今回は前回と同じスシ37800一族である、マシ49について書いてみる。なお、不可分の関係にあるスシ48形10番台とスシ28形100番台、マシ29形100番台についても軽く述べる事にする。
1.マシ49の概要
マシ49は昭和8年にスシ37800として誕生した食堂車である。
車体構造や登場後から戦後まもなくまでの歴史はスシ37800の稿を参照されたい。
さて、マシ49はスシ48-10の冷房改造車であるので、スシ37800の記事と内容は重複するが、ここで少しスシ48について書くとしよう。
スシ48が誕生したのはちょうど称号改正の時で、マシ29やスシ28と区別された理由は、厨房付き三等車からの復元改造時に大幅なリニューアルが行われ、仕様に差異が出た事による。
具体的には主に、
・内装の変更(当時最新のマシ35に準じたイメージのものにする)
・照明の蛍光灯化(食堂車としては初)
・冷房準備工事の施工
・喫煙室窓の変更(600mm幅2枚を700mm幅1枚に)
である。
このため、スシ48形には非冷房にもかかわらず屋根に空調用点検蓋が付いており、窓配置も変わったためスシ28・マシ29とは外観上も異なっている。
この時に屋根裏水槽用の給水口も目立たないものに変更された様で、少なくとも写真でそれらしきものを確認できない。
戦後型のマシ35も屋根裏水槽の給水口が目立たないため、同様のものに変更されたのかもしれない。
ちなみに、同じスシ48形のうち0番台となった元スシ37740のグループでは二重屋根の一重屋根・判切妻(オハ35系後期タイプ同様の車端部が車幅方向のみ絞りがある)化、台車を釣合い梁式のTR74から軸バネ式のTR73へ交換なども行われ、気合いの入った改造内容になっている。
なお、スシ48形10番台はスハシ37改造を含めて総勢6両になったが、この内の5両がリベット付きの昭和8年製である。
さて、スシ48は東京~鹿児島を結ぶ急行「きりしま」のほか、長崎行きの「雲仙」にも起用されたが、最新の内装を持つため特急「かもめ」に起用することになり、登場翌年の昭和29年にスシ48 13~15の3両が冷房改造されることになった。
早速冷房準備工事が生きた訳であるが、この3両以外は結局冷房改造されることはなかった。
さて、冷房装置を取付けて重くなったスシ48は重量ランクが変わったため新形式となり、マシ49となった。
なお、マシ49の冷房装置にはマシ29やスシ37800の稿で書いたとおり、マシ29 102~104のものが使われており、冷房装置を失ったマシ29 102~104はスシ28 103~105に変更されている。
なお、マシ49の冷房化時はスシ48と外観上の変化がなく、同じ元スシ37800シリーズの冷房車でながら冷房化後にベンチレータが撤去されたマシ29形100番台とは外観がだいぶ異なる様になった。
さて、マシ49はたった3両の少数派ということもあってか、その足取りはかなり明確なものとなっている。
昭和29年から竹下に配属され、予定どおり特急「かもめ」に使用される。
戦後形スハ43系グループのスハ44やスロ54に挟まれ、展望車が連結されなかった事もあり、唯一の戦前スタイルで編成中のアクセントになっていたが、昭和32年にスハ44を臨時特急「さくら」に取られてからは最新形の10系が隣に連結され、急行列車張りの凸凹編成となった。
昭和34年7月に夜行特急「平和」が20系化とともに「さくら」となり、余ったオシ17 5,6が「かもめ」に配備されると、長崎に異動して急行「雲仙」に使用されることになったが、2両では予備が不足するため異動したのはマシ49 1,2のみでマシ49 3だけは「かもめ」用として竹下に残った。
マシ49 3は一応予備の存在だったが、オシ17の新型冷房装置に不慣れな竹下客車区では当初上手く冷房装置を運用させることができず、早岐所属のマシ29の支援を受けてようやく夏季をしのいだとの資料があり、マシ49 3の出番はかなり多かった様だ。
