10日の県議会・一般質問で、ある議員にこう指摘された。「知事が農水大臣と対立したから、基金の創設が遅れているのではないか?」

 何を根拠・論拠にそういう発言をされたのか?不明であるが、信じられない指摘だった。随分、旧態依然とした低レベルな思想・発言と言わざるを得ない。

 議会に反問権が無いので、その場で反論したり真意・真偽を問い質すことが出来ないのが残念である。

 政治行政はそもそも「何人に対しても中立・公平・公正でなければならない」のではないか? そう僕は常々思っているし、出来るだけそれらを心掛けて政治行政運営に取り組んでいるつもりであるし、政治行政は国も地方もそうあるべきだ。


 「あいつは生意気だから」「あの自治体は気に食わないから」「あの首長は俺に歯向かったから」等の理由で、権力者が公金の配分(補助金・交付金・基金等)を減らしたり、創設しなかったりということがあっていいものだろうか? 

 翻ると、「あの自治体は従順だから」「あの首長は気に入っているから」「あの団体・企業は利益になるから」「親しいから」とかの理由で公金の配分がなされるということだ。

 つまり、政治や行政が恣意的に、個人(権力者)の感情や情実や利益で配分を差配するということである。正に、旧態依然とした利益誘導型・口利き型の政治である。そういう政治行政は断固として排除しなければならない。

 

 そもそもそういうことについて、議会の場で公然と発言される神経と政治家としての資質を疑う。「私の政治信条は利益誘導型ですよ」「私の政治スタイルは情緒・感情・私情型ですよ」ということを公言しているようなものである。

 実際、そういう理由で資源(税)の配分がなされているのなら、由々しき事態である。そういう政治行政は即刻退場してもらわなければならない。また、排除するような活動をして行かなければならない。

 実際、基金創設が遅れているのは、そういった理由(農水相との対立)からなのか?

 僕の中では、あの事はとうに解決した事案である。とっくにノーサイドなのである。いつまでもネチネチと根に持っているのは議員だけではないだろうか?


 その議員は「農水大臣との対立は宮崎の利益にならない」とも発言された。以前、議長もそういう趣旨の発言をされたことが報道されていた。議会や県民の方々は概ねそういう考え方なのだろうか?

 国(農水大臣)の考え方に疑問を感じ、対等でなければならない筈の国と地方のあり方に矛盾を感じ、地方・地域の代弁者としてこちら側の考え方・言い分を主張させて頂いた。結果的には意見が割れ、対立構造になってしまったが、僕はそれが間違いであったとは露程も思っていない。

 その事(対立)が「宮崎の利益にならない」というのなら、そしてそれ(国と対立することが宮崎の利益にならないということ)が事実であり実証されるのであるなら、そしてそういう意見や考え方が宮崎の大半を占めるのなら、今後の僕の行動は考えなければならない。

 今後、地方分権や道州制を推し進める上で国や他の地方と対立する局面が大いに出て来る可能性がある。国との「対立」「意見の相違」が「宮崎の利益にならない」のであれば、その事は僕が今後の出処進退を判断する上で大きな影響・要因と成り得るのは事実である。


 また、議員は死亡した職員の死因が口蹄疫(防疫作業)の超過勤務や去年の超過勤務にあるのではないか?みたいなことを発言されたが、科学的・医学的根拠はどこにあるのだろうか? 因果関係はどうなのか? キチンとしたデータ・分析等に基づく根拠・論拠を示してから、そういうことは発言されるべきである。そうでなければ、それは単なるイチャモン・難癖である。一般質問ではなく「一般イチャモン」である。

 いずれにしろ、今後もああいうイチャモンや難癖を付けられ続けるとしたら、それは真っ平ごめんである。

 

 ※因みに、その議員さんは僕のブログやツイッターは一切読まないと公言された。議員さんがよく仰る「綸言汗の如し」である(笑)。従って、このブログも読まれないということである。当然、読まないブログに対して反論は無用である。