臨時議会が閉会した。

 一般質問の中で、ある議員さんから以下の指摘を受けた。

 「農水大臣との確執・対立は県益を損なうのでは?」

 この指摘に、個人的にはちょっと驚いた。


 この発言は、「農水大臣と対立していると、今後、補助金や交付金等を削減され兼ねなく、宮崎のためにならないのでは?」というような意味合いが含まれていると思われる。

 こちら(地方)が言うべきことを言い、主張すべきことを主張し、それらが相容れない場合は、国から地方に何らかの不利益がもたらされるという論である。


 逆に言えば、大臣に媚び諂い、取り入り、従順に仲良くやっていれば補助金や交付金など、格別の配慮があるということであろうか? そういうことがもしあるとするなら、許されることだろうか?

 国民の血税の配分が、大臣の私情や感情、恣意によるのである。

 もしあるとするなら、そういう政治・行政の体質は改めなければならない。

 僕は、市町村長と例え対立したとしても、それによって県からの助成を冷遇したり依怙贔屓するつもりなど一切無い。また、報復人事等もあり得ない。私情・私怨等を政治・行政に挟むのは以ての外と考えている。

 

 あくまでも議員の懸念・杞憂であろうが、そんなことが実際にあるのだろうか? 信じられない。果たして、あっていいものだろうか? 仮にあるとするなら、前時代的である。そういう旧態依然とした政治・行政運営からの脱却・転換が今回の政権交代だったのではないのか?

 政府与党議員には政治倫理・理念等に高い意識・志を持った高潔で見識高い優秀な方が大勢おられ、大変な期待・リスペクトをさせて頂いている。まさか、そういう私的感情や私恨に左右される低レベルな為政者は与党にも野党にもいないと信じたい。

 

 宮崎はこれまで、インフラ整備等が極端に遅れて来た。それは、県が国と対立していたからだろうか? 殊更、対立していたとは思えない。ならば、確執や対立が国からの抑圧・冷遇・報復に繋がるのだろうか? それとも、対立しないから遅くなったのか?

 もし仮に、そういうことがあるとしたら、それこそ、政治・行政の平等性・公平性を欠くものとして、県民や議会が厳しくチェックして行く必要があるだろう。

 そういえば、どこかの県知事選で「我が党公認の候補者に投票してくれたら、新幹線を通す」とう応援の弁があった。実に時代遅れである。その候補者はどうなったか? 国民はしっかり見ている。もうそんな時代ではないのだ。
 

 山田大臣は5月2日の自身のブログに「(小沢氏の政治とカネの問題に触れ)・・・・政治家なら誰にでもある政治資金規正法の虚偽記載に過ぎない」と書かれている。現在、何故かそのブログは削除されているが、少なくとも「政治とカネ」についてそういう認識でおられる政治家である。正に、旧態依然と言わざるを得ない。

 そういう思考・姿勢が根底にある方に対して、「県(地方)のため」という自分の信念・理念・覚悟に基づいて発言をさせて頂いた。現政権が言っておられるのは「地域主権・国と地方は上下主従の関係ではなく、対等協力の関係」ということである。国と地方の協議の場・・・・・当然あるべき議論として、今回、国に物を申し上げた。

 

 議長も「知事の言動は県のためにならない」と言っておられるようである。その考え方自体が古い政治体質だと個人的には思うが、いずれにしろ、僕の認識・理念、議員や議長の認識・理念を県民の皆様がどうお考えになるか?が重要であろう。

 議長の発言が事実であれば、それは重い。議員のご指摘も併せ心から真摯に受け止め、今後のことも含め、冷静・客観的・的確に判断し、行動して行かなければならない。