一匹の蠅が飛んでいた。

 機内に蠅がいたことは、これまで記憶にない。彼は、ダラス出身か? もしくは、他の地からここに紛れ込んだのかも知れなかった。

 機内の室温を下げるのは、虫対策でもある。それでも、その蠅は飛び回っていた。機内は、生鮮食料品の貯蔵庫のようにひんやりして、そして、暗かった。灯りといえば、前方のトイレ用のoccupidの閃光と窓の上の若干の室内灯のみだった。

 そして、殆どの客が、まるでマネキンのように眠っていた。機は時々ガタガタと揺れたが、寝ている客は誰もピクリともしなかった。もしかしたら、本当にマネキンなのかも知れなかった。

 

 僕は、地球の裏側に行く最良の方法やこの飛行機の下で暮らす人々の制度(方法)について考えていた。

 起きているのは、僕と、僕の席と通路を挟んだ席にいる外国人だけだった。男は、さっきから、小さなヘッドフォンでどこかの国の言葉を熱心に聞いていた。「小さな」と言ったのは、彼は大変大柄で相対的にヘッドフォンが小さく見えたからだ。

 男は、頭が異常に大きかった。鼻が高く、目の周りに疲労で出来たのではない隈が付いていた。

 時折、男は、僕の方に大きな目線を投げかけた。鉄人28号のような目線だった。その度、僕は、鉄人28号を無視した。


 今となっては、すっかり慣れっこになった揺れが一旦治まったときである。男は、狭い通路に半身を乗り出し、突然、僕に話しかけて来た。それは、どちらかというと、相手の耳元にそっと耳寄りなトピックを伝えるような話しかけ方だった。

 「チョット、シツモン、ヨロシイデスカ?」

 男は、僕のyesかnoは期待していないスピードで次の「シツモン」に移った。

 「アナタハ、キュウシュウノヒトデスネ?」

 最初、意味が分からなかった。「キュウシュウノヒト?」・・・・・・「九州の人?」。僕は、「九州の人」を想像した。それは、何故か、眉が太く、角刈りだった。

 男は続けた。

 「アナタハ、ガーヴァナーデスネ?」


 男の”ガーヴァナー”の発音は理想的なそれであった。僕は、一先ず観念したように黙って首を縦に振った。

 上下のジャージに銀色のベンチコートを羽織り、まるで4-0で負けているサッカーチームの監督のように寒そうに丸まっている僕を、ガーヴァナーと判明するには、僕に関するかなりの情報が必要である。男は、かなりの精度でそのかなりの情報を会得していた。

 男は一回態勢を整え、自分の質問に真摯に答えて欲しいというような目で僕に聞いた。

 「イイデスカ? ボクノシツモンニ、シンシニコタエテクダサイ・・・・・・」

 蠅が遠くで少し五月蠅かった。


 「ニッポンノシュショウハ、ドウシテコロコロカワルノデスカ?」

 「日本の首相は、どうしてころころと変わるのですか?」僕は、頭の中で言い直した。

 ダラスから成田に向かう飛行機の中で、見知らぬ大きな白人に、日本の首相の交代について質問されることはそうそうは無い。確率的には、人生で一度あるかないかの数値であろう。いや、もしかしたらそれより低いかも知れない。でも、その質問は僕を何故か和ました。理由は分からない。「和み」が創出される人間の脳のメカニズムについて、僕は殆ど無知である。というか、そういう種類のメカニズムについて、科学的かつ論理的に考察を行ったことがない。

 

 僕は、僕を和ましてくれたその男に、お返し・お礼のつもりで「和み」をプレゼントしようと決意した。

 ・・・・・・・・・・・「ボウドウガオキナイカラデス」・・・・・・・・・・・

 男は、一瞬だけ蠅に目をやった。蠅は鉄人28号を無視していた。

 男は、僕に向かって、「面白い答えだ」という風に少し笑った。それは、『またシツモンを思いついたら、次のシツモンをしていいかな?』 という風な笑みでもあった。

 男は6割くらい満足し、元の位置に戻り、またヘッドフォーンから聞こえる意味不明な言葉に集中した。