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2017-04-26 20:52:16

KATOのED70入線

テーマ:鉄道模型
発売から少し経ちましたが、諸々の事情で先延ばしになっていたKATOのED70形が入線してきました。

2月に発売されたED70形です。
保護用のプラ材がごついですねw


箱から出しました。製品ままの状態です。
赤いコンパクトな車体が特徴的です。
同期に登場したディーゼル機関車のDF50形とデザイン的な共通点が見られます。


交流用電気機関車らしい複雑な屋根上です。
ミニ変電所といった風情を見事に表現してますね。

付属品はこんな感じ。
一時期の製品は信号煙管やホイッスル、手摺類もユーザー取り付けでしたが、最近の製品らしくナンバーとカプラーのみです。これを取り付けて入線整備していきます。

まずはナンバー取り付け。
ナンバーは2,3,7,9番を選択可能になっています。
製品は40年代末の晩年仕様で、Hゴムが白黒混在していますが、色々調べてみると製品同様の混在パターンとなっていたのは7号機と9号機のようなので、なんとなく9号機を選択しました。
それにしても、ナンバープレートの継ぎ目がほとんど判らないパーツ精度は凄いとしか言いようがありません。
なお、メーカープレートは最初から印刷済みでした。ED70形は全機が三菱製なので選択式とする必要がないのです。

カプラーも交換しました。ED70形はカプラー周りがスノープロウに付いている単純な構造で、交換も楽に終わりました。入線整備に30分もかからなかったのは素晴らしいです。

さて、ここで軽く国鉄ED70形について解説していきましょう。
ED70形は北陸本線の田村~敦賀間電化に伴い、昭和32年に登場した交流用電気機関車です。
同区間は交流20000V、周波数60Hzで電化されたため、ED70形も60Hz用となっていますが、60Hz電化は当時世界的も初めてで、おのずと60Hz用電気機関車もこのED70形が世界初となりました。

デッキの無い箱型車体やボギー構造の台車、出力375kwの大型電動機、クイル駆動方式等様々な新機軸が取り入れられ、その後の機関車の新しい標準の元となっています。
1000t貨物列車を重連で引くことを前提に総出力は1500kwとされ、前面は重連に備えて貫通扉が設けられました。


ED70形はその後北陸本線の電化の進展にあわせ運用範囲を拡大し、田村~糸魚川間で活躍しました。当初は旅客・貨物列車全てで活躍しましたが、昭和36年以降に出力・牽引力の勝るEF70形やED74形が登場すると、比較的編成の軽い旅客列車や荷物列車中心に活躍したほか、比較的速度の重視されない夜行急行列車にも登板しました。
前面の貫通扉は従来の機関車と同じ内開き式でしたが、寒さの厳しい北陸では運用上問題となり、貨物運用をEF70等に譲ったこともあり貫通扉は溶接されて埋められました。

旅客列車中心に頑張っていましたが、昭和49年に湖西線が開通すると、汎用性に勝るEF81が大量増備されました。ED70形はデビューから18年と経年機と呼ぶにはまだまだでしたが、試作要素が強い機関車故にトラブルも多く、昭和50年までに全車が廃車となって形式消滅してしまいました。
登場から僅か18年。パイオニア故の悲運の機関車と言えるのかもしれません。

さて、ED70形は正直実物も見たこともなく、北陸方面自体未踏の地であり、自分にとっては縁遠い機関車です。
実物もやや脇役なイメージで一見購入する理由も無さそうなのですが、それでもやってきたのは「意外と使える」からなのです。
我が家は上野発の北陸方面の急行列車を再現していますが、それらの末端区間ではED70形が使用されてた他、憧れの列車である「きたぐに」や急行時代の「日本海」などに使えます。
また、旧形客車を雑多に繋げて普通列車にしたりと旧形客車にも似合う他、やはり何といってもその独特なスタイルに惚れたのが大きいですねw
DF50形を小型にしたような台形のボディーに屋根上の複雑な機器類、大きな庇を備えてスマートさと厳つさの同居する姿はEF58の上越タイプにも通じるところがあります。

と言うわけで、我が家にやってきた交流電機のパイオニアはなかなか活躍の場がありそうです。

最後に我が家の「赤いED」と顔合わせ。
やはりED70は先駆者故の独特のオーラを感じますw
ちなみにED75も78も50Hz区間用なので、実際にこの並びは発生し得ませんでした。模型ならではの夢の並びですねw


