下北半島北東部の廃校休校巡り:後編(2022/09/22) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は下北半島北東部の廃校休校巡りの後編となりますが、

前編は、こちらへどうぞ

具体的な地域は、上図の通り東通村、むつ市(一部)、横浜町です。

 

袰部(ほろべ)川の清流

野牛浜沿いの県道6号(むつ尻屋崎線)を尻屋崎からむつ方面に

南下、岩屋地区の袰部(ほろべ)口から袰部川沿いに脇道に

入っていきます。

 

袰部小学校跡地は避難場所の立て看板が立っていますが、

校舎は姿を消していました。

時期は不明ですが、少なくとも2017年7月までは他のサイトで

確認できたことから以後に解体されたようです。。

 

袰部(ほろべ)小学校(1989年廃校)

1908年(明治41年)岩屋小学校袰部文教場として開校
1953年(昭和28年)袰部小学校と改称
1987年(昭和62)岩屋小学校袰部分校と改称
1989年(平成元年)廃校

牧草地と化した校庭には、袰部(ほろべ)の案内看板塔が

立っていました。

児童らの描いた絵画とともに。。

 

県道6号を南下、東通村役場のある砂子又(すなこまた)地区に

着きました。

集落から高台へ上った場所に立つ避難場所の看板は

「砂子又小中学校」とありました。

 

石造りの校門の奥に校舎が見えます。

 

小学校の表札

 

中学校の表札

 

平屋校舎の奥には、教員住宅らしき建物があります。

 

近くで見ると、屋根は崩壊、壁もかなり傷んできています。

 

校舎の全景1

1952年(昭和27年)築の木造平屋校舎です。

風雪に耐えてきたであろう、錆びたトタン屋根もまた

味わい深く感じられます。

 

校舎の全景2

 

校舎(正面玄関周り)
 

正面玄関の近景

どっしりした構えの玄関ポーチ、屋根のトランペットスピーカに

郷愁が漂います。

校庭の様子

広い校庭で小学生も中学生も一緒になって遊んで

いたのでしょうね。。

 

打ち捨てられた手押しポンプ車や灯油タンク

 

創立百周年記念碑

1979年(昭和54年)9月14日建立

 

小中学校閉校記念碑

題字は「花ひまわり」

校歌と校舎のレリーフも貼ってあります。

かつて鎖で囲ってあったのでしょうか、黄色の支柱が

残っていました。

 

砂子又小中学校(2005年閉校)

沿革をみると、

1879年(明治12年)砂子又小学校創立
1949年(昭和24年)中部中学校砂子又分校設置
1951年(昭和26年)独立し、砂子又中学校となる
1952年(昭和27年)校舎新築
1987年(昭和62年)小学校児童数19名、中学校生徒数8名
2005年(平成17年)3月31日 砂子又小中学校閉校

校地と校舎を共用する小中学校は過疎地に多く見られますが、

こじんまりとした平屋校舎でお互い助け合い仲良く学校生活を

送っていたことでしょう。

 

国道338号を西へ進み、田屋地区に入ります。

上田屋バス停からスロープを上がるとアーチ屋根の体育館が

見えてきました。

「あべらベリー苑」の案内看板が立っていました。

 

体育館の全景

 

体育館から右手に続く校舎

コンクリート塀に「田屋小中学校」の表札

 

体育館から続くモダンな校舎

 

校舎の全景

1991年(平成3年)3月新築。

正面の大きな三角屋根が特徴です。

 

校舎(正面玄関周り)
 

正面玄関の近景

 

玄関の表札(田屋中学校)

 

玄関の表札(田屋中学校)

 

閉校後は「東通村歴史民俗資料館」として活用されています。

校庭の様子

広々として心地よいのですが、人影もありません。。

 

田屋小中学校(2005年閉校)

沿革をみると、

1880年(明治13年)10月創立
1991年(平成3年)3月小学校、中学校校舎新築
1987年(昭和62年)小学校児童18名 中学校生徒18名
2005年(平成17年)東通村立東通小学校への統合に伴い閉校

