岡山県の木造校舎を訪ねて(2022/08/08) | haiko-riderのブログ

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2010年春から現在まで、趣味で廃校休校巡りをしてます。
これまでに訪れた校舎や思い出を記事にしてます。
無分別な廃墟探索とは全く異なりますので、誤解無きように。

今回は、岡山県の木造校舎巡りですが、訪れた地域は上図の

津山市、真庭市、吉備中央町の3か所です。

校舎は各1校の3校と短編となります。

再訪した校舎もありますので、ご了承ください。

これまでに訪れた岡山県の木造校舎は、こちらを

ご覧ください。

 

津山高等学校は、校地の前に緩やかな坂道があり、

校門に向かって歩いていくと標柱が立っています。

NHK朝の連続小説「あぐり」ロケ地

1997年(平成9年)4月~10月に放送されたようです。

25年も前のことですが、記念に撮りました。。

 

校門越しに対峙した校舎は、以前に訪れた時と変わらず、

気品のある顔立ちです。

 

 

校舎の近景

パステルピンクの下見板張りの壁、規則正しく配置された縦長の窓、

外観はイタリア・ルネッサンス様式を取り入れた造りとなっています。

 

屋根のお洒落な時計塔に異国情緒が漂います。

 

手前が旧本館、奥が新校舎です。

 

近代的な新校舎

 

創立90周年記念碑

題字は、Expect(予期、予想)

 

男女生徒のモニュメント

 

道路沿いの校地に立つ松の木と解説板

 

卒業記念樹かと思いましたが、ライト兄弟が世界最初の動力飛行を

遂げた飛行場の松の木の種をもらった卒業生(1964年度)が

発芽した松の木を寄贈したのことです。

学校とは直接関係ない話ですが、仰々しく書かれていました。

 

 

校訓の「畏天敬人」とは、万物の支配者としての天を畏敬し、

崇拝して、天の命にかなうように生きるとの意味ですが、
同時に、人を尊び、自己を愛することを表しています。

 

津山高等学校旧本館(現役)

現役校ですので、外観のみの撮影に留めております。

津山高等学校は、1898年(明治28年)に旧制中学校として

開設されました。

1900年(明治33年)現在地に移転した際に新校舎として

建てられたのが現存する旧本館です。

岡山県内に数多く残る木造校舎の中でも明治期に起源を持つ

旧制県立中等学校で最古の校舎です。
城下町として学問が栄えた津山の伝統を受け継ぐ校舎であり、

岡山の学校建築史の上でも極めて貴重な存在となっています。

1955年4月、旧本館が岡山県の重要文化財に指定され、

同年12月には国指定の重要文化財となりました。
なお、B'z 稲葉浩志さんの母校でもあり、校門の前で記念写真を

撮るファンもいるそうです。

 

米子自動車道、久世IC下車、国道181号を西へ4kmほど進むと、

沿道から瀟洒な校舎が見えてきます。

 

約10年振りの訪問ですが、息を呑むような立派な外観は

変わっていません。

 

手入れされた植栽も、建物と調和して画になっています。

 

最大の特徴は、シンメトリー(左右対称)のデザインです。

中央棟の東西両翼に教室棟が伸びる安定感のある造りとなっています。

 

高瀬舟をかたどった校章

 

校舎は、1990年(平成2年)に移転するまで使用されていましたが、

明治後期の独特な建築物として、1999年(平成11年)5月13日に

国の重要文化財に指定されました。

 

校名の由来となった一節が石碑に刻まれています。

『出自幽谷遷干喬木〔ゆうこくよりいでて きょうぼくにのぼる〕』
という中国の古典・詩経の一節から2字を採っています。

ウグイスが深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移ることに

例えて、学問を積み出世するようにとの意味です。
 

「遷喬」を命名した備中聖人、山田方谷(ほうこく)の標柱が

立っていました。

 

正面玄関から構内に入ります。

入場は無料です。

 

室名札

往時から使用していたものでしょう。

 

校長室の様子

机の後ろには、厳めしい金庫がありました。

 

校舎のモノクロ写真、水彩画など掲示してあります。

 

冬景色の校舎も凛として趣がありますね。

 

校舎のミニチュア

 

大正時代のオルガン

 

廊下の様子

 

階段の様子

木造校舎ならではの、軋む音が歳月の重みを伝えます。

 

教室の様子1

地元産のヒノキを使用した机と椅子が復元してあります。

1962年(昭和37年)以降は、耐久性のあるスチール製の

机が普及していきました。

 

教室の様子2

 

連続テレビ小説「ごちそうさん」や映画「ALWAYS 三丁目の夕日」

「火垂るの墓」のロケ地にもなりました。

 