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2017-04-17 20:19:52

我が家の車両紹介 国鉄ED16形

テーマ:我が家の車両紹介
我が家の車両紹介シリーズ。
今回こそ昭和6年組のラストです。

ゴツいチョコレート色のボディーに前後のデッキ、車体の骨組みやリベットがいかにも古典機らしいただすまい。
これぞ昭和6年生まれの古豪の電気機関車、ED16形です。

今回も下手な蒸気機関車より古い電気機関車、ED16形の歴史を追ってみることにします。

電化区間も短く電気機関車は主に輸入機ばかりだった我が国ですが、昭和に入って鉄道省は初の本格的な国産機EF52形を製造します。
EF52形は試作的要素が強いものの一定の成果を得たことから、本格的に国内メーカーによる電気機関車の製造が進められることになりました。ちょうど上越線で長大トンネルを含む勾配区間の電化開業と、やはり勾配である中央本線高尾~甲府間の電化が行われる事から、昭和6年に勾配区間向けの客貨両用機として誕生したのがED16形です。
半ば試験用に1両が国府津に配置された以外は上越線と中央本線に配置され、その威力を発揮しました。比較的勾配の緩い上越線には追ってF級機のEF53やEF10が製造されたことから比較的早期に中央本線に集中配属となっています。その後中央本線にもEF11が配備されますがこちらは当時の技術では持て余した回生ブレーキが仇となって極少数にとどまり、ED16が中央本線の主であり続けました。
第二次大戦を経て戦後になると、中央本線にもF級のEF13が配備されます。当初戦時型のEF13は欠陥機とも言えるものでしたが大規模改修により普通の機関車として生まれ変わり、ED16は中央本線を追われて今度は青梅線と阪和線に配備されました。
阪和線では快速に使用されたこともあるものの、低速機であることと、F級機やED60形に押されて昭和45年には撤退し、全機が立川配置となって主に川崎の工業地帯と青梅線の奥多摩を結ぶ石灰列車に使用されることになります。
最高20‰で全線に渡って勾配がある青梅線の貨物はED16形が見事なはまり役となり、青梅線の線路規格が低かったこともあってED16は活躍を続けますが、さすがに昭和50年代に入ると老朽化も目立ってきます。そしてついに青梅線も線路が強化されてF級機が入線できるようになり、昭和56年頃からEF64やEF15に押されて徐々に退役。昭和58年にはさよなら列車も運転されて運用から外れ、昭和59年に惜しまれつつ全車廃車となりました。
なお、ED16形は1号機が長年活躍した青梅にある鉄道公園で、15号機がかつて活躍した中央本線沿線の南アルプス市で保存されています。


さて、車両自体をみていきましょう。
前後にデッキを持ち台枠上に車体を載せる古典的なスタイルで、そのスタイルはアメリカからの輸入機EF51に影響を受けたものとなっています。

車体の骨組みが露出しており、側板はリベット止めとなっていてゴツゴツした印象です。こうして拡大するとその様子がよくわかります。

電動機はEF52形と同じMT17形で出力は225kw。それが4台付いており総出力は900kwです。一見低い数字に見えますが、これでも当時の蒸気機関車から比べれば十分に強力でした。
また、蒸気機関車と違い煤煙が出ないため、長大トンネルのある勾配区間でも乗務員の窒息等のリスクもなく安全で、そのメリットは大きかったものと思われます。

ギア比は4.77と高めで、平坦区間でのスピードと、勾配区間での登坂力のバランスを考えたとのこと。最高速度は65km/hで、これは当時の貨物列車では標準的なスピードでした。
登場時には重連総括制御装置も付いていましたが、当時の技術ではうまく作動せず早期に撤去されています。
D級故の小型のボディーがなかなか引き締まった雰囲気ですね。
さて、模型はKATO製。比較的新しい製品で、今時のKATOらしいカッチリした仕上がりです。
ED16形も旧形機の例に漏れず、補修や更新工事等により形態差があり、模型は10号機をモデルとしているようです。自分は形態の近い18号機としましたが、特定ナンバーに近付ける改造等は施していません。
もっとも、旧形機にしてはED16の場合個体差が少なかったように思います。

庇のある前面はアメリカ輸入機のEF51やED53の流れを組んだもの。シンプルながら機能美を感じるデザインです。
このデザインはその後登場するF級機のEF53形やEF10形初期車にも引き継がれています。

上から見た所。旧形機標準のシンプルな構成です。やはりリベットが目立ちますね。

余談ですが、ED16形は青梅線沿線育ちの自分にとって親しみ深い機関車で、家の前の線路を石灰を積んだホッパー車を引き連れてノンビリと走っていたのを思い出します。また、都内とは思えぬ風光明媚な御嶽渓谷を走る姿はなかなか絵になっていたものでした。

以上、電気機関車ED16形の紹介でした。

次回からは一年進んで昭和7年組の登場です。
まあ、昭和6年組とスタイル的に大きな差はありませんけどねw

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2017-04-15 17:10:51

我が家の車両紹介 国鉄タム500形

テーマ:我が家の車両紹介
すみません。前回の記事で「次回が昭和6年組の最後」と書いたのですが、もう一回あります。


小振りな丸いタンクと短いボディーがなんとなく可愛らしい貨車ですね。
実はこの車両が昭和6年登場であることを忘れていましたwww

というわけで、今回は国鉄(JR)タム500形を紹介します。

タム500形は昭和6年登場のガソリン用タンク貨車です。
昭和36年まで実に30年間も作られたベストセラーとも言える貨車です。

例によって軽く歴史を追って行きましょう。

タム500形は昭和6年に登場後、次第に数を増やしながら石油輸送の中核として活躍します。
二軸で有蓋車などと同じサイズであることと、積載量15tという手軽なサイズであることから、需要の少ない地方路線に乗り入れる運用等で活躍しました。
戦後になりボギー車の大型タンク車が登場した後でも、道路交通が貧弱だったこともあって地方の小さな油槽所へは引き続きタム500形が使用され、幹線系統の長大な貨物列車の中に挟まって活躍する姿も見られたようです。
ところで、タム500形の懸架装置は戦前標準の一段リンク式で、最高速度も当時としては標準の65km/hでしたが、貨物列車の速度向上に対応策して昭和30年代製造車からは走行装置の二段リンク化が図られ、最高速度も75km/hにアップしました。また、一段リンク車も順次二段リンク化改造されています。
地方の燃料輸送の中核として活躍したタム500形ですが、昭和40年代に入り道路が整備され、トラックの性能が向上していくと、次第にその役割はタンクローリー車に取って代わられ、輸送の合理化やローカル線廃止も手伝って数を減らし始めます。総勢621両だったタム500形も昭和62年の分割民営化時には34両となっていました。それでも多くの二軸貨車が消滅する中、これらはJR貨物に引き継がれて活躍を続けました。
とは言え輸送体系も大幅に変わり、この頃になるとさすがに老朽化も進んでおり、平成12年に最後の2両が廃車となって形式消滅。69年間の歴史に終止符が打たれました。