しかし、昭和35年6月にはオシ17 15が追加配備され、マシ49 3は仲間のいる長崎に移って急行「雲仙」用になった。
新型オシ17の台頭によりマシ29、スシ28、スシ48が東海道から消える中、昭和36年3月には元スシ37800シリーズとしては唯一定期運用で東京~九州を結ぶ存在になった。
しかし昭和36年10月改正で「雲仙」は「西海」との併結列車となり、「雲仙」からは食堂車が外されたため、今度は名古屋へ移って名古屋~熊本を結ぶ急行「阿蘇」に連結される事になった。
マシ29 101を仲間に加えて急行「阿蘇」を3年間担当した後、昭和39年10月改正で鹿児島行きの急行「さつま」にシフトした。
「阿蘇」は山陽本線区画で夜行の列車だったが、「さつま」は山陽本線が昼行で、夜行区間に入る門司で切り離したため効率の良い運用となった。
しかし、マシ49にとってこれが最後の活躍となる。
昭和40年10月改正で急行「さつま」は分割され、昼行区間の名古屋~博多は急行「はやとも」となり同時に電車化。一方で門司~鹿児島の夜行区間は急行「はやと」となり、食堂車のない編成となった。
これでマシ49は運用を失い、マシ49としては約10年だが元々昭和8年生まれで老朽化していたこともあり、そのまま定期列車に使用されることなく昭和41年に3両全車が廃車。
冷房付きの食堂車としては初の形式消滅となった。
なお、皮肉にも冷房化しなかったスシ48形10番台は電気暖房を取付けて東北方面で活躍し、冷房化したマシ49よりも2年程長生きしている。
2.我が家のマシ49
組み立て記事にも書いたとおり、キングスホビー製のキットを組んだものである。
マシ29同様、室内はテーブルと仕切りを除いて自作した。室内灯は付ける予定だが、未実装である。
マシ49の導入目的は昭和34年7月からの「雲仙」用である。
このため、塗装・表記は昭和34年6月以降の様式になっている。
所属は門サキとし、ナンバーはトップのマシ49 1にした。このトップナンバー車は床下空調装置に整風フィンが付いているのが特徴だ。
我が家では予定の「雲仙」の他、特急「かもめ」や、当面の間外観がほぼ同一なスシ48の代用としても使用する予定だ。
3.マシ49つれづれ
マシ49はたった3両の少数派であるが、冷房の有無のみが違うスシ48-10が3両いるだけでなく、スシ37800一族であるため、どうにも少数派らしからぬ少数派である。
ベンチレータと空調蓋が仲良く同居するあたりはやや特異と言っても良いかもしれないが。
面白いのは、同じ元スシ37800の冷改車であるマシ29形100番台と、外観も運用も対照的だった事だろう。
マシ29が幅広く、しかも短期間での動きも激しかったのに対し、マシ49は一つの列車に長く使用されたため、活躍範囲が限られていた事だろう。
上で書いたとおり、戦後は「かもめ」「雲仙」「阿蘇」「さつま」の4列車に過ぎない。
外観についても同様である。
屋根については上述のとおりだが、喫煙室の窓が変更され、初期車ばかりのためリベットの付いたボディー。それでいて蛍光灯照明で、冷房まで付いているのだから、マシ29とはまさに「似て非なる車両」になったと言って良い。
ところで、マシ49は終始東海道・山陽本線系統で活躍したが、意外にも名古屋以東で活躍した期間は短い。
オシ17に追われて「かもめ」用の座を降りた昭和34年7月から昭和36年9月までの約2年間に過ぎない。
しかし、その間にマシ29が定期運用から一旦追われ、その間中は東京へ顔を見せる唯一の元スシ37800形だったのだから、なんとも不思議な巡り合わせである。
皮肉にも昭和36年10月にマシ49が東京から撤退するのと同時に東京には「瀬戸」用にマシ29形100番台の定期運用が復活しているのだから面白い。