2階中央にある講堂

 

折り上げの格天井となっており、風格が漂います。

 

校舎裏

 

校庭の様子

 

校舎の隣にある近代的な建物は、エスパスセンターという

文化施設です。

 

ゴミで作られたモニュメント「真庭のシシ」

市民のゴミへの関心を高め、廃棄物処理について一緒に考えて

もらうために展示してあるそうです。

 

校舎の前に戻ります。

台座に「大志」の2文字、今も正しく時を刻むのは、

1965年(昭和40年度)の卒業記念に寄贈された丸時計です。

 

校歌碑

一、

やまなみの

すそひくところ

ふるさとは

平和にあけて~

 

創立百周年記念碑

地中にはタイムカプセルが埋めてあるのでしょう。

埋設したのは、1975年(昭和50年)3月、すでに半世紀近く

経とうとしていますが、いつ開封するのでしょうか。。

コンクリート基礎で固めてあるので、簡単に掘り起こせないでしょう。

 

旧遷喬小学校(1990年移転により閉校)

沿革をみると、

1874年(明治7年)津山藩の御蔵(年貢米倉庫)を校舎として    

遷喬小学校を開校
1905年(明治38年)生徒の増加により現在地に校舎を着工
1907年(明治40年)校舎完成

1990年(平成2年)新設移転により役目を終える

1999年(平成11年)国指定重要文化財となる

明治後期の擬洋風学校建築として最大規模の木造校舎です。

設計は県の工手、江川三郎八、建築材は真庭市国有林の優良な

杉、ヒノキを使用しており、随所に細かな建築意匠が施されて

います。

県北の長閑な山間地域ですが、当時の久世町予算の3倍近い

巨額を投じて建てられた木造校舎からは、外観の美しさのみならず、

村を挙げて建立した地元の人々の教育への熱い思いが伝わってきます。

一度訪れてみてはいかがでしょうか。

所在地:岡山県真庭市鍋屋17-1
開館時間:09:00~18:00
休館日:水曜日、年末年始
入場料:無料

 

遷喬小学校から国道181号を南下、さらに県道65号を南下、

加賀郡吉備中央町に入ります。

尾原地区に木造校舎の一部が残っています。

1989年(平成元年)3月に閉校となった新山(にいやま)小学校です。
今回は、初めての訪問です。

 

往時の校門

表札は外してありました。

 

校舎の全景1

下見板張りの2階建木造校舎です。

 

校舎の全景2

 

校舎中央部の近景

 

閉校後は、「新山ほほえみサロン」という集会所となって

いたようです。

 

校舎の裏側

 

跡地に新設された「新山ほほえみセンター」

 

お店のご主人によれば、他にも校舎があったが解体後に

ほほえみセンターを建てたとのこと、残っている校舎は

今より長かったとのことです。

 

1994年(平成6年)6月の航空写真

ネットで調べたところ、店主の言う通り、校舎2棟が校庭を

囲むように建っています。

当時は、児童もそれなりにいたのでしょうが、今は子供を

見かけないそうです。

 

新山中学校跡碑

かつては、中学校も併設されていました。

 

沿革碑

1947年(昭和22年)4月1日 御津郡新山村立新山中学校設立を認可
1947年(昭和22年)5月3日 開校
1951年(昭和26年)1月8日 新校舎へ移転
1955年(昭和30年)3月31日 加茂川町立新山中学校と改称
1962年(昭和37年)3月31日 御北中学校への統合に伴い閉校
御北中学校は、1986年(昭和61年)加茂川中へ統合となり、
加茂川中学校も、2014年(平成26年)吉備中央町立加賀中学校へ

統合されています。

 

新山小学校跡碑

銘板に沿革が記されていますが、激しく劣化しており

判読できません。

 

新山(にいやま)小学校(1989年閉校)

静かな山間に残っている木造校舎です。

閉校後は、地域の集会所として使用されていましたが、

隣に新設した「新山ほほえみセンター」がその役割を担うように

なったため、「吉備中央町新山診療所」としてのみ使用されて

いるようです。

1987年(昭和62年)の在校児童は62名でした。

明治期に建てられ歴史建造物として大切に保存されている遷喬小学校、

昭和期に建てられたが、やがて解体されるであろう新山小学校。

対照的な両者ですが、全国的には、後者が圧倒的に多いのです。

小生にとっては、どちらも貴重な存在であることに変わりません。。

そこに子供らが集い、明るく楽しく仲良く過ごした学び舎であったことに

差がないからです。

そんなことを想いながら斜陽の校舎を後にしました。