さて、車両の方を見ていきましょう。
車体の長さは8m級。かつての貨車の主役は二軸貨車で、その標準的な長さが8mでした。
タム500形もそれに合ったサイズです。
台枠の上にタンクが鎮座するのは昔ながらのスタイルです。
上にある凸部分にハッチがあり、そこが注入口になっています。
台枠下に吐出口があり、荷下ろしはそこにパイプを付けて行います。

反対側です。外観上はそれほど差はありません。
模型は懸架装置が二段リンクとなった後の姿となっています。
タンクには今日のJRタキ1000形でもお馴染みの日本石油輸送のロゴが入っています。かつては石油会社がそれぞれ独自にタンク車を所有しており、タンクにも出光やキグナス、日石等のマークを見ることができましたが、近年は輸送専門の二社(日本石油輸送と、日本オイルターミナル)に収斂しています。
「燃32」の表記は化成品分類番号で、昭和54年以降についたものです。この模型も比較的末期の姿と言うことができそうです。

上から見た所。注入ハッチがしっかり再現されています。手摺りやハシゴも精密に再現され、見ていて楽しいですね。

模型はKATO製。モデルとなったタム500形は歴史のある型式ですが、製品としては比較的新しく表記類の印刷にも今時の製品らしい細密さが見られます。

線路方向から。丸いタンクの胴がよくわかりますね。カプラー上には解放テコが見えます。
細かいですねぇw
デカいアーノルトカプラーがめだちますが、これはそのうち交換していきたいところです。

タム500形の我が家の在籍数は2両。貨物列車のよいアクセントになることでしょう。

以上、国鉄(JR)タム500形を紹介いたしました。

次回は本当に昭和6年組のラスト・・・だと思いますw

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2017-04-13 21:15:48

”箱根湯本駅の屋根を作る 完結編”

テーマ:鉄道模型
JR湘南茅ヶ崎線さんによる渾身の作です。
箱根湯本駅を見たことがある人ならばだれでもニヤリとすることでしょうw
それにしても、リアルなオリジナルのストラクチャーの数々、ひたすら脱帽です。
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2017-04-13 20:56:29

我が家の車両紹介 国鉄スハネ30形

テーマ:我が家の車両紹介
今回も昭和6年組の客車ですが、やっと丸屋根の客車が登場です。



さて、この客車。なかなか突っ込み所の多い客車なのですが、新旧入り混じった様な不思議な姿の客車ですね。
これが、我が国初の三等寝台車スハネ30形です。
実はこの客車を昭和6年組として紹介するかどうかかなり悩んだのです。
というのも、実はこの客車は昭和6年登場の旧スハネ30000形と昭和7年登場の旧スハネ30100形が混じっており、しかも全車が一度座席車になっているのです。
そういう意味ではこの姿・形式となった昭和34年登場とも言えるのですが、戦前形車体を色濃く残している上に車籍も引き継いでおり、窓周りなどは原形をとどめていることと、元スハネ30000形と30100形の区別がつかなくなっていたことから、敢えて昭和6年組として紹介することにいたしました。

と言うところで、歴史を追ってみることにしましょう。



スハネ30形は元を辿ると、上に書いたとおり昭和6年に我が国初の三等寝台車として登場したスハネ30000形です。
片側通路式の三段寝台で、定員は54名。当時の従来の標準形といえる二等寝台車の約倍の定員を持っています。
三段寝台では二重屋根とすると上段のスペースが無くなることから、鉄道省の鋼製客車としては初めて丸屋根が採用されました。
電車では既に昭和4年に採用しているので、2年遅れと言うことになりますが、この丸屋根が製造コストや保守コスト削減に一躍買うことが実証され、昭和7年以降に全ての客車に採用される契機となりました。
なお、当時の姿は前後にデッキがあり、屋根上も通常のガーランド式ベンチレーターで、スハ32形丸屋根車の窓ピッチを広くしたような姿でした。また、リベットは当時の標準形の縦リベット付きでした。
客車としては唯一、丸屋根+縦リベットの組み合わせだったことになります。

さて、昭和6年に10両が製造され、試作要素の強かったスハネ30000形ですが、好評につき一部改良を加えて昭和7~12年にかけてスハネ30100形として量産されます。その数は全部で110両が製造されて一大勢力となりました。スハネ30100形は基本構造はスハネ30000形と同じながら、溶接技術導入により縦リベットが大部分廃止され、スッキリした姿となりました。

さて、登場後のスハネ30000形とスハネ30100形はおもに東京~神戸間の夜行列車に使用された他、特別急行「富士」にも連結されました。
昭和16年には称号改正が行われ、スハネ30000形はスハネ30形に、スハネ30100形はスハネ31形となりましたが、戦争が始まって不要不急とされ、昭和19年までに全車が三等座席車のオハ34形に編入され形式消滅しました。

さて、時は進んで昭和34年。夜行特急登場後も依然として夜行急行の寝台需要は多かったものの、車両メーカーや予算等が20系の製造等で逼迫していたこともあり、急行用の寝台車は改造車で賄うことになりました。そこでスポットライトが当たったのがオハ34形に化けていた旧スハネ30形、31形でした。
これらを寝台車として復帰させることになりますが、当時急行用として最新鋭だったナハネ11形相当の内装となりました。
また、10系寝台車とレイアウトを揃えるため片側のデッキは潰してトイレ・洗面所となり、その窓も当時に合わせてアルミサッシとなりました。
デッキドアも10系と同じサッシ付きの鋼製ドアになり、デッキ上部には等級表示灯も取り付けられました。
さらに、各寝台区画には扇風機が取り付けられ、モーター部分を屋根上に配置するため細長い一体型のカバーが取り付けられました。
寝台はもちろん10系と同じ樹脂と金属を用いたもので、室内灯も蛍光灯でした。
こうして、写真の様な姿に装いを変更して寝台車に復帰したオハ34形改造車は、形式も先祖帰りしてスハネ30形となったのでした。実に15年ぶりの復活です。
なお、この工事の際に旧スハネ30形は2両を除いて溶接により縦リベットが消えたため、旧スハネ31形と見分けが付かなくなりました。また、一部は全溶接となってリベットが消滅した車両も存在します。また、旧スハネ31形もスハネ30となってナンバーもごちゃ混ぜになりました。なお、戦災または事故廃車となったもの以外はスハネ31形の全て、旧スハネ30形も1両を除いて全てがスハネ30形または緩急設備付のスハネフ30形として寝台車に復帰しており、当時の寝台需要の多さを如実に表しています。

