青森県むつ市の廃校休校巡り:前編(2022/09/21) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

むつ市は、青森県東北部の下北地方にある本州最北端の市です。
下北半島に位置し、三方を海に面しており、北は津軽海峡を

隔てて北海道を望み、西に平舘海峡、南には陸奥湾を抱いています。

広範にわたる地域が下北半島国定公園に指定されており、「恐山」

「川内川渓流」などの景勝地や「湯野川」「薬研」などの温泉が

点在するほか「陸奥湾のホタテ」「津軽海峡のイカ」などの

海の食材が豊富にあるなど、豊かな自然の恵みを受けた地域と

なっています。


今回は、むつ市の廃校休校巡り(前編)ですが、具体的には

陸奥湾沿いの上図6校を訪ねました。

むつ湾を抱く穏やかで素朴な地域ですが、冬の厳しさに

耐えてきた学び舎の跡がありました。

 

津軽半島と下北半島を結ぶむつ湾フェリーに乗船します。

蟹田港9:20発のフェリー「かもしか」が口を開けて待って

いました。

蟹田港の様子

 

蟹田港には、地上30mの展望台があり、陸奥湾を一望できる

そうですが、乗船の時刻が迫っており、切符だけ買って登るのは

断念しました。。

 

フェリーから蟹田港を撮影。

灯台の向こうに展望台が見えます。

 

脇野沢港の様子

所要60分で下北半島の玄関、脇野沢港に着きました。

 

接岸したら、バイクは一番先に下ろしてくれました。

(乗るときは、最後でした。)

 

脇野沢港から陸奥湾に沿って国道338号を東へ進みます。

小沢地区に廃校が残っています。

コンクリートの門柱の錆びた表札には、「父母と教師の会」

とあります。

父母と教師の会は、PTAの意味ですが、表札で目にしたのは

初めてだったので驚きました。。

 

校舎は2階建て鉄筋校舎です。

 

正面玄関の近景

屋根や支柱は錆びてきています。

 

校舎の正面

 

校章

若干ピンボケになっています。。

 

校舎の周囲は雑草が蔓延り、特に左辺にはツタが窓枠を

なぞるように伸びており、廃墟感が漂います。

 

体育館の全景

こちらは校舎に比べると劣化した様子はありません。

建築年も新しそうです。

 

校舎、体育館の裏側

 

空中写真では、長細い校舎と正方形の体育館がL字型に

建っています。

 

荒廃している校庭

 

目を引いたのは、玄関の前に建つ母子像です。

 

厳しい寒さに凍えそうな子と、子を守ろうと羽織りものを

被せる母親の像です。。

 

題字は、「風雪に耐えて」

創立百周年記念に制作したものです。

1976年(昭和51年)9月1日建立。

 

小沢(こざわ)小学校(2003年閉校)

1987年(昭和62年)の全校児童は36名。

脇野沢小学校への統合に伴い閉校となりました。

統合先の脇野沢小学校は、複式学級の全校児童12名。

(2021年5月1日現在)

近い将来、閉校となるかもしれません。

小沢中学校は併設または一貫校だったようですが、詳細は不明です。
 

引き続き陸奥湾沿いの国道338号を東へ進みます。

川内町蛎崎(かきざき)集落に入ります。

菅江 真澄(すがえ ますみ)は、江戸時代後期の旅行家、

本草学者です。

1783年(天明3年)郷里の三河国を旅立ち、信濃・越後を経て

出羽・陸奥・蝦夷地など日本の北辺を旅しました。

蝦夷地でアイヌの人々の生活を見聞した後、下北半島を漫遊

した際に蛎崎に立ち寄りました。

近くにある「鷺の湯」の解説もありました。

 

蛎崎地区には数々の史跡が残っているようです。

 

錦帯城は、蛎崎城とも呼ばれ、北側の小高い丘にありますが、

旧蛎崎小学校一帯を含めて公園となっています。

 

道路沿いに立つ校門

 

木板の表札の文字が劣化して判読できませんでした。

 

まっすぐ進むと講堂の横顔です。

 

講堂の全景

 

壁面に掲げた感謝と誓いの言葉。

「ありがとう 蛎小」

「わすれないよ」

廃校を巡る度に、このような言葉をみると胸が熱くなります。。

 

正面に長い平屋校舎が横たわっているのですが、樹木の茂みに

隠れて全景が撮れません。

 

赤いトタン屋根に板壁の校舎

壁には雪囲いの羽目板が打ち付けてあります。

 

正面玄関周りも、樹木や雑草に覆われています。

 

さらに延長上に別棟が連なっていますが、特別室でしょうか。。

 

校庭から見た校舎群

全貌が分かりづらいですね。。

 

グーグルで見るとこのような配置になっています。

国道に近い建物が、最初に見た講堂です。

 

