我が家の車両紹介 国鉄スハネ30形 | 夜汽車の汽笛への憧情

我が家の車両紹介 国鉄スハネ30形

今回も昭和6年組の客車ですが、やっと丸屋根の客車が登場です。



さて、この客車。なかなか突っ込み所の多い客車なのですが、新旧入り混じった様な不思議な姿の客車ですね。
これが、我が国初の三等寝台車スハネ30形です。
実はこの客車を昭和6年組として紹介するかどうかかなり悩んだのです。
というのも、実はこの客車は昭和6年登場の旧スハネ30000形と昭和7年登場の旧スハネ30100形が混じっており、しかも全車が一度座席車になっているのです。
そういう意味ではこの姿・形式となった昭和34年登場とも言えるのですが、戦前形車体を色濃く残している上に車籍も引き継いでおり、窓周りなどは原形をとどめていることと、元スハネ30000形と30100形の区別がつかなくなっていたことから、敢えて昭和6年組として紹介することにいたしました。

と言うところで、歴史を追ってみることにしましょう。



スハネ30形は元を辿ると、上に書いたとおり昭和6年に我が国初の三等寝台車として登場したスハネ30000形です。
片側通路式の三段寝台で、定員は54名。当時の従来の標準形といえる二等寝台車の約倍の定員を持っています。
三段寝台では二重屋根とすると上段のスペースが無くなることから、鉄道省の鋼製客車としては初めて丸屋根が採用されました。
電車では既に昭和4年に採用しているので、2年遅れと言うことになりますが、この丸屋根が製造コストや保守コスト削減に一躍買うことが実証され、昭和7年以降に全ての客車に採用される契機となりました。
なお、当時の姿は前後にデッキがあり、屋根上も通常のガーランド式ベンチレーターで、スハ32形丸屋根車の窓ピッチを広くしたような姿でした。また、リベットは当時の標準形の縦リベット付きでした。
客車としては唯一、丸屋根+縦リベットの組み合わせだったことになります。

さて、昭和6年に10両が製造され、試作要素の強かったスハネ30000形ですが、好評につき一部改良を加えて昭和7~12年にかけてスハネ30100形として量産されます。その数は全部で110両が製造されて一大勢力となりました。スハネ30100形は基本構造はスハネ30000形と同じながら、溶接技術導入により縦リベットが大部分廃止され、スッキリした姿となりました。

さて、登場後のスハネ30000形とスハネ30100形はおもに東京~神戸間の夜行列車に使用された他、特別急行「富士」にも連結されました。
昭和16年には称号改正が行われ、スハネ30000形はスハネ30形に、スハネ30100形はスハネ31形となりましたが、戦争が始まって不要不急とされ、昭和19年までに全車が三等座席車のオハ34形に編入され形式消滅しました。

さて、時は進んで昭和34年。夜行特急登場後も依然として夜行急行の寝台需要は多かったものの、車両メーカーや予算等が20系の製造等で逼迫していたこともあり、急行用の寝台車は改造車で賄うことになりました。そこでスポットライトが当たったのがオハ34形に化けていた旧スハネ30形、31形でした。
これらを寝台車として復帰させることになりますが、当時急行用として最新鋭だったナハネ11形相当の内装となりました。
また、10系寝台車とレイアウトを揃えるため片側のデッキは潰してトイレ・洗面所となり、その窓も当時に合わせてアルミサッシとなりました。
デッキドアも10系と同じサッシ付きの鋼製ドアになり、デッキ上部には等級表示灯も取り付けられました。
さらに、各寝台区画には扇風機が取り付けられ、モーター部分を屋根上に配置するため細長い一体型のカバーが取り付けられました。
寝台はもちろん10系と同じ樹脂と金属を用いたもので、室内灯も蛍光灯でした。
こうして、写真の様な姿に装いを変更して寝台車に復帰したオハ34形改造車は、形式も先祖帰りしてスハネ30形となったのでした。実に15年ぶりの復活です。
なお、この工事の際に旧スハネ30形は2両を除いて溶接により縦リベットが消えたため、旧スハネ31形と見分けが付かなくなりました。また、一部は全溶接となってリベットが消滅した車両も存在します。また、旧スハネ31形もスハネ30となってナンバーもごちゃ混ぜになりました。なお、戦災または事故廃車となったもの以外はスハネ31形の全て、旧スハネ30形も1両を除いて全てがスハネ30形または緩急設備付のスハネフ30形として寝台車に復帰しており、当時の寝台需要の多さを如実に表しています。