さて、二代目スハネ30形となったこれらは総勢99両となって急行用寝台車の中核の一端を担い、幅広い活躍を見せました。
特に昭和41年頃から始まった10系寝台車の冷房化改造時には、戦線離脱した10系寝台車に代わってスハネ30ばかりで編成を組んだ列車も登場するなど大活躍でしたが、戦前形車体を生かした構造が仇となって冷房化ができず、10系の冷房化が進んだ昭和43年頃から、新幹線開業や特急列車増発による夜行急行の減便・老朽化も手伝って急速に姿を消していきました。そして、昭和49年に夜行普通列車「からまつ」での使用を最後に引退。我が国初の三等寝台車は鉄路から去って行ったのでした。



さて、車両を見ていきましょう。
寝台側のサイドビューです。
屋根の端に丸みがあり、デッキ部分が窄まっているの戦前形車体で、600mm幅の2枚組の窓が並びます。スハ32系丸屋根車の仲間で、スハ32形と共通点の多いスタイルです。
台車は当時標準のペンシルベニア形台車TR23です。
一方で、屋根上の一体型扇風機カバーや、トイレ部分のアルミサッシがいかにも改造車らしい出で立ちです。
見た目はクラシカルですが中身は10系並であり、最も見た目と中身の一致しない客車の一つだったと言えるでしょう。


こちらは通路側。室内は片側通路式ですが、10系と違って車体左右の意匠差はほとんどありません。
屋根上は通路側に通風器がついているのがわかります。
室内は枕木方向に並ぶ3段寝台で、幅は52cm。10系寝台車と同じものです。
ちなみに、戦前時代の寝台は木製ながらやはり幅52cmでした。戦後の10系がスハネ30をベースとしたことがわかります。
窓ピッチは1580mmで、これもナハネ10形と同じでした。

車体色は当初一番目の写真のとおり茶色でたが、昭和39年以降に近代化改造相当と言うことから青色に変更されました。
結果的になかなか面白い客車になったと言えるでしょうか。

さて、我が家のスハネ30形は6両が在籍。
内、マイクロエース製が2両(内1両は茶色)、KATO製が4両です。

上の写真左側がマイクロエース製、右側がKATO製です。
茶色のマイクロエース製は昭和34~39年頃の姿、青色の方はマイクロエース、KATO製とも昭和39~45年頃の姿となります。
マイクロエース製の方が製品としては古いのですが、同社製としては出来が良く、今でも十分通用します。メリハリの効いたディテールはなかなか好感が持てます。KATO製は去年登場の製品で、いかにもKATOらしいスッキリした仕上がりです。
両者ともそれぞれに良さがあり、混結してもさほど違和感はありません。





スハネ30形の特徴である、デッキを潰して設置した洗面所部分です。
なかなか面白いですね。
上の写真はマイクロエース製、下がKATO製ですが、ここでリベットのパターンに注目です。
マイクロエース製は潰したデッキの部分の窓上下の補強板にリベットが存在し、車体裾のリベットが二段です。
一方、KATO製は潰したデッキ部分はリベットがなく、車体裾のリベットも一段です。
実はこれ、実物でも両方存在していて、改造車らしいバリエーションの一つになっていました。
実車でも両タイプが混用されていたこともあり、マイクロエース製とKATO製の両方を持っていてもそれなりに価値があるとおもっています。


以上、スハネ30形について書いてみました。
それにしても、この客車も本当に見ていて飽きない客車ですw

昭和6年生まれの客車はこれがラストです。

次回で昭和6年組もラストとなります。
何がでてくるかお楽しみw

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2017-04-11 09:08:16

我が家の車両紹介 国鉄マロネフ29形(二重屋根車)

テーマ:我が家の車両紹介
今回も似たような客車ですw

前回と同じ昭和6年生まれの二等寝台車、マロネフ29形10番台を紹介します。


二重屋根にバランスよく並ぶ2枚組の窓、リベットの少ないボディーに三軸台車。
名前も前回の客車とよくにた客車ですね。

マロネフ29形もマロネ29形同様、戦前の二等寝台車をまとめた形式で、その出自は大きく分けて3つあります。
・オハ31系グループで旧マロネフ37500形のマロネフ29形0番台
・スハ32系二重屋根グループで、旧マロネフ37550形のマロネフ29形10番台
・スハ32系丸屋根グループで、旧マロネフ37560形のマロネフ29形100番台
となりますが、今回は二番目のスハ32系二重屋根グループということになります。

基本的には前回紹介したマロネ29 31に緩急設備をつけたもので、一緒に紹介しようとも思ったのですが、その生い立ちが全く異なるため稿を改めることにしました。

というわけで、今回も歴史を追ってみることにしましょう。
昭和6年にオハ31系のマロネフ37500形の増備車として登場したマロネフ37550形は、昭和6年後期に登場したため、マロネ37397,37398と同様の、溶接を用いたリベットの少ない車体て登場しました。
元々二等寝台緩急車(ロネフ)は利用シーンも限られており、4両の少数世帯でした。