手造りの傘立て

卒業記念制作ですね。

 

下駄箱と簀の子

 

手造りの横断幕

2006年(平成18年)度の卒業記念制作です。

 

体育用の道具倉庫のプレート

2002年(平成14年)度の卒業記念制作。

分かり易いですね。。

 

講堂のステージ

 

長なわとび記録表

 

音楽室の表示板

 

音楽室の様子

 

廊下の様子1

 

廊下の様子2

 

廊下の天井にドラミちゃん

 

こちらはドラエモン

 

「幻の錦帯城」

1990年(平成2年)度卒業記念制作。

卒業生は4名だったようです。

 

「からかさ松」

1991年(平成3年)度の卒業記念制作。
 

クマや白鳥などのレリーフ

1996年(平成8年)度卒業記念制作。
 

タイル画「スキー」

1984年(昭和59年)度の卒業記念制作。

躍動感が伝わってくる力作ですね。。

 

白鳥の動きを綺麗に描いたレリーフ

1987年(昭和62年)度の卒業記念制作。

 

「大造じいさんとがん」

 

飾り絵「未来の蛎崎小学校」

1988年(昭和63年)度の卒業記念制作。

 

タイル画「リレー」

1983年(昭和58年)度の卒業記念制作。

 

レリーフ「自画像・好きな言葉」

1985年(昭和60年)度の卒業記念制作。

 

各部屋の名札はすべて卒業記念制作品です。

 

教具室の様子

 

みんなを鼓舞する横断幕。

運動会に使用されたものでしょうか。。

 

教育標語

 

年度毎の卒業児童のプロフィールが展示してありました。。

皆がそれぞれ将来の夢と希望をもって巣立っていったのですね。。

 

校庭の様子

 

校庭の遊具(雲梯)

 

校庭の遊具(鉄棒)

 

校庭の遊具(ブランコ)

木製の支柱は珍しいですね。。

 

3人の子供らが手を取り合うモニュメント

 

閉校記念碑

「ありがとう 百三十三年」

「ふるさとの学舎跡」

 

裏面の沿革碑

1875(明治8)年に開校。
2008(平成20)年に閉校。

 

蛎崎(かきざき)小学校(2008年閉校)

沿革をみると、

1943年(昭和28年)~1980年(昭和55年)の間は、

中学校も併設されていたようです。

現存校舎は、1962年(昭和37年)に新築されたものです。

1987年(昭和62年)全校児童33名

2005年(平成17年)全校児童17名、翌年度は13名。

2008年(平成20年)第一川内小学校への統合に伴い閉校となりました。

最後の児童は12名でした。

構内に残っている児童らの作品をみると、皆が仲良く楽しく

過ごしていた往時の様子が伝わって来ます。

 

引き続き国道338号を進み、川内町宿野部(しゅくのへ)地区に

入ります。

沿道のローマ字は、宿野部小学校の略称を表しています。

 

浦島太郎の伝説も上手に描かれています。

 

校門に往時の表札です。

 

こちらは、文字が消えていますが、中学校だったのでしょうか。。

 

校門から松林の中を校舎へと歩を進めます。

 

かまぼこ屋根の体育館、そして年季の入った2階建て木造校舎です。

 

体育館の近景

校舎とは短い渡り廊下で繋がっていました。

 

目を引くのは、味わい深い木造校舎です。

通用口の玄関と正面玄関があります。

青空、グリーンの校庭とのコントラストが鮮やかです。

 

正面玄関の近景

 

校章

 

校庭の端まで引いてやっと全景が撮れました。。

 

右端の平屋校舎

 

ゴルフ場のような全面グリーンの校庭

 

校庭の遊具(鉄棒)

 

校庭の遊具(タイヤ跳び)

 

松林の中に佇む二宮尊徳像

 

静かに書物を読んでおられました。。

 

閉校記念碑

「133年ありがとう学舎」

 

裏面の校歌と沿革碑

 

宿野部(しゅくのへ)小学校(2008年閉校)

見応えのある美しい木造校舎は、1967年(昭和42年)に

建てられたものです。

沿革をみると、

1875年(明治8年)6月 開校
1909年(明治42年)10月 本地に校舎新築移転
1926年(大正15年)12月 中山小学校と併合
1947年(昭和22年)4月 川内町立宿野部小学校に改称

1987年(昭和62年)5月 全校児童55名
2005年(平成17年)3月 むつ市立宿野部小学校に改称

全校児童は9名、翌年度は6名。
2008年(平成20年)3月第一川内小学校への統合に伴い閉校

最後の児童は僅か2名でした。。

急速に過疎少子化が進行していったのですね。。

 

引き続き国道338号を進み桧川地区に貼ります。

沿道から坂道を上った丘の上に閉校となった校舎が残っています。

コンクリート塀の銘板もまだ新しいですね。。

 

