あれからもう15ヶ月も経つのか…。この1年間以上の歳月は、WBA世界F級3位の坂田健史にとって、長かったのか、あるいは短かったのか…。僕には知る由もないが、あの世界初挑戦は「凄惨」を極めた、恐怖のタイトルマッチであった。WBA現フライ級王者 ロレンツォ・パーラ…。あのWBC世界フライ級王者 ポンサクレックと並んでここ数年、ことごとく日本人挑戦者を退け続けてきた…。
戦績 王者 パーラ 25戦25勝17KO
挑戦者 坂田 27戦24勝10KO2敗1分
坂田は15戦無敗で日本王座決定戦で川端賢樹と争って同王座奪取、しかし、トラッシュ中沼に同王座を奪われる。キャリア2つ黒星は前回2-0の判定で敗れたパーラ戦と、やはり、正月にパーラに挑戦するも判定で退けられた、あのトラッシュ中沼だけだ。不思議な因縁である(トラッシュ中沼は、ポンサクにも挑戦し、破れている)。しかし、トラッシュ中沼からは1年後にベルトを奪い返した。リベンジを果たした…。そして、あの世界初挑戦…。
R2に顎が折れた瞬間、「折れた」とすぐに分かったと言う。坂田は弱気になった自分を、「世界チャンピオンになるんだ」、という「勝利への執念」で包み込んだ。そして、痛みを堪えて毅然と最終12Rまで戦い通した。僕はテレビの前で絶叫した。坂田の顔は変形し、口の中には血が溜まっていた。明らかに割れていた。素人が見て「異常」を感じたのだ。しかし、試合は最後まで続いた(レフリー、ドクターの対応には疑問が残る、再起不能になっていたら許せないところだ…)。Rごとに採点しながら観戦していたわけではなかったが、印象として最終12R終了のゴングを聞いた瞬間、僕は「勝った!!」と思った。坂田は果敢だった。勇敢であった。さらに、攻め続けていた。王者は明らかに窮していた。顎の折れた血を吐きながら挑んでくる坂田のガッツに、絶対に参っていた。ドローもむごいが、負けはない、そう思った。坂田本人も、終了直後、顎の壊れた唇を動かして、「…僕、勝ちましたよね?」そう言ったそうである。…しかし、判定は2-0で王者パーラの防衛成功であった。
坂田は顎にボルトを2本埋め込み、2週間後には練習を再開していたと言う。勝ったはずの勝負。自分では勝ったと確信していた勝負で、負けを宣告されるっていうのは、ちょっと「想像できない」。本人しか、その悔しさはきっとわからない。大の字になって10カウント聞いたのならば納得もいくだろう。滅多打ちにされ、戦闘不能になってレフリーに制止、あるいはセコンドからタオルが投げ込まれたのならばまだ分かる…。痛みを克服し、全身全霊を奮い立たせ、自分自身にも、そして、王者にも打ち克った、そう確信した男が宣告された「2-0の判定負け」は尋常ではない。悔しいとか、そんなはずはないとか、きっとそんなレベルではない。「自己存在」が根底から覆される以上の精神状態であったに違いない…。
坂田は2つの調整試合を挟んで今回の再挑戦に臨む。1戦目はタイのボクサーを1R111秒で撃破。2戦目は日本人を相手にフルラウンド戦ってきっちり3-0判定で勝利。準備が整った。
死の恐怖にも近い、圧倒的な絶望をリング上で体験した坂田は、その潜り抜けた「窮地」の「格」が違う。それは王者パーラも体験したことのない「恐怖」であった。だから違うはずだ。坂田健史はソンジョそこいらの挑戦者ではないのだ。絶対に勝つ、その執念の燃焼のさせ方は分かっているのだ。後は「爆発」させるだけなのだ。…きっと、坂田は勝つ。だから、絶対に勝つのだ。
つづく