戦前の動きはあまりハッキリしませんが、東鉄局に配置され、主に東京口や上野口の夜行急行に使用されたようです。
昭和16年の称号改正では旧マロネフ37500形の続番でマロネフ37形の24~27となりました。
戦時中に1両が座席車となるものの、3両は寝台車のまま終戦を迎え、例によって例の如く進駐軍に接収されました。
接収解除後は特殊列車(日本利用可能な軍用列車)「早鞆」等に使用されました。
昭和28年の称号改正でマロネフ29形10番台となりました。
その後、昭和31年に思わぬ転機が訪れます。

戦後初となる東京~博多間の夜行特急であり、ブルートレインの原点ともなる「あさかぜ」に、丸屋根グループのマロネフ29形100番台と共に抜擢されたのです。当時新進気鋭の10系客車の後ろに連結されて、行灯式のテールマークを掲げて堂々たる殿を勤めました。
昭和32年からは夜行特急「さちかぜ」に移り活躍しますが、20系登場と共に特急運用から離脱して、急行「日本海」と「おいらせ」で活躍します。
昭和35年以降は全て尾久に集結して急行「おいらせ」に使用されますが、オロネ10形の登場でさすがに時代遅れの設備となっており、昭和37年に定期運用を離脱しました。
その後は団臨用として隠居生活を送りますが、新幹線開通の昭和39年、ひっそりと引退して形式消滅しました。



さて、車両自体を見ていきましょう。
上で書いたとおり、昭和6年後期特有の、溶接技術により縦リベットが大幅に減った車体ながら二重屋根という組み合わせです。台車はペンシルベニア形の三軸台車TR73です。展望車で有名な三軸台車ですが、実際には寝台車や食堂車等優等車両に多く使われていました。
窓は700mm幅の二枚組みの窓がバランスよく並んでいます。室内はマロネ29と同じツーリスト式で、昼間はロングシート状となっています。
マロネ29との大きな違いは車掌室があることで、定員も6区画24名となっています。


反対側です。中央通路式であるため、左右での窓配置の差はトイレや洗面所周りのみです。
模型は作風がマロネ29と大分ちがいますが、こちらもオークションで入手したものです。マロネフ49と同じ作者で、随所に工夫の見られる力作です。全体的に粗さはあるものの、屋根の表現などは自分のより上だと感じています。
こちらもそのうち手入れできればと思っています。

それにしても、「あさかぜ」にこんな車両が連結されていたというのも面白い話ですねw

以上、マロネフ29形10番台について紹介しました。

次回も昭和6年登場ですが、少し趣が変わりますw

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2017-04-07 09:24:35

我が家の車両紹介 国鉄マロネ29形(二重屋根車)

テーマ:我が家の車両紹介
はてさて、今回も似たような客車が続きますが御容赦くださいw

相変わらずの二重屋根・三軸台車・リベット付きの厳つい客車でございます。


今回の客車はマロネ29 31です。

昭和6年登場の二等寝台車ですが、溶接技術の導入により縦リベットが減ってこれまでの客車よりスッキリした外観になりました。
小窓がバランス良く並ぶスハ32系の仲間です。

さて、歴史に入る前にマロネ29形について軽く解説すると、戦前製の解放式二等寝台車を、戦後に一纏めにした形式です。
その生い立ちは様々ですが、短期間に消滅したものを除くと大きく3つに分かれます。
・オハ31系グループで旧マロネ37300形の0番台。
・スハ32系二重屋根グループで、旧マロネ37350形の20番台。
・スハ32系丸屋根グループで、旧マロネ37400形の100番台
となっていて、いずれもツーリスト式寝台を備える解放式寝台車です。

今回はこの車両が含まれるスハ32系二重屋根グループについて書いて歴史を追ってみようと思います。

マロネ29 31は昭和4年登場のマロネ37350形の一員として生まれた車両で、昭和6年製造の最終増備車です。
マロネ37350形自体は縦リベット付きの車両で登場しましたが、昭和6年に溶接技術が導入され、最後の2両が縦リベットを大幅に減らした姿となりました。
この際にトイレ・洗面所の位置も見直され、縦リベットグループとは室内レイアウトが微妙に異なる車両となりましたが、ナンバーは続き番号で37397、37398となりました。
さて、マロネ37350形は戦前製二等寝台車の中核を担っており、夜行普通列車から特別急行列車まで幅広く使用されました。
昭和16年の称号改正によりマロネ37形にまとめられ、ナンバーは旧31系の続番である44~92となります。
さて、戦争が始まると定員の少ない二等寝台車は不要不急とされ、大部分が座席車に改造されました。また、戦災により廃車となったものもあり、終戦時に寝台車として残っていたのはラストナンバーのマロネ37 92を含む僅か6両だけでした。
座席車となった車両は結局寝台車に復帰する事もなく去って行きましたが、残った6両は優等車両の例に漏れず進駐軍に接収されました。
昭和27年頃から徐々に返還されますが、返還後は東海道本線や東京~九州間の夜行急行に使用されて存在感を示していました。
昭和28年の称号改正でマロネ29形に改称されます。この時、縦リベット車は20番台を名乗って21~25となりますがマロネ37 92は室内レイアウトが異なるためか31番と番号が飛び、1両1区分番台のマロネ29形30番台となりました。
その後もクラシックな外観ながら東京~九州間を闊歩していましたが、昭和34年に同じ二等寝台で冷房付きのオロネ10形が登場すると俄然見劣りし、二重屋根が保守性に劣ることも拍車をかけ、昭和36年頃までに20番台が定期運用を退き順次廃車に、残ったマロネ29 31も名古屋~熊本間の急行「天草」を最後の花道として、昭和38年10月に運用離脱。そのまま廃車となりマロネ29形の二重屋根グループが全滅しました。