さて、二代目スハネ30形となったこれらは総勢99両となって急行用寝台車の中核の一端を担い、幅広い活躍を見せました。
特に昭和41年頃から始まった10系寝台車の冷房化改造時には、戦線離脱した10系寝台車に代わってスハネ30ばかりで編成を組んだ列車も登場するなど大活躍でしたが、戦前形車体を生かした構造が仇となって冷房化ができず、10系の冷房化が進んだ昭和43年頃から、新幹線開業や特急列車増発による夜行急行の減便・老朽化も手伝って急速に姿を消していきました。そして、昭和49年に夜行普通列車「からまつ」での使用を最後に引退。我が国初の三等寝台車は鉄路から去って行ったのでした。



さて、車両を見ていきましょう。
寝台側のサイドビューです。
屋根の端に丸みがあり、デッキ部分が窄まっているの戦前形車体で、600mm幅の2枚組の窓が並びます。スハ32系丸屋根車の仲間で、スハ32形と共通点の多いスタイルです。
台車は当時標準のペンシルベニア形台車TR23です。
一方で、屋根上の一体型扇風機カバーや、トイレ部分のアルミサッシがいかにも改造車らしい出で立ちです。
見た目はクラシカルですが中身は10系並であり、最も見た目と中身の一致しない客車の一つだったと言えるでしょう。


こちらは通路側。室内は片側通路式ですが、10系と違って車体左右の意匠差はほとんどありません。
屋根上は通路側に通風器がついているのがわかります。
室内は枕木方向に並ぶ3段寝台で、幅は52cm。10系寝台車と同じものです。
ちなみに、戦前時代の寝台は木製ながらやはり幅52cmでした。戦後の10系がスハネ30をベースとしたことがわかります。
窓ピッチは1580mmで、これもナハネ10形と同じでした。

車体色は当初一番目の写真のとおり茶色でたが、昭和39年以降に近代化改造相当と言うことから青色に変更されました。
結果的になかなか面白い客車になったと言えるでしょうか。

さて、我が家のスハネ30形は6両が在籍。
内、マイクロエース製が2両(内1両は茶色)、KATO製が4両です。

上の写真左側がマイクロエース製、右側がKATO製です。
茶色のマイクロエース製は昭和34~39年頃の姿、青色の方はマイクロエース、KATO製とも昭和39~45年頃の姿となります。
マイクロエース製の方が製品としては古いのですが、同社製としては出来が良く、今でも十分通用します。メリハリの効いたディテールはなかなか好感が持てます。KATO製は去年登場の製品で、いかにもKATOらしいスッキリした仕上がりです。
両者ともそれぞれに良さがあり、混結してもさほど違和感はありません。





スハネ30形の特徴である、デッキを潰して設置した洗面所部分です。
なかなか面白いですね。
上の写真はマイクロエース製、下がKATO製ですが、ここでリベットのパターンに注目です。
マイクロエース製は潰したデッキの部分の窓上下の補強板にリベットが存在し、車体裾のリベットが二段です。
一方、KATO製は潰したデッキ部分はリベットがなく、車体裾のリベットも一段です。
実はこれ、実物でも両方存在していて、改造車らしいバリエーションの一つになっていました。
実車でも両タイプが混用されていたこともあり、マイクロエース製とKATO製の両方を持っていてもそれなりに価値があるとおもっています。


以上、スハネ30形について書いてみました。
それにしても、この客車も本当に見ていて飽きない客車ですw

昭和6年生まれの客車はこれがラストです。

次回で昭和6年組もラストとなります。
何がでてくるかお楽しみw

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