また、マシ29の一部が「近代化改造」されて蛍光灯化したのと入れ替わる様なタイミングで廃車になっているのも、運命の妙を感じてしまう。
もっとも、マシ29とは表裏の様な存在ながら3両だけの存在であるので「雲仙」「阿蘇」時代は予備が足りず、予備にマシ29形100番台の支援を受けていたのも事実である。
そこはやはり兄弟形式ということであろう。
さて、マシ49はたった3両の存在だった事もあってか、知名度は同じく特急に使われたマシ35やオシ17と比べて断然知名度が低い。
そもそも客車歴の浅い自分などは当初49などという客車の形式は現在も動態保存車として生き残る展望車のマイテ49位しか知らなかった。
そのマシ49がマイクロエースの銀河鉄道999セットに入っていた事自体驚きだったが、案の定スシ28ともマシ49とも付かぬ不思議な突っ込む所満載の車両になっていた。無論、スシ48であってもおかしな形である。
リベット付きボディーは合っているが、喫煙室窓がこともあろうに700mmと500mmのオフセットした2枚窓になっている。
屋根はベンチレータがあるのは正解だが空調蓋はない。一見スシ28の様だがしっかり空調蓋の存在するあたりはのっぺらぼうになっている。
厨房には大形どころか巨大なベンチレータ一つと、煙突が何故か通称「半ガラ」と呼ばれる、ダブルルーフ車でお馴染みのガーランドベンチレータを半分にした形のベンチレータになっている。
メーカーとしての考証の甘さは否定できないが、一方で資料が少なくて考証が難しいのも事実だ。
その中でかつて存在しなかったスシ37一族のプラ完成品を出した事自体評価すべきなのかもしれない。
それだけにこの考証の甘さが残念でならないのだ。
もっとも、マシ49などというキワドイ形式は大して売れないだろう事は想像に難くない。
セット限定の少数生産となれば、考証にかけるだけのリソースは裂けないとの判断かもしれない。
そして、マシ49は今後も安価な完成品は発売されず、「かもめ」を再現する上での難関車両として君臨することだろう。
さて、マシ49使用列車のうち、華やかさでは「かもめ」に負けるが、面白さでいえばやはり「雲仙」だろう。
「かもめ」は特急とはいえ展望車を連結しなかったため、機関車が装飾付きだったり、ヘッド・テールマークが付く以外は、基本的には特別二等と三等車で食堂車を挟むシンプルな編成だったが、「雲仙」はマシ49が連結される様になった昭和34年7月から昭和34年9月の僅かな間ではあるがマロネ40を連結し、二等ABC寝台と2種類の二等座席車、新鋭の三等寝台にスハ43系の三等車と、黄金期の九州急行らしい重厚な組成で、この時代の急行に定番の荷物車も連結されていた。
塗装規定改正直後なので、ぶどう色1号の旧塗装とぶどう色2号の車両が入り交じり、当時の客車ファンにとってはかなり楽しい編成だったのではないだろうか。
マシ49が旧一等寝台車と一緒に走るのはこの2ヶ月のみで、貴重な組み合わせだったと言えるのではないだろうか。
そんな束の間の豪華編成を再現するのは、とても楽しい夢である。
写真1枚目:スシ48に「かもめ」用として冷房装置を付けて登場したマシ49。
手前側は喫煙室で、700mm幅の1枚窓になっているのがスシ48・マシ49の特徴だ。
元はスシ37800形初期車であるため、リベットが目立つ。ゴツゴツしたリベットと様々な間隔で並ぶ狭窓がいかにもスハ32系らしい古典的なスタイルだ。
写真2枚目:厨房部分の通路側。不等間隔の窓と中の仕切りが食堂車を特徴づけている。
写真3枚目:マシ29と並ぶマシ49(手前)。マシ49は三等車からスシ48として復元される際に調度品が一新され、明るい物になっている。という事だが、詳細な色が不明なのでフィーリングで椅子をクリーム色にしてみた。
また、ベンチレータと大きな空調点検蓋が特徴的だ。