さて、改めて車両を見ていきましょう。
二重屋根+縦リベットのない溶接車体という組み合わせは昭和6年製の客車のみに存在する特徴で、ちょうど技術的に過渡期にあることを思わせます。
ちなみに同じ鉄道省でも同年代の電車は既に丸屋根を導入しており、電車に比べて客車の設計部署が保守的であったことを物語っています。


こちらは反対側。
二枚組みの小窓がバランス良く並ぶなかなか美しい姿です。台車は三軸のペンシルベニア形のTR73で、寝台車らしく乗り心地が配慮されています。
今の寝台車は高い丸屋根なので、そのイメージで行くとぱっと見で寝台車に見えないですねw

模型はキングスホビーのキットを組んだもので、製品はズバリマロネ29 31。特定ナンバーです。
九州急行のみならず、急行「十和田」にも使用した昭和30年頃の姿をモデルにしています。ちなみに、昭和32年頃に九州へ転属して九州急行専任になるのですが、その頃にドアが交換されて木製ながら高窓のドアになって、イメージが少し変わりました。


室内はこんな感じ。昼間はいわゆるロングシートになるツーリスト式。戦前はこれが標準的な寝台でした。
一見ヘボそうに見えますが、なかなかどうして、寝台使用時の写真を見ると、ニス塗りの壁とカーテンの組み合わせで落ち着いた雰囲気です。
夜間は窓上に跳ね上げてある船底形寝台が降りてきて二段式になります。上段寝台の寝心地はどんな感じだったのか興味深いところですね。


左手デッキ横は洗面所・トイレ・給仕室・喫煙室です。喫煙室と給仕室に座席がないのはただの手抜きですw
そのうちつけてあげましょうかね。




妻面です。
キングスのキットはリベット付きの厳つい妻板と、デッキ仕切りが標準で付いてます。
ツボを抑えた良いキットでした。




見事な二重屋根です。
実車に合わせてベンチレーターはオハ31系用のやや小型のものになってます。
キットには戦前の頃のやや大型のものも付属しており、キングスホビーの拘りを感じます。いゃあ、かえすがえすも廃業が残念です。

以上、古の寝台車、マロネ29 31でした。

似たような客車はまだまだ続きますw

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2017-04-04 20:50:18

我が家の車両紹介 国鉄マニ31形(二重屋根車)

テーマ:我が家の車両紹介
我が家の車両紹介シリーズ。
今回も昭和6年登場の客車です。
やっぱり渋いですwwww

余談ですが、前回紹介したマロネフ38形を含め、我が家には昭和6年組が結構いるのです。と言うわけで、暫く昭和6年組が続きますよ。

今回は昭和6年グループのうちの一つ、国鉄マニ31形(旧マニ36700形)を紹介します。


今回も二重屋根と縦リベットの厳ついボディーがなんとも渋いですねw
大きな荷物扉が存在感をしめしてます。
この客車はマニ31形で、見ての通りの荷物車。マロネフ38形等と同じスハ32系の一員です。

さて、今回も軽く歴史を追ってみましょう。
昭和初期の荷物車は17級の荷物車と、幹線向けの大型車体を持つ20級の荷物車が存在していました。
木造車時代より17級は二軸台車、20級は三軸台車を使用しており、鋼製になってもそれが踏襲されて、17m級のスニ36500形(後のスニ30形)と20m級のカニ39550形(後のカニ29形)が登場していました。
これは強度的な不安などからの措置でしたが、鋼製車体の評価や台車技術の進展によりその後の荷物車の標準となる二軸台車の20m級荷物車、マニ36700形が登場しました。
ちょうど溶接技術の進展期で、初期の車両は縦リベット付き、後期の車両は縦リベットのないスッキリした姿になっています。
昭和7年までに18両が製造されますが、丸屋根のマニ36750形の登場により打ち止めとなりました。
さて、マニ36700形は主に幹線向けの急行列車に連結されて活躍しました。
昭和16年の称号改正により後輩のマニ36750と共にマニ31形になりました。

戦後は進駐軍に接収されて様々な改造を受けたものも現れますが、徐々に接収解除され荷物車として復帰しています。
しかし、マニ31形については駐留軍貸し渡し車として引き続き駐留軍→米軍で使用されたものがありました。
これらは窓の内側に保護棒の代わりにクリーム色の鉄板を備えて、外から見ると一種異様な姿となっていました。
また、形式記号の代わりに軍番号が付いていました。
返還された車両は急行列車や荷物列車に連結されて活躍しましたが、昭和40年代に入ると老朽化のためマニ36形に置き換えられて行きました。
最後に残ったのは米軍貸し渡しでマニM-3203となっていたマニ31 18で、昭和45年に返還と共に廃車となって形式消滅しました。


さて、車体を見ていきましょう。
二重屋根と縦リベット付きの車体はいかにも昭和初期の風情ですが、保護棒きの窓と大きな荷物扉が2ヶ所あるのは戦後の荷物車と同じです。
戦後の荷物車の多くが改造車だったのに対して最初から荷物車として製造されているため、窓配置も整ったものになっています。



トイレや貴重品室が付いていないため、トイレ付のマニ32形登場以降は主に比較的短距離や締切区間の長い運用に使われたようです。また、このため外観的には左右で窓配置の違いがないのが特徴です。

台車はペンシルベニア形のTR23です。

ちなみに、模型はMODEMO製のもので、オークションで半ば衝動買い的に入手したものです。
元々中村精密の設計のものであるためディテールの造形は古さが否めませんが、全体的なプロポーションはなかなか良いですね。
表記類は昭和30年頃のものに準拠しています。これくらいの時代の列車を組むのに重宝します。