2013年(平成25年)社会福祉施設として転用し、

東通村歴史民俗資料館を開設。

資料館は当日は閉まっていましたが、太古の昔から東通村の

歴史を今に伝える、遺跡で出土した土器や石器、中世から

伝承される民俗・風習の資料、さらに近世の生活用具を

保存・展示されているようです。

また閉校した教育施設から収集した学校歴史資料なども

保管しているとのことです。

ちなみに、「あべらベリー苑」は、資料館のすぐ裏手にあり、

ブルーベリーの観光農園として、夏場には東通村名産の甘い

ブルーベリーの摘み取り体験ができるそうです。
 

むつ市街から国道279号(むつはまなすライン)を南下、

金谷沢(かなやさわ)の交差点を過ぎてほどなく左手に

校門2基、松林の中に古い校舎が見えました。
 

石造りの校門に往時の表札が残っています。

 

校舎の全景

回路に錆びたトタン屋根の平屋校舎は周りの樹木に覆われて

全貌ははっきり見えません。

1946年(昭和21年)築のかなり古い校舎です。

隣に緑屋根の校舎や講堂(体育館)らしき棟が続いています。
 

空中写真でもこんもりと茂った松林に覆われているのが

良く分かります。

 

拡大してみても、屋根が一部しか見えません。。

校舎(玄関周り)

このアングルが最も分かり易いと思います。

 

正面玄関の近景

 

緑屋根の校舎

 

窓ガラス越しに覗いた構内は、物置と化しています。

 

校舎とは別に建つ、手前の緑屋根の建物は教員住宅だった

のでしょうか。。

 

教員住宅かもしれない建物

 

他にも校庭に背を向け住宅風の建物がありました。

こちらが教員住宅だったのでしょうか。

詳細は不明です。

 

校庭の様子

東通村の廃校で見てきたのと同じく広大な牧草地のような

校庭です。

金谷沢小学校(2001年閉校)

1987年(昭和62年)の全校児童は30名

2001年(平成13年)近隣の奥内小学校への統合に伴い

閉校となりました。

統合先の奥内小学校も全校児童は17名(2021年度)と決して

多くはありません。


引き続き国道279号を南下、上北郡横浜町に入ります。

横浜町(よこはままち)は、青森県下北半島の中間部に位置

する町です。

昭和の大凶作の後に始まった菜の花は作付け面積全国第2位を

誇り、2012年には作付面積128ヘクタールで全国一位を奪還

しました。

さて、陸奥湾を右手に眺めつつ大豆田PA過ぎたところで、

小学校跡を見付けて立ち寄りました。

背の低いコンクリート門柱に僅かに読み取れる表札は、

「横浜町立大豆田小学校」です。

 

2階建て校舎の横顔と体育館です。

 

アーチ屋根の体育館は、上半身真っ赤です。。

 

校庭側に戻ると、コンクリート塀に真っ黒な表札。

 

文字も真っ黒で見えにくいのですが、何とか判読できました。

 

校舎の全景1

校庭に向かう校舎が青空に映えて心地よいですね。。

 

校舎の全景2

校庭から撮った校舎は思ったよりも長大です。

オレンジ屋根とベージュの壁面。

暖色を基調としているのが特徴です。

 

校舎(玄関周り)
玄関横に灯油タンク。

北国の学校でよく見られますね。

 

正面玄関の近景

 

校庭の様子

程よく手入れされていました。

 

校庭脇の遊具

 

ブランコ

 

大豆田(おおまめだ)小学校(2016年閉校)

1987年(昭和62年) 全校児童75名

2016年(平成28年)新設の横浜町立横浜小学校への統合に伴い閉校

他のサイトで確認したところ、閉校時には、校舎の壁に学び舎への

感謝を込めた文字盤が掲げてありました。

「ありがとう 大豆田小 思い出は永遠に」