいます。

 

県道292号を北上していきます。

 

分岐点には道標があるため、比較的分かり易いです。

ここは真っすぐ進みます。(高知市境方面)

 

沿道のダム

勝賀瀬川の澄み切ったエメラルドグリーンに癒されます。。

 

次のポイントでは、旧中追小学校と明示してあるので助かります。

 

民家も無い峠道を延々と上っていきます。

秘境と言える山深い場所に本当に学校があったのだろうかと

不思議な想いに捉われます。

 

最後のポイントです。

 

川向うにオレンジ色の建物が垣間見えます。

 

かつて使用されていた駐車場です。

 

学校跡へは上下のどの道を通っても行けるのですが、

下の道へ進みました。

 

石垣の下を通るようになっていますが、車両の通行を

阻むように樹木が迫り出しておりますので歩いて行きました。

 

先ほど垣間見たオレンジ色の建物です。

 

石垣の上にフェンスがあり、階段も見付からなかったので、

いったん引き返し上の道を進んでいくと、建物の建っている

敷地に出ました。

 

オレンジ色の建物は体育館、隣の木造校舎は崩壊していました。

 

体育館は頑丈で外観も新しく感じられました。

なぜ目立つオレンジ色に塗装したのか、気になるところですが。。

 

体育館にはステージがあり、講堂と兼用されていました。

 

反対側はバスケットゴールが設置してあります。

 

隣の木造平屋校舎は、小学校舎だったようですが、見ての通り

酷い有様です。

 

屋根は一部崩落し窓も外れています。

 

木造平屋校舎の奥は鉄筋2階建て校舎です。

 

小中一貫校として校舎を共用していたのでしょうか。。

 

廊下の様子

あまりの荒廃ぶりに言葉がでません。

 

図書室だったのでしょうか。。

こんなに乱雑になっているのは、廃校を荒らしにやってくる者

の仕業でしょうか。。

 

 

職員室も荒らされて?います。

 

教室の様子

 

教室の天井は捲れベニヤ板が垂れ下がっています。

雨漏りで床も腐食しているようです。

 

階段を上ったら本棚に表彰盾が見えました。

 

1996年(平成8年)度 健康推進学校

伊野町立 中追小学校

朝日新聞社

 

小学校の教育標語

 

児童の習字作品

 

中学校校歌

一、

朝の光だ 山並みの

深いみどりが ぼくたちに

あすの希望を 呼びかける

学ぼう 仲よく 肩くんで

未来をひらく ぼくたちの

若い力の 中追校

 

校庭の様子

 

校庭の遊具1

 

校庭の遊具2

 

校庭の遊具3

 

校庭の遊具3

どれも錆びており、長らく放置されている様子です。

 

国旗掲揚ポールと記念碑

 

ポールの台座にも中追小学校とあります。

 

休校記念碑

中学校は1988年(昭和63年)3月に休校となっています。

 

中追小学校(2007年休校)

小学校も中学校も休校となっていますが、校舎は荒廃しており、

(特に小学校の木造平屋校舎は酷い)実質的には廃校の状態です。

記録をみると、1987年(昭和62年)の中学校生徒は女子2名のみ、

小学校児童は女児1名のみとなっており、教職員より少ない人数

でした。。

オレンジ色の体育館だけは、地区の行事等で使っておられるのかも

しれません。