通常貫通扉のない旧型客車ですが、荷物車には昔から存在します。
この模型でもしっかり表現されてますね。



以上、二重屋根の荷物車、マニ31形でした。

まだまだ昭和6年組は続きますw


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2017-03-30 09:31:00

我が家の車両紹介 国鉄マロネフ38形10番台

テーマ:我が家の車両紹介
我が家の車両紹介シリーズ
今回もまたまた渋い客車です。
さらにその渋い客車のなかでも珍車中の珍車ですw

この客車を紹介するのは何度目かになるのですが、何度書いてもこの客車のストーリーは楽しいですw

予告します。今回は長文ですw


なかなか不可解な窓配置のこの客車はマロネフ38形10番台。昭和6年の登場です。

前回のマロネフ49形と同じく二等寝台緩急車で、同時期製造のため類似点も沢山あります。
趣味的分類上はスハ32系の仲間となります。


さて、今回はやや重めに歴史を追ってみることにしましょうw

マロネフ38形10番台という客車は、元々マイネロ37260形として登場した一等寝台二等合造車でした。
一等寝台と二等座席という一見ちぐはぐな組合せですが、そのヒントはこの客車の登場した時代と使用路線にありました。
まず、戦前どころか、昭和30年代位までは夜行列車には座席車が連結されるのが常識でした。飛行機も新幹線も高速道路も無い時代ですから、長距離移動の主役は夜行列車だったのです。つまり、夜行列車は様々なニーズに対応するため、様々な等級の車両を連結する必要があったのです。
さて、そんな時代において、この客車は北海道の函館~釧路を結ぶ急行列車に使用するために誕生した客車でした。
当時、途中の旭川に鎮守府があり、上級将校や貴族を運ぶ為にセキュリティーのしっかりした区分室車が必要でした。とは言え、そこはやはり北海道。一等寝台も二等座席も需要は限られています。そこで、需要の少ないクラス同士を組合せて一両とした客車を作った・・・と言うわけです。
こうしてみるとなかなか合理的ですね。

さて、マイネロ37260形は4両が製造されて活躍しましたが一等寝台自体が需要が限られており、昭和9年に東海道・山陽本線上記以外の路線で一等寝台不連結とする事になりその任を解かれることになりました。
一等寝室装備の契機となった旭川鎮守府の貴賓用には区分室式の特別二等寝室を備えたマロネ37480(後のマロネ38)が用意され、マイネロ37260形は北海道を去ることになりました。
本州にやってきたマイネロ37260ですが、半分が区分室、半分が二等座席という特性を生かし、意外な使われ方をする事になります。昭和10年から特別急行の不定期「燕」の増結車に、その後は特別急行「鴎」の展望車代わりとして活躍します。
「鴎」での活躍は正規の展望車が用意されるまでの間でしたが、華々しい活躍だったと言えるでしょう。これらの列車では緩急設備を持たないながら最後尾に連結されていましたが、昭和15年頃には4両中3両に車掌室と緩急設備が取り付けられ、マイネロフ37260形になりました。
「鴎」から外れた後も不定期特急や定期特急の増結車として活躍しました。
なお、昭和16年に称号改正でマイネロフ37形となっています。
戦後まもなくは他の優等寝台車同様進駐軍に接収され、接収解除後の昭和28年頃に内2両が旧二等座席部分を二等寝台に改装。合わせて一等寝台部分の折り畳み式洗面台を撤去して、特別室付き二等寝台車となります。なお、この二等寝台部分は戦前と同じツーリスト式で、これが戦後に製造された唯一のツーリスト式寝台でもありました。この改造に伴い元々同様の設備で需給の関係から格下げされていた元マイネロフ37形と同じマロネフ38形に編入され、10番台を名乗ることになりました。
マロネフ38形となってからは団臨用として車庫の片隅で居眠りする日々が続きますが、戦前製の一等寝台車が一線を退き始めた昭和34年に思わぬ出番がやってきます。
東京から米原経由で金沢へ向かう急行「能登」が新設され、その最後尾車両として抜擢されることになりました。
「能登」では戦前製一等寝台車としては最後の定期列車を受け持ち活躍しましたが、さすがに寄る年波には勝てず、昭和37年に
オロネ10に置き換えられて隠居生活に入ります。その後、戦前製の寝台車が次々引退していく中、団体臨時用としてしぶとく生き残りますが、新幹線開業を迎えて夜行急行列車が大幅削減され、戦後生まれのマロネ40まで引退を始めた昭和42年11月に廃車となり、激動の歴史に終止符を打つのでした。

さて、車両を見ていきましょう。

厳つい二重屋根と縦リベットのついたゴツゴツの車体は戦前製初期の鋼製車らしいスタイル。昭和6年は溶接が導入される年ですが、この客車はギリギリ溶接導入前の登場ということになります。
扉横には「1」の数字が付いていますが、これは一等寝台の表記です。
昭和35年6月の等級改正で三等級制から二等級制になり、名称上二等から一等に変更されたのです。模型はその後の姿と言うことになります。
余談ですが、一等であることを示す帯の色は昭和36年9月に薄緑に変更されますが、検査タイミングによっては「能登」運用中はマロネフ38は最後まで青帯だった可能性があります。
車体中央から写真左側は旧一等の区分室寝台です。疎らな窓が二人用区分室であることを物語っています。窓の無いスペースは折り畳み式洗面台が付いていましたが、二等格下げ時に折り畳みテーブルに変更されました。
写真右側はツーリスト式の解放寝台となっていますが、等間隔に並ぶ窓が旧二等座席ということを物語っています。
なお、二等座席時代は転換クロスシートとなっていました。