丘の上に近代的な校舎が出現しました。

 

左隣の体育館も同じように斬新な建物です。

 

体育館の玄関も立派です。

 

校舎の全景

閉校とは思えない斬新な校舎。

現役校舎と錯覚してしまいそうです。。

1995年(平成7年)に建てられたものです。

 

正面玄関の近景

 

玄関上部(2階)の黄色い壁やデザインが独特です。。

 

校章

 

校庭の様子

 

片隅に残る遊具

 

桧川(ひのきがわ)小学校(2008年閉校)

沿革をみると、

1987年(昭和62年)全校児童65名
1995年(平成7年)校舎完成
2008年(平成20年)3月第一川内小学校への統合に伴い閉校
閉校記念碑も沿革碑、校歌碑などは確認できませんでした。

ネットでも詳細な情報は出てきませんが、統合により

子供らが消えてしまった校舎は、予想外に役目を終えて

残念そうです。。

何か別の目的を見付けて、第二の人生を送って欲しいですね。。

 

引き続き国道338号を進み、川内町に入ります。

県道46号の分岐を通過し100mほど直進、枯葉に埋もれた坂道を

登っていくと、樹木の陰に閉校舎が見えました。

 

玄関の屋根に、ゴシック体の表札。

校章は、テニスボールのようなデザインが中心に施されています。

 

玄関は、2階への階段口となっている、独特の造りです。

 

奥にも別棟が続いていますが、校舎の壁までツタが覆い尽くして

います。

 

校舎群の横には、アーチ屋根の体育館が見えました。

 

校舎と体育館の空中写真

全体の配置はこのようになっています。

 

樹木の陰に佇む二宮尊徳像

 

雑木に囲まれていても、ご機嫌の良い表情です。

 

第一川内小学校(20011年閉校)

1968年(昭和43年)8月に落成した校舎ですが、閉校後は

人々の出入りもなさそうです。

周囲に雑木が茂り手入れもされていない様子でした。

1987年(昭和62年)の全校児童は374名と多くの児童が在籍

していましたが、最後の児童は186名と半減していました。

2011年(平成23年)3月、第二川内小学校とともに新設の川内小学校

(校舎は川内中学校舎を活用)への統合に伴い閉校となりましたが、

統合先の川内小学校は、全校児童99名(2021年5月現在)と

往時に比べると大幅に減少しています。。
 

次に向かったのは、第二川内小学校です。

川内川に沿って県道46号(かもしかライン)を北上、

途中で道に迷い、地元の方に先導してもらいました。

先導車は、県道から脇道に入り、川内川の西側、集落の外れを

進みます。

本当にこんな場所に学校があるのだろうかと不安になり始めました。

 

沿道のススキ越しに校舎群が見えてきました!

 

グーグルで確認したところ、体育館と校舎がこのような配置に

なっています。

 

赤い切妻屋根の重厚な体育館は、外観から新しく感じました。

 

入口には緊急避難場所の看板。

第二川内小学校で間違いありません。

 

校舎の横顔です。

 

ススキの群生した校庭から校舎を撮りますが、

長い校舎は全景が入りません。。

それにしても、屋根や壁がボロボロになっていますね。。

 

右端部にも通用玄関が見えました。

 

校舎の全景(斜め右から撮影)

 

右端部の近景

こちらも屋根の崩壊、窓枠の歪みなど廃墟感が漂います。

 

正面玄関の近景

損傷の激しさは、真近くで見るほどに迫力が増してきます。

 

玄関周りまでススキの群生しています。

 

木板の表札

文字が薄れてきていますが、「むつ市立第二川内小学校」と

あります。

 

校庭の様子

 

ススキの原っぱに隠れそうな遊具(ブランコ)
 

草むらに埋もれた石碑

題字は「大きな夢」

制作年は不明ですが、卒業記念碑でしょう。

 

入口に立つトーテムポール

 

小さな東屋に、大木を輪切りにした記念碑が設置されています。

題字は「未来の道」

 

裏面のプレート

閉校記念に建立されたものですが、最後の児童は9名

だったようです。

 

第二川内小学校(2011年閉校)

地元の方に先導していただき辿り着いた廃校です。

周囲に民家もない原野に突如として出現、驚きました。

風雪に耐えられず朽ちていく校舎ですが、

悲哀よりも労いと感謝の念が湧いてきます。

晴れ渡った秋空に映える廃校舎は、神々しくも感じられました。

1965年(昭和40年)4月 開校

1987年(昭和62年)全校児童30名

2005年(平成17年)全校児童20名

2006年(平成18年)全校児童17名

2007年(平成19年)全校児童16名

2011年(平成23年)第一川内小学校とともに新設の川内小学校への

統合に伴い閉校。最後の児童は9名でした。