広島・島根県境の木造校舎(2022/08/12) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、広島・島根県境の木造校舎巡りですが、県境といっても

長いので、地図で表すと上図の青枠部分となります。

 

上図は青枠の拡大図ですが、具体的には丸印の2校を

訪ねました。

両校とも10年振りの再訪となります。

 

広島県三次(みよし)市街から国道54号を北上、布野町

(旧布野村)に入ります。

天狗トンネルを抜けた坂道を上る途中に校舎が右手に見えます。

校門には往時の銘板が残っています。

 

手前に体育館の横顔です。

青い瓦屋根の庇が付いた木造体育館です。

壁には「あおぞら木舎」とあります。

 

体育館の奥に校舎が連なっています。

 

体育館と校舎はこのような配置となっています。

天気は曇りでしたが、グリーンの芝生に青い瓦屋根が

映えます。

 

元来、横谷小学校舎は約800m南の旧道沿いにありましたが、

1996年(平成8年)災害危険区域指定をうけたため、現在地に

移転、改築されました。

 

校舎中央の近景

玄関の屋根の上に突き出した塔や三角形の通気口が、

モダンで洒落たデザインに仕上がっています。

 

玄関の表札にも「あおぞら木舎」とあります。

 

窓越しに撮影した2004年(平成16年)度の卒業記念作品

 

校庭の様子

 

D51機関車の動輪

1975年(昭和50年)4月、開校90周年記念に寄贈されたものです。

 

本体が崩壊した百葉箱

 

小学校跡記念碑かと思いましたが、よくみると

1971年(昭和46年)4月17日に天皇皇后両陛下がお立ち寄りに

なったことを記念するものでした。

旧校地に建てたのを、校舎移転に伴い石碑も移設されました。

 

三瓶山(島根県中央部に位置する連峰、主峰は標高1,126m)

全国植樹祭の折に立ち寄られ、全校児童50人のリズム運動を

ご覧になったそうです。

 

沿道の塀には、新国道が開通した記念に、児童らが描いた

花や果実の絵画が施されていました。

 

横谷小学校(2006年閉校)

青色を基調としたモダンな校舎と体育館は、地元の大工さんが

地元の木材を使用し、「自然」や「ふるさとのぬくもり」が

感じられるように仕上げたものです。

沿革をみると、

1878(明治20年)創立

1971年(昭和46年)天皇皇后両陛下お立ち寄りになる。

全校児童50名

1987年(昭和62年)全校児童38名
1996(平成8年)現在地に移転

2006(平成18年)三次市立布野小学校に統合となり閉校

現在は、横谷ふるさとセンターとして、イベントや地域行事、

神楽公演や各種会議・教室・展示など、横谷の拠点として

活用されています。

 

国道54号を北上、県境を越えて島根県に入ります。

飯南町(いいなんちょう)役場を過ぎて、県道55号を南西に進み、

井戸谷地区に着きました。

沿道に「谷笑学校」「優便ポスト」の案内板です。

ユーモアセンスのある当て字ですね。。

 

塩谷川を渡って対岸に校舎と体育館の横顔が見えました。

実は、10年ほど前に訪れたときは、手前の高台に黒っぽい

園舎の保育所がありましたが、すでに解体済みとなっていました。

前回の記事は⇒ こちらへどうぞ。

 

校舎の全景1

やや劣化していますが、見応えのある美しい木造校舎です。

1928年(昭和3年)築の2階建て校舎です。

 

手入れの行き届いた鮮やかなグリーンの芝生が茶色の校舎を

引き立てています。

コントラストが素晴らしいですね。。

 

正面玄関の近景

切妻屋根に唐草模様の破風に校章が飾られています。

 

「谷笑小学校」

閉校後は地域の交流施設として活用されています。

今回は、管理の方がおられず、前回のように構内を見ることは

出来ませんでした。。

 

方言での歓迎も微笑ましいですね。。

 

ホワイトボードには、地域づくりに関する講演会やカフェ、

ヨガ教室などの案内が掲示してありました。

 

錆びた朝礼台

 

玄関脇の丸ポスト

 

先ほど案内板で見た「優便ポスト」

伝えきれなかった想いを書いた手紙を投函するポストなのですが、

届け先はというと。。。

「開封することなく、1月のとんど焼きにて天高く空にお届けします」

 

校歌を刻んだ閉校記念碑

一、

紫におう 城山の

峰にはるかな 夢のせて

若木は 空へたくましく

伸びるよ 谷の小学生

 

谷小学校(2005年閉校)

沿革をみると、

1875年(明治8年)10月 開校

1928年(昭和3年)4月 校舎新築

1987年(昭和62年)全校児童28名
2005年(平成17年)3月 閉校

2010年 交流施設としてリノベーションし

「谷笑学校」がオープン。

開設は飯南町、運営は「谷自治振興会」により行われ、

笑いあふれる楽しい交流の拠点づくりを目的に、谷間の楽校、

育児サロン、各種イベント等の各種事業が行われています。

ちなみに、谷という地名はありませんが、校地は、かつて

邑智郡(おうちぐん)谷村だった地域です。

谷村は1953年(昭和28年)飯石郡(いいしぐん)赤名町と

合併し消滅し、その後は、
1957年(昭和32年)赤名町と飯石郡来島村が合併し

飯石郡赤来町成立
2005年(平成17年)赤来町と頓原町が合併し飯石郡

飯南町成立、現在に至っています。