反対側から見るとこんな感じ。区分室部分の窓配置はマロネフ49とよく似ています。 
写真右側のデッキ脇に車掌室があります。

台車は3軸のペンシルベニア形台車、TR73です。


室内はこんな感じ。合造車らしい複雑な室内が楽しいですね。
二人用区分室は4つ付いています。
手前の区切られたスペースは車掌室で、その向かい側はトイレと洗面所です。


ロングシート状の部分はツーリスト式寝台。
昼間はまさにロングシートになるのですが、座面は深く仕切りも有るので、どちらかと言えばソファーベッドのノリです。
車体中央の区切りは給仕室で、その向かい側の椅子は喫煙所です。

なお、この模型は今は亡きキングスホビー製のキットを組んだものです。室内灯およびテールランプの準備工事がしてあります。

マロネフ38形10番台は後部にも特徴があります。



貫通幌に窓付きの塞ぎ板が付いており、これは急行「能登」時代の同車特有のものでした。
なかなか面白い形をしていますねw

以上、マロネフ38形10番台の紹介でした。


昭和6年登場の渋い車両はまだまだ続きますw


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2017-03-23 20:36:42

我が家の車両紹介 国鉄マロネフ49形

テーマ:我が家の車両紹介
今回もまたまた渋ーぅい客車が出て参りました。
昭和5年登場の二等寝台緩急車、マロネフ49形です。


三軸ボギー台車に二重屋根、リベットゴツゴツの威厳タップリな客車ですねw

区分室(今で言う個室)式の寝台車で、前々回に紹介したマロネ48形と似ていますが、こちらは世代が一つ進んだスハ32系のグループになります。

さて、今回も軽く歴史を追ってみましょう。


マロネフ49形は昭和5年にマイネフ37230形として登場した一等寝台車でした。
当時の名門夜行特別急行列車「富士」でデビューしたのち、寝台車ながら昼行の特別急行「燕」に抜擢されます。
これは要人を乗せるにあたりセキュリティー面から区分室が必要になったためで、昭和6年に区分室付きの展望車スイテ37020形が登場すると再び夜行運用に戻りますが、今度は特別急行「富士」ではなく、一等・二等車だけで構成された東京~神戸間の豪華夜行急行列車の、通称「名士列車」に抜擢されます。
その後は名士列車専属で働きますが、終戦時に進駐軍に接収され、軍の将校用として軍用列車に使用されました。
なお、この間の昭和16年に称号改正が行われ、マイネフ38形と名前が変わりました。
接収解除後は戦前と活躍の場が一転して、東京~札幌を結ぶ特殊列車(日本人も利用可能な軍用列車。急行「十和田」の前身)に使用されます。
マイネフ38は客車ごと連絡船に乗って北海道まで遠征していましたが、昭和29年の洞爺丸台風事故を契機に青森止まりとなりました。なお、この事故の際にはマイネフ38 5が洞爺丸と共に沈没し海の藻屑となってしまいました。
特殊列車はその後急行「十和田」となりますが、マイネフ38は引き続き急行「十和田」に使用されました。
昭和30年7月の一等寝台制度廃止に伴い、設備はそのままに二等寝台車に格下げされマロネフ49形と名前を変えます。
昭和32年9月に定期運用から外れて隠居生活となり、昭和36年に全車廃車となりました。

さて、車両自体を見ていきましょう。



こちらが寝台側です。疎らに配置される小窓は区分室車両の証。
マロネフ49の客室は全て二人用区分室で、定員は16名。贅沢ですねぇw
今風に言えばツインDXですが、部屋はバラ売りでした。
マロネ48同様、折り畳み式の洗面台が区分室内に存在します。
この折り畳み式の洗面台こそ一等寝台のステータスでもありました。
屋根はこの時代の客車標準の二重屋根です。前年登場の電車であるモハ31系では既に丸屋根を使用していますが、客車に丸屋根が採用されたのはこの後の昭和6年でした。当時の客車は鉄道全体の主役だったこともあり、わりと保守的な作りだったようです。


こちらは通路側です。
マロネ48とは随分様子が違い、部屋に合わせて3連窓が配置されています。
オハ31系のマロネ48から比べて窓の縦幅が大きくなっただけでなく、窓数も増えて明るい雰囲気になりました。
これはオハ31系が基本的に木造車の設計を踏襲していたのに対して、スハ32系では強度解析も進み、窓配置もそれに応じたものになったためです。

台車はペンシルベニア形の三軸ボギー台車のTR73です。イコライザ式の三軸ボギー台車TR71に比べて乗り心地が改善されたそうです。

真っ白な室内が見えますが、模型は実は自分が組み立てたものではなく、ヤフオクでコンバージョンキット組立品を落札したものです。当時はキットを組む環境も腕もなかったためです。
モデルとしては、一応昭和34年以降、団臨用として隠居生活を送っていた最晩年仕様となるようです。

作品は随所にパーツ選定や作成に工夫が見られるほか、プラ板で区分室を表現した力作です。
とは言え、今となっては自分が組んだものと比べて見劣りしてしまうのと、キングスホビー製のキットも確保しているため、一度解体してマイネフ38として組み直そうかなどと思ったりしています。
室内は自作シールを使っても良いですねw



なお、細かい事ですが、マロネフ49形となった昭和30年前後には更新修繕工事が行われており、その際に溶接による補修が行われた関係で車体裾や窓上下の補強板のリベットが一部消滅しているのです。
この模型ではそれらのリベットが付いたままになっていますので、正確にはマイネフ38時代の姿になるわけです。

以上、古の豪華寝台車、マロネフ49形でした。
渋い客車シリーズ、まだまだ